2023年度実施フィールドスタディコース

第二次世界大戦の「記憶の場」 ――第二次世界大戦開戦85周年に寄せて フランス編

2023年度実施フィールドスタディコース

概要

担当教員:竹本 研史・辻 英史
日程:(事前学習)2023年10月~2024年2月にかけて9回実施
   (現地訪問)2024年3月1日(金)から14日(木)【帰国日】
   (事後学習)2024年3月〜4月にかけて2回実施
場所:フランス、パリとその郊外、ノルマンディー地方(ルーアン、カーン、ル・アーヴル)、リヨン
参加人数:8名 

コースのねらいと内容

本 FS の目的は、2024年で開戦85周年にあたる第二次世界大戦の記憶を、現代フランス社会がどのように意義づけてどのように継承しているのかについて理解することであった。
私たちは本 FS において、記憶の継承のあり方について、パリとその郊外、ノルマンディー地方、リヨンにある第二次世界大戦の「記憶の場」を訪れて、現地の講師やガイドの方々の話を聞きながら、以下の論点を考察した。

(1)博物館や記念碑が歴史的出来事を伝えるうえで担っている役割
(2)各地方自治体やアソシアシオンによる具体的な実践
(3)市民が自身の街と第二次世界大戦の記憶とを関連づけている様態

また、フランスを中心としたヨーロッパの歴史やその継承のあり方を学んだり意義づけたりするのみならず、日本の歴史を多く学んだり調べたりしながら、ルーアンの日仏協会の若者たちと意見交換をしたり、リヨン第3大学の学生たちとワークショップを行ったりした。最後に、現地訪問や個人調査を通じてえた成果をもとに、学生たちはレポートを執筆し、事後学習でそれらレポートについて合評会を開催して議論を交わした。

以下、「フランス FS 」の一部を撮影した写真である。

パリ・マレ地区にあるショアー博物館でショアーについて学ぶ。このあと、パリ郊外ドランシーにある分館(ドランシー収容所跡地)も訪れた。

オック岬(左)、オマハ・ビーチ(中)、米軍墓地。ノルマンディー上陸作戦とその記憶について学ぶ。

ル・アーヴル市の戦後復興と都市計画に大きく寄与したオーギュスト・ペレとその建築・都市計画について学習した。

リヨン市では、ホロコーストのみならず、レジスタンスについてもレクチャーを受け、リヨン第3大学日本学科の修士課程学生とワークショップも行った。

参加した学生の感想

人間環境学部3年(参加当時2年)
井上 広樹

「本フィールドスタディでは、フランスにおいて、第二次世界大戦の「記憶」がどのように意義づけられ継承されているか、を理解することが目的である。」
全く頭に入ってこなかった。単語や文章の意味は分かるのに、趣旨に親近感が湧かない。参加のきっかけは本当に些細で、このフィールドスタディ(以下、FS)の担当教員の一人が私の第2外国語の担当教員でもあり、第2外国語の講義内で宣伝されたことだった。ノルマンディーをはじめ、高校世界史で学んだあれこれが起きた場所を、研究者と共に回ることができる機会というのは大学ならではのイベントであり、これを逃すまいと考えて参加を決めた。後述するように、テーマに関連した自分の中での目的をもって参加を決めることの方がFSで得るものは遥かに多く、私のように旅を目的に参加することはお薦めできない。
当初は趣旨を理解できないほどに、自分が戦争を含めた”歴史”に無関心であり、「記憶」について考えたことがなかった。FSを通じて、そのことを認識できただけでも、私は参加して得た学びがあったと言える。

私が思うに、FSは現地に赴くことよりも事前/事後の学習の方が重要である。今回参加したフランスFSの現地における行程が素晴らしく豊かであったことは言うまでもない。まさに五感を感じる(使う)学びだった。しかし、FSにおける現地の行程は、あくまで知識の復習であり、実際に行って何かを確かめるためのものだ。
実際、FSの趣旨や、担当教員が見せたい景色を私が把握したのは事前学習の時である。事前/事後学習は、教員が、参加している学生それぞれに対し、多くの時間を費やし、言葉を尽くして様々な素材や伏線を撒く、貴重で有難い時間だった。撒かれた種を拾い集めて自分に蒔き直すことが事前学習の肝であり、それらをできる限り多く根付かせることが、現地訪問でできることである。こうした私なりの意味付けから、私は事前/事後学習の重要性を訴えるとともに、(特に海外)FS参加を希望する諸氏には、旅行それ自体を参加の動機にしないことをお薦めする。

このFSでは、「歴史というものは変わるし、変えられる」という考え方が一貫して念頭に置かれ、そうした目線で問われてきたと思う。
たとえば、2番目に訪れたルーアンの街には、ジャンヌ・ダルク歴史館がある。そこでは、ジャンヌ・ダルクが火刑に処される根拠となった異端審問と、後年の復権裁判とを、プロジェクションマッピングを用いて没入的に追体験できた。ジャンヌ・ダルクの歴史を目の当たりにできる面白い展示だった一方で、ジャンヌ・ダルクの歴史は誰が何の意図で綴ったものかと考えながら展示を受け取る視点も欠かすことはできない。ジャンヌ・ダルクがした事やされた事が同じだとしても、時の権力や教会によってその解釈や評価(いわゆる歴史)は変わることがある。
このように、仮に「客観的事実」が不変だとしても、歴史は常に一定とは限らない。それは、歴史は勝手に連なるものではなく、必ず誰かによって紡がれるものだからだ。少なからずこの目線をもって知覚したフランスでの経験は、非常に目新しかった。現存する記念碑やモニュメントはいつ誰が何の意図で建てて、どんな歴史を表象しているのかを考えると、いままで日本国内で見てきたさまざまな歴史的建造物を見る目も変わってくる。フランスFS期間中に交錯した思考のあれこれは、きっとおそらくたまに思い出されては、味が長続きするガムのように噛みしめられることだろう。

人間環境学部4年(参加当時3年)
片山 いつき

2025年、日本は戦後80年を迎える。フランスFSのテーマであった「戦争の記憶をいかに継承するか」という問いは、今後ますます重大な問題として私たち戦後世代の前に立ち現れるだろう。
しかし、この問題を「私」を主語として考えられている人はどれほどいるだろうか。この問題に関心がありフランスFSに応募した私自身も、「私がいかに戦争の記憶を継承するか」という意識は薄かった。

フランスFSでは、数カ月の事前学習期間と約2週間にわたる現地学習を通して、フランスを中心にヨーロッパの戦争の記憶が誰に、そしてどのように継承/忘却/発見されてきたのかを学んだ。その背景には、自分や自分を含む集団がどうありたいのかというアイデンティティの問題が関係していた。これは、実際に現地の戦争資料館や記念碑を訪れたり、フランスで暮らす方々とお話しすることで、より強く感じられた。フランス共和国の成り立ちとそこから生まれた精神は、今でもフランスに暮らす方々に浸透しているようだった。この経験は、翻って、自分自身や自分が暮らす日本という国の在り方を考える契機となった。

フランスFSでは多くの学びと気づきを得たが、「私がいかに戦争の記憶を継承するか」という問題に今すぐ答えを出すことはできない。ただ、先の大戦の多大なる犠牲と喪失から何を学び、社会の一員として今後どんな社会で生きていきたいかを考え続けることの重要性を自覚できたという点で、フランスFSに参加して良かったと思う。