私は今回震災後初めて被災地に訪れました。震災当初は「今後の日本はどうなってしまうのだろう」「被災地の方々のために何かしたい」など震災について色々と考えていましたが、なかなか行動に移せず 2 年が経ってしまいました。自分の中でも震災は過去の出来事となっていて、復興は順調に進んでいるものだと勝手に思い込んでいました。そんな状況の中で今回このフィールドスタディに参加しました。
今回のフィールドスタディで最も印象に残ったことは、ふき子さんのおはなしです。ふき子さんは今回私たちもお世話になったパルシックの西村さんと一緒に農園をやっている方で、震災当時のお話をしてくださいました。
ふき子さんはその日は堆肥センターで働いている時に震災を迎えました。大きな揺れがあったあと職場の人に「大津波がくるからすぐに帰りなさい」と言われて帰ったそうです。家に帰ると家具はもうめちゃくちゃでしたが、すぐにお父さんを連れて高台へと避難しました。しかし 15~30 分経っても津波は来ませんでした。おかしいと思った次の瞬間、どこからか家が流れてきて、そのあと山のような津波が襲ってきたのです。その時点で自分の家も流されたと思い、諦めたそうです。
その日の夜から約 2 か月間、避難所の学校の体育館で過ごしました。冬の終わりでまだ寒かったため、夜は卒業式の垂れ幕にくるまって寝たそうです。食べ物も最初の 1 週間はなかなか手に入らず、おにぎり(1 人 4 口分くらい)とあるものでおじやを作りみんなで分け合いました。水は山から自然の水をとってきて残っている車で運んできました。水も本当に貴重で、お米を研いだ水も残しておいて他のことに使いました。それだけ貴重だったため、もちろんお風呂には 1 か月入れませんでした。このように避難所でお互い助け合いながら過ごしたことで、みんなが身内のように感じるようになったそうです。
避難所生活を終えにっこりサンパークの仮設住宅に入りました。最初は隣の人の寝息がうるさいと壁をドンドン叩くといったトラブルもありイライラしている人もいましたが、最近では団結力も生まれ仲良く過ごしているそうです。仮設住宅に入り生活も落ち着き始めた 5 月頃、西村さんから「畑をやろう!」と声がかかりました。津波による塩害にあった土地で農業を始めるのは大変でしたが、ふき子さんは西村さんに働く意欲、生きていく力をもらったそうです。西村さんは外部からのボランティアですが、地域の人々に希望を与えているということが伝わってきました。自分も震災当初、被災者の方に何かしたいと思っていていましたが行動に移せなかったし、移せたとしても西村さんのように地域に密着した支援はできなかったと思い、自分の未熟さを感じました。しかしふき子さんの話の中で、「ボランティアの人たちがお手伝いで来てくれるのはもちろん嬉しいし、こうやって話を聞いてもらえるのも嬉しい」という言葉があり、自分にもできることはあったのだなあと感じました。
震災から 2 年以上経った今、多くの人は震災があったということを忘れて生活していると思います。しかし被災地ではまだ復興が始まったばかりで、私たちの力を必要としています。ちょっとしたことでも被災地の力になれるし、被災地に訪れることで気付けることはたくさんあります。私も今後何度もボランティアに行けるわけではないので、この経験を発信して一人でも多くの人に被災地の現状に興味をもってもらうことで被災地の力になりたいと考えています。
橋浦自然の森