2016年度

7月

2016年度

7月30日(土)

終日、後援会郡山支部総会・父母懇談会でした。設立50周年ですので、行って参りました。

7月29日(金)

市ケ谷キャンパス55年館1階の511教室が間もなく取り壊されます。511は、多くの人が惜しんでいるこの55・58年館の象徴ともいうべき大教室で、この日、別れを惜しむフェアウェルイベント「GoodBye 511」を開催しました。私も学生時代に、よく入った教室です。授業を受けるだけではなく、学生運動の集会、とりわけ総長団交に使われたのです。中村哲総長とじかに会える、唯一の場所でした。

誰も来て下さらないかも知れない、と思っていましたが、多くの卒業生が集まって下さって教室はほぼいっぱいになり、熱気に包まれました。会場の外には「55/58きおくプロジェクト」の写真パネルが掲示され、場内では学生たちが制作した「55・58年館メモリアル写真集」が紹介され、座談会では話が盛り上がり、時間がいくらあっても足りません。協力くださった学生、先生、名誉教授の方々、建築関係の方々、そして文化庁の方に、深く感謝いたします。とりわけ、設計者・大江宏名誉教授のご子息で、この日も座談会に参加して下さった大江新名誉教授には、記憶を大切にすることを学生と私たちに教えて下さったことを、心より感謝申し上げます。

こうして、法政大学は新しくなるために、ひとつずつ何かを手放していきますが、それでも大学が「思い出す場所」であり続けるように、新校舎のあちらこちらに記憶の断片を埋め込んでいきます。

7月28日(木)

昨年亡くなった現代の浮世絵師、立原位貫(たちはら・いぬき)氏の展覧会があり、時間の隙間を縫って行ってきました。ほぼ同じ年齢の才能ある知人が、こうして亡くなっていきます。立原さんは、若い頃はテナーサックス奏者でしたが、浮世絵に衝撃を受け、独学で浮世絵師になりました。板も紙も色彩の素材も分析して可能な限り江戸時代に近づけ、実に美しい復刻を制作するとともに、清新な新作も作りました。現代の歌舞伎役者を浮世絵化した作品もあり、なかでも十五代目片岡仁左衛門の大首絵は傑作です。私は立原さんを通して、改めて浮世絵の迫力を感じ取りました。雑誌の対談で京都の工房をお訪ねしたときには、完璧にしつらえられた空間と生き方がぴったりと重なったありように心打たれました。ご自身に厳しい方だったのだと思います。

7月22日(金)~24日(日)

毎年日本IBMが場を提供して下さる、「天城学長会議」でした。国公私立の学長約50人が伊豆の天城に集まって集中討論する場です。私は中心となる世話人会のメンバーでもあり、今年のテーマは私の提案を入れて「日本の大学のブレークスルーをめざして―学位プログラムと教育研究組織を考えると」になったため、趣意書も書き、分科会や総括討論の司会もするという忙しさでした。

最初の講演が、教育研究組織の分離を最初におこなった筑波大学の、現在の学長である永田恭介教授で、しかも「文科省や経済界にまかせておくのではなく、大学が結束して教育のグランドデザインを提言すべきである」というアジテーションとも言うべき趣旨でしたから、その後の討議はいやがうえにも盛り上がりました。発言しない学長はひとりもいないこの会議は、国公私立大学の具体的事例を聞くことのできる稀な機会で、法政大学の今後を考える上で、実に有効な時間でした。

7月21日(木)

かつてティファニー財団賞という賞がありました。日本国際交流センターとティファニー財団が、日本の地域の伝統文化を顕彰するために、2009年から2013年に設置していた賞で、審査員は、新国立競技場の設計をおこなった隈(くま)研吾さん、東京藝術大学の日比野克彦さん、森美術館館長の南條史生さん、そして私でした。その成果をまとめた本が出された機会に、この日、日本国際交流センターと審査員たちが集まりました。なかなか調整がつかない人ばかりが、この日2時間だけ集まれることになったわけで、久々に会話がはずみました。

審査でお世話になった日本国際交流センター理事の毛受(めんじゅ)敏浩さんは、『人口激減―移民は日本に必要である―』(新潮新書)を2013年に出して、日本では抵抗のある「移民」という可能性をつきつけたかたです。その毛受さんがこのたび『自治体がひらく日本の移民政策―人口減少時代の多文化共生への挑戦』(明石書店)を出版しました。留学生をどう迎えるかを考える大学としても、日本で生きていく外国人に向き合わなくてはなりません。

7月19日(火)

私立大学連盟の常務理事会、理事会がおこなわれたこの日、上智大学の早下隆士学長より、上智大学で字幕を完成させたDVD『聖ヨハネ二十三世・平和の教皇』をいただきました。以前、やはり上智大学で字幕をつけた『カロル――教皇になった男』をラジオ番組で紹介したことがあり、パンフレットの文章を依頼されたのです。どちらのテーマも「平和」です。ヨハネ二十三世はキューバ危機の回避や、宗派を超えた「第二バチカン公会議」の開催で知られています。

7月17日(日)

愛知サマーセミナーの特別講演者として、東海学園高校で講演をしてきました。愛知サマーセミナーは、海の日を利用した7月の3日間ほどの期間に、2000を超す講座を無料で一挙に開くという催し物です。大学、高校、その父母会や組合、病院や予備校、企業がスポンサーとなり、講演者の世話人は高校の先生方です。短期間とは言え、知的な好奇心を軸に多くの人を集める企画には迫力があります。

7月16日(土)

水戸で、茨城県後援会総会・父母懇談会。応援団の皆さんが来て下さいました。応援団もこの季節は日本全国、忙しいですね。夜のうちに名古屋に移動。明日の講演のためです。

7月15日(金)

「法政学への招待」今学期最後の回です。毎年「これからの法政大学をどうしたい?」という問いに、グループディスカッションでアイデアを出し、総長賞と、学生たちによる投票をおこないます。
選ぶのが難しかったです!総長賞には、プロジェクトを立てて学部を超えた募集をするアイデアを選びました。

7月14日(木)

リオデジャネイロ・オリンピックに、本学の卒業生と在校生8人が出発します。その壮行会が開かれました。多くの報道機関が集まりました。「ここまで来るには、自分を律する高い能力と、自分を治める知力が必要だったはず。その能力と知性は社会で活かせます。ぜひオリンピック後も日本と世界に貢献して下さい。元気で帰って来て下さい」と挨拶。充分頑張って来た方たちに、「頑張れ」とはあまり言いたくありませんでした。めったにない機会です。存分に楽しんできて下さい。

7月13日(水)

9日に、秋田の作家で私と同じ歳の、簾内(すのうち)敬司さんが亡くなり、この日は葬儀でした。秋田の合宿で、ゼミ生たちが何年ものあいだ、お世話になったかたです。しかし私は常務理事会があって秋田まで行かれませんので、簾内さんと親しくしていた、田中優子事務所(今は解散)のスタッフに行ってもらいました。簾内さんのご著書は9冊、本学の図書館に入っています。私が以前、ご著書について書いた文章を添付します。

同じころ、永六輔さんの訃報も届きました。舞台での催し物やラジオ番組に呼んでいただき、佐渡での対談をお引き受け下さったこともあり、一緒に選挙の応援カーに乗ったこともあります。どちらの訃報もたいへん悲しく、しかし同時に、友人たちを失う年齢になったのだと気付きました。もちろん、私自身も、いつどうなるかわかりませんが。

7月12日(火)

大学ポートレート会議に、大学基準協会理事として出席しました。大学ポートレート私学版は、日本のほとんどの私立大学が情報を載せています。大学の名前がわからなくとも、調べたい言葉で検索でき、どの大学に関連する学部や学科があるか、わかります。大学関連用語辞典も入っていて、なかなか便利です。国公立版もあります。しかし、アクセス数は今ひとつ。どうすれば皆さんに使っていただけるのでしょうか。この日の会議では、英語版の検討がスタートしました。日本の大学名になじみのない海外からの検索には、とても役に立ちそうです。

7月10日(日)

福島に移動しました。後援会福島支部の50周年です。懇親会では、まだ避難生活が続いている川俣町の、山木屋太鼓のメンバーが演奏してくれました。川俣町の古川道郎町長は校友で、箱根駅伝の選手でした。

7月9日(土)

いよいよ、本学学生の父母・保証人の組織である後援会の支部総会の季節が始まりました。私は周年行事のある総会をまわって「自由を生き抜く実践知」を講演します。この日は盛岡で、50周年を迎えた岩手県支部総会に参加しました。校友である陸前高田市議の畠山恵美子さんも来て下さいました。
 

7月8日(金)

私立大学連盟の代表として、東京都女性活躍推進会議に出席しました。女性の非正規雇用比率の高さや、昇進を拒否する傾向があることなども、話題になりました。そのなかで私は、本学のダイバーシティ宣言について話すとともに、教育の過程で、男女の対等への努力や、女性が責任を担うことの意味などについて、教える機会がないことが課題だと述べました。大学でもダイバーシティについての授業はありますが、全員が履修してはいません。キャリア教育や英語教育と同じように、全学部がダイバーシティの意識を持てるような授業の導入をすべきだろうと思います。

自校教育科目「法政学への招待」の講義をおこないました。自分が勉強したり働いたりしている組織のことを知るのは、意味あることです。大学の特徴を知った上で、自分の能力、意欲を高めるためにその知識を活用できるからです。多くの教員が、社会に向き合って執筆、発言していることが、法政大学の特徴です。先生方の考えに耳を傾け、それをばねにして、自分の考え(言葉)を作っていって下さい。

7月6日(水)

例年のとおり、全米州立大学連合の先生方が訪日し、本学を訪問なさいました。米国の学生たちに、外国とくにアジアに関心をもって欲しいと思います。これからのアメリカは、アジアとの連携なしに生きていくことはできないでしょう。広島にも寄るそうで、法政大学出版局が『ヒロシマ』の刊行で出発したことや、沖縄文化研究所が復帰の年に設立されたことを話しました。帰国してぜひ伝えて欲しいと思います。

7月2日(土)

国際日本学インスティテュートの博士論文公開面接がおこなわれました。猪俣佳瑞美さんの『鉢植えの文化論』です。人文科学には、まだまだ研究されていない分野があります。庭園研究はありますが、鉢植え研究は未開拓でした。江戸時代における発展はもちろん、西欧古代社会から現代の映画に至るまで、分析できるものがたくさんあります。鉢植えが何の象徴として使われているかを丁寧に分析した論文でした。

毎年おこなっている集英社の開高健ノンフィクション賞の審査委員会がありました。本学経済学部教授の藤沢周さんHOSEI ONLINEで対談した政治学者の姜尚中さん、ドキュメンタリー映画監督の森達也さん、脳科学者の茂木健一郎さんと一緒に、毎年審査しています。今年も意見が分かれて激論。最終的には、フリージャーナリスト工藤律子さんの『マラス−−暴力に支配される少年たち』に決まりました。ホンジュラスのギャング団の話です。犯罪と暴力の加害者になる子供たち、そこから抜け出していく子供たちを書いています。「イスラム国」の世界にもこういうことが起こっているのかも知れません。刊行をお楽しみに。

7月1日(金)

赤堤にある編集工学研究所で、「ハイパーコーポレートユニバーシティ」が開催されました。「AIDA」というニックネームをもつハイパーコーポレートユニバーシティは、三菱商事とリクルートの有志が同研究所の松岡正剛所長に講義とコーディネイトを依頼して、2005年に開講したリーダー育成のための塾です。「AIDA」とは、近代と現代、社会と情報、公と共と私、イメージとマネージなどの「間=AIDA」のことで、デュアルなものの両端を叩かないことには物事は見えてこない、という松岡正剛所長の思想と方法に由来します。

ハイパーコーポレートユニバーシティは継続していますが、この日は正確に言うと、すでに参加して卒業した人たちと、講師を務めてきた人たちが集まるシンポジウムのような同窓会です。元格闘家の前田日明さん、武道家の坪井香譲さん、社会学者の大澤真幸さん、脳神経学者の中田力さんなどの実に興味深い話を聞けました。大学関係者でない人々の深い経験に裏打ちされた話から、多くを学ぶことができました。