私がこのフィールドスタディを通して常に自分の中で問いかけていたのは「私たち学生ボランティアは北上の方々に対して何が出来るのか」という問いです。今までボランティアとはその地域に対して何かをする仕事だと思っていました。しかし、実際に石巻を訪れてみて自分が何をしたら良いのか、そもそも今になって被災地を訪れて迷惑ではないのかという思いが訪れた初日から強くなりました。震災から3年がたち被災地の生活は元の形を取り戻しつつあります。問題は未だに多く存在しているものの物資も人材も必要なぶんは望めばある程度は手に入るという状況です。その中で何の技術も資金もなく、この先、石巻と関わり続ける確証のない学生がボランティアに行っても良いのかと不安になったのです。また、現地で多くの子どもたちと触れ合った時、その思いは一層強くなりました。子どもたちと仲好くなり無邪気に「次はいつ遊べる?」と聞かれた時、「またね!」の言葉に何も言葉を返せなかった時、自分自身も辛くなりましたがそれ以上に辛いのは一方的な出会いと別れを繰り返す子どもたち自身ではないかと気づいたのです。それに気づいた時、私が北上で何かを残していこうとすることに迷いが生じました。
しかし、この「ボランティアとして何が出来るか」という問いに対して多くの方と交流する中で次第にある事に気が付きました。それは北上の方々はボランティアに対して技術や物資を求めているのではないということです。それは単純に私が学生だからではなく「わざわざ北上まで来てくれる」ことが有難いことだと考えているからだと知りました。震災から日がたってもこれだけの人が被災地の事を考えていてくれている、まだ忘れられていないと言うことで救われている面も多いそうです。ここに来てくれるだけで良い、出来れば自分の周りの人に石巻や北上のことを話して伝えて欲しいと色んな方から私は言われました。東日本大震災そのものは過去の出来事ですが他人事として扱うのではなく、そこで学び感じたことを持ち帰ることを現地の方々は望んでいると知ったことは私の問いである「北上に対して何が出来るか」の1つの答えになりました。
私に出来ることではないかと模索する中で自分が何かを「残す場」は被災地ではなく自分の周りだと気付かされました。そしてボランティアを終えてた後に何が出来るかを私は今も考えています。周りの人に自分の言葉で伝えることはもちろんのこと、SNSの利用を通して多くの方に広げていくこと、自分の足で再び石巻を訪れるなど多くの活動を継続して行っていきたいと思っています。私一人の力は本当に小さなものでしかありませんが、この行動が誰かの「きっかけ」となって波紋のように広がっていくと信じています。そして、これこそがボランティアが被災地の方々からされている働きだとこの夏の経験を通して思いました。