2013年度

「自分の家がいい」

2013年10月21日

2013年度

自分の「家」がいい。仮設住宅、にっこり団地に住む方の一言だ。この方はお孫さんといっしょにいてお会いするたびいつも笑顔を絶やさない。それはにっこり団地に住む皆さん同じだ。にっこり団地に住む北上の方たちはとてもやわらかく、温かい雰囲気で溢れている。「やっぱり自分の家がいいな」その一言が最初に出た。ゆえに、その言葉にはとても重さがあった。震災から2年半たった今も、北上を含む被災地の方々の仮設住宅での生活は続いている。この言葉を言ったことで仮設住宅に暮らしている方たちの生活を変えることは出来ないとわかっている、それが心苦しい。
わたしは昨年の石巻 FS に参加し、今回で2年目になる。昨年は目に入ってくるものひとつひとつに衝撃があった。しかし、感情はあまりなかった。感情をつくる余裕がなかったといったほうが正しいと思う。今年は光景を目にして、昨年と比べることが出来、目に入るもの全てに感情が溢れたことが私のはっきりと分かる変化であった。なにより、景色に変化は無かった。そのことが一番胸を締め付けた。もっとも、仮設住宅もそのひとつである。昨年、仮設住宅を初めて目にした時のことを覚えている。「私はここで生活することが出来ない」。これが私の正直な気持ちであった。しかし言葉にして表すことは出来なかった。自分が被災しなくて良かったといっているのと同じだと分かっていた。そして今年、にっこり団地に行き、その想いは変わらなかった。むしろその想いは増した。なぜなら、にっこり団地に住む方が私の顔を覚えてくれていたし、私もにっこり団地の人の顔を覚えていた。北上のあの人は元気だろうか。そう思って一年を過ごした。だからこそ、北上の人々の生活に直結する仮設住宅についての問題は特に気になった。そして「自分の家がいい」という一言を FS 初日に聞き、この2年半どんな思いで過ごしていたのだろうと胸が苦しくなった。
想像できるだろうか。ベニヤ板1枚で仕切られた空間に2年間半住み、電話の声や会話が近所に聞こえないかいつも気を使う。ふつうならば共に子供や孫たちと笑いあうところを、声の大きさを気にして心から笑えない親もいるだろう。それがどんなストレスか。「自分の家がいい」というこの言葉に集約しているように思われてならない。

石巻市北上町の風景

石巻市北上町の風景