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藤倉ゼミ

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ゼミテーマ
  • 環境本を読む
担当教員
  • 藤倉 良

ゼミ概要

3年生から始まる2年制のゼミです。主に環境に関する課題図書が隔週で1冊ずつ提示されます。ゼミ生はそれを読んで水曜日の正午までに800字以上の書評をアップロードし、教員はそれを添削して返却します。順調に課題をこなしていけば、夏休み冬休みの課題も含めて1年間で14冊ほど読むことになります。幅広い分野の本を多読する力と作文力をつけることがこのゼミの目的です。最近の課題図書には、『メディア・バイアス』、『ユートピアの崩壊』『ハチはなぜ大量死したか』『捕食者なき世界』『水危機本当の話』『チェンジングブルー』『自動車の社会的費用』などがあります。

ゼミ詳細

最近の学生は本を読まなくなりました。また、本を読まないから、「どんな本を読んでいいのかわからない」という学生も増えています。読書には1冊をじっくり読みこなす精読と、多数の本を読み飛ばしていく多読(乱読ともいいます)がありますが、ここでは後者を行うことで読書力をつけていきます。また、2年間、書評を書き続けることで、ゼミ生の作文力は明らかに向上しています。

以下はゼミ生の書評です。多少、教員が手を入れていますが、殆どオリジナルです。

松永和紀 『メディア・バイアス ~あやしい健康情報とニセ科学~』 光文社新書

世に流れる間違った情報や過度なメディアの報道、科学者のウソなどがどのようにしてわたしたちの耳に届いているのか。その真偽を見極める必要性を説く。
一時多発した健康情報番組でのねつ造報道。現在でもテレビCMや新聞・雑誌の広告などで「○○を食べれば痩せる」「○○はこんな効果を身体にもたらす」という情報は後を絶たない。メディアは複数の科学情報を都合よくつなぎ合わせ、取材不足のまま情報を流す。それを鵜呑みにし、身体や環境に悪影響が及んでも、誰も責めることはできない。
日本では一部分だけが強調されて、全体像が見えにくくなる情報の伝わり方が多いと著者は言う。科学情報はきちんと取り上げられるメディアや取材者が少なく、見方が一面的になり、幅を利かせてしまう。化学物質と聞くと人工的なイメージがあるが、タンパク質や脂肪のような私たちを形作る成分も化学物質である。タマネギやシナモンに含まれる成分が身体に良いと報道されるが、実際に効果を得るためにはそれを現実離れした量摂取しなければならない。そうして、大量摂取を繰り返すことで他の健康リスクを招いてしまったりする。身体に劇的な効果のあるものも悪影響を及ぼす食品など存在しない。バランスの良い食事と適度な運動がやはり重要なのだ。
最近では自然志向が広まっている。有機・無農薬野菜が安全とは限らず、農薬の代わりに植物が自分で作り出す天然農薬が多く含まれる無農薬野菜も多い。ひとつのリスクを減らそうとすると他のリスクが増大する「リスクのトレードオフ」が起きる。懐古主義も問題だ。現代のファストフードや欧米化の食事を嫌い、昔の食事が良かったと言うがそれは正しくない。昔の日本人の大豆や野菜の消費は少なく、栄養は偏っていた。
普段何気なく触れている情報には、政治経済・報道関係・学者が自分たちの思惑で作られたものがある。わたしたちはそれを鵜呑みにするのではなく、注視しなければならない。メディア・バイアスの視点から現代の情報社会の危険性を説き、正しい情報とは何かを改めて考えさせられる。

(KS) 

リュック・フォリエ『ユートピアの崩壊 ナウル共和国 ―世界一裕福な国が最貧国に転落するまで』新泉社

本の内容は、副題が表している。「世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで」。舞台は、オーストラリアの北東に位置するちっぽけな島国ナウル。世界一小さな独立国である。歴史は長くはないが、波瀾万丈だった。
19世紀末にリン鉱石が発見されてから、ナウルの歴史は大きく動くことになる。20世紀初頭には、誰もが儲かる露天掘り鉱山となった。最初はナウル人の元にほとんど入らなかった収益も、のちに初代大統領になるハマー・デロバートの活躍により国民全員に還元されるようになった。ナウル人は皆、不労所得で暮らす億万長者となったのである。税金はタダ、国のおカネで海外留学。働きに出る必要がないばかりか、家事ですら国の雇った家政婦に任された。小さな島には似合わない高級外車が多く走り、ガス欠になれば、ガソリンでなく次の車を買う。黄金時代、リン鉱石バブルである。リン鉱石の埋蔵量に限界があることはわかっていながら、国民も政府も何ら疑問を感じることはなかった。
だが、放漫経営のツケが回ってきた。無計画な採掘により、繁栄は15年ももたなかった。リン鉱石の埋蔵量に限界が来る前にと政府は海外投資に奮起したが、悉く失敗。立候補すれば島の誰だって大臣になれたその時代、金融の専門知識を持つ者はほとんどなく、国のおカネは複雑なルートを経てうやむやに蒸発してしまった。ナウルでは政府への不満を口にする人がいない。島民全員が遠い親戚のようなナウルでは、いつ大臣になってもおかしくない隣人に愚痴をこぼすことなどできなかった。
ナウルは海外投資の失敗とリン鉱石の枯渇から借金に首が回らなくなった。国そのものを賃貸に出すしかなくなった政府は、パスポートの不正売買やマネーロンダリングに手を貸す犯罪支援国家となっていく。かつて栄華を極めた国民には活気がなくなり、あっという間に原始の生活に転落した。働いたことのないナウル人たちは、先祖がしていたように漁業や採集によって生計を立てるしかなくなったのだ。
資源の限界を知りながらもやめられなかった消費。政府の杜撰な経営。得たものはあったのだろうか。この話が現実だという事実にぞっとしてしまった。

(AW) 

ウイリアム・ソウルゼンバーグ 『捕食者なき世界』 文春文庫

生物多様性の減少が問題となっている。理由として、野生動物達の食糧の減少、生息地の減少、環境の変化など考えられるものは多い。しかし、生物多様性の減少は人類が敵として駆逐していった大型捕食動物の減少によっても起こっている。
本書は、世界で起こっている捕食者の消滅に伴う悲劇を語る。シカは毛皮目的に大量に捕まえられたので、大幅に減少した。その後商業目的による狩猟は禁止され、シカを増やすほうにシフトしていった。一方で、シカの天敵であるオオカミやピューマなどは駆逐されて激減した。そして、増えすぎたシカは森の 新しい担い手となる若い芽を食べ尽し、森の生態系は崩壊した。
生物多様性はピラミッドの形として表される。食物連鎖の上に行けば行くほど個体数は少なくなる。そうすることで食べ過ぎを防ぎバランスを保ってきた。では、頂点捕食者が駆逐されたらどうなるのか。捕食者に食べられていたシカは爆発的に増える。ピラミッドの頂点部分が無くなると、真ん中の被食者は増え、それが食べる生物は激減する。食物連鎖が崩壊するのである。
これまで生物多様性を支えているのは被食者であると考えられていた。しかし本書はそれに疑念を呈する。捕食者が消えると、その影響が生物多様性に甚大な被害を与える。壊すのは一瞬であるが元に戻すのは難しい。戻らない可能性もある。では既に壊してしまったならば私達は何をすべきなのであろうか。
本書の言葉を借りれば「人は再び自然を愛せるか」という事に尽きる。人が自らの利益や生活の快適さを求めすぎるあまりに、生物多様性を蔑ろにしてきた結果はこの通りである。これ以上の生物多様性の減少を防ぐには人が自然と共存していくことが必要である。これまで人が駆逐してきた大型捕食者達との共存である。今までは敵として見ていた大型捕食者を共存相手として見て暮らしていく。難しい事のように思えるがこれが出来るか否かが、「人は再び自然を愛せるか」を実現出来るか出来ないかであると本書は伝えている。

(YM)

これまでに読んできた本の一部

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