2018年度

3月

2018年度

3月31日(日)

サンデーモーニングに出演した。
深刻化している日韓問題では、政治利用やマスコミの扇動に巻き込まれず、いかにより高い視点から戦争の問題を認識するかが重要だと話した。中国の一帯一路がヨーロッパに影響を与え始めているという問題については、「支援」という名の借金の返済が不能となった途上国の港湾の軍事基地化について話した。東京福祉大学の「消えた留学生」問題も、明日から施行される改正入国管理法の実施のしかたも、イスラエルの民族主義への傾斜も、ダイバーシティとは逆行する動きばかりである。とくに大学の留学生受け入れについては、数値目標ではなく、教育の質を基準にする方向に移行すべきだろう。
改元については、番組司会の関口宏さんが始まる前に各コメンテーターに「意見はあるか」と聞いたところ、続々と出て来てしまい、時間が無くなるのでコメントを求めるのをやめたのが面白かった。今後、ゆっくりしっかり意見を出し尽くすべき問題だ。

3月28日(木)

東京都の「女性も男性も輝くTOKYO会議」に、私大連代表として出席した。

大学に戻って学生センターと意見交換をした。本学のボランティアセンターで活動する学生たちの様子を聞いた。たいへんな勢いがある。活動領域は熊本県、岩手県から、各キャンパスのある町田市相原、小金井市、千代田区に広がる。岩手県では物的な被災地支援から、被災者どうしの関係をつなぐ役目に変わっている。深い配慮と地域への理解があるようだ。相原での活動も、多様で継続的になっている。HPでも配信しているが、裾野は非常に広い。ボランティアサークルの活動は長くおこなわれていたが、それらの情報をつなぐボランティアセンターが発足して来年度で10年になる。今までの活動を発信するために何らかのまとめをしたい、というのはもっともなことだ。一緒に考えたい。

3月27日(水)

常務理事会を開催し、4種類の常務理事会懇談会を開催した。
北海学園大学との協定調印式がおこなわれた。学生交流協定である。これで、沖縄に次いで北海道とも、学生が行き来できる仕組みができた。

3月26日(火)

多摩キャンパスにおいて(市ケ谷キャンパスとも遠隔でつなぎ)「多摩キャンパスの将来に向けたプロポーザル」の発表会がおこなわれた。教職員から16もの発表があり、活発な議論になった。24時間キャンパスの実現を柱に、アクティブラーニングを促進する教室設計、スポーツ新拠点としての学・住一体型キャンパスの構築、産官と連携した教育のためのメディア・ラボやメディア工房の設置、学部事務組織の統合など、実現可能性を感じさせる具体的な提案を聞くことができた。多摩キャンパス再構築がいよいよ具体的な計画になっていく。

3月25日(月)

外濠再生懇談会が主催し、本学と東京理科大学が共催したシンポジウム「地域から外濠の再生を考える」が本学で開催された。この懇談会を柱に、外濠の水と文化の再生をめざして、学校、大学、地域行政、市民の連携が広がっている。この中心で動いてきたのが、2004年に開設された法政大学エコ地域デザイン研究センターである。2013年には外濠市民塾ができ、2016年には外濠再生懇談会ができた。

この日は「外濠文化の可能性」と題した私の講演と「グローバル都市東京における外濠・神楽坂」と題した松本洋一郎東京理科大学学長の講演、「外濠再生憲章」についての福井恒明法政大学教授による説明に続いて、陣内秀信法政大学特任教授、宇野求東京理科大学教授、神楽坂文化振興倶楽部の飯田公子氏、高梨幸彦富士見地区町会連合会会長、吉田珠美三輪田学園校長、そして地域企業であるKADOKAWAの玉置泰紀氏によるパネルディスカッションがあった。

このなかで「外濠vision2036」が発表された。2036年は外濠が開削されてから400年になるのである。そのなかに描かれた「外濠四季絵巻」はとても楽しい。停滞している水が、多摩川とつながって流れる水となる。飯田橋の牛込見附御門が再生される。舟運が復活する。そして、あの大騒ぎの「ハロウイン」が、「江戸ウイン」になって、その日は皆が着物を着て仮装している、という未来図だ。外濠は江戸時代の水と風景に近づきながら近未来に開かれる、という構想である。

法政大学の敷地には19軒の旗本屋敷があった。隣の東京逓信病院は福島藩板倉家の上屋敷だった。外濠の向こう側の神楽坂を上がると牛込台地が広がり、そこは幕臣の旗本や武士たちの大小の屋敷がぎっしり集まっていた。だからといって武家文化地域ではない。ここの武士たちは町人とともに浮世絵や狂歌の連を作り、それが、彼らの未来である今日に、代表的な江戸文化として残ったのである。外濠のネットワークは、行政指導によるものではなく市民の文化・環境運動であるが、多くの組織を巻き込みながらひとつずつ実現されていくはずだ。

3月24日(日)

2018年度学位授与式をおこなった。前日は花冷えでとても寒かったが、この日は日差しがようやく暖かくなり、春らしい学位授与式となった。年々、武道館内の景色が華やかになっている。着物・袴を着る学生が多くなっているようだ。例年の通り、本学で学んだ留学生と派遣留学経験者の卒業を祝う会にも出席した。卒業生の皆様、おめでとうございます。

3月23日(土)

法政大学校友会のパートナー組織である法友体育会主催による「第13回 体育会卒業生を送る会」が開催された。今年度、スポーツでめざましい成績を挙げた学生だけでなく、学業成績や貢献によっても表彰した。チームワークの意味を理解している学生たちである。私からは、「皆さんが学んだのは指示に従い従わせることではなく、自ら考え決定することだったはず。その能力を活かして欲しい」と話した。社会を良い方向に導いてくれるに違いない。

3月22日(金)

今年度最後の学部長会議を開催した。年度の最後はほぼ半数の学部長が交代になる。どこか寂しい。学部長会議は激しい議論にもなるが、だからこそ課題を共有している。学部教授会と大学とのあいだに板挟みになる学部長の苦しい立場もよく理解できる。皆さんほんとうに、よく職務を尽くして下さった。感謝している。この2年間、唯一の女性学部長であり、ダイバーシティ推進を担ってくださった武石恵美子キャリアデザイン学部長が去るのはとりわけ残念だが、ほかの場面でこれからも一緒に働けるだろう。

3月20日(水)

常務理事会を開催した。

1919(大正8)年に大阪で大原孫三郎氏によって創立され、1949年に法政大学と合併した「大原社会問題研究所」が、今年で100周年を迎えた。それを記念してこの日、「創立100周年・法政大学合併70周年記念シンポジウム」が開催された。大原社会問題研究所は、社会科学分野では日本でもっとも古い歴史をもつ民間研究機関である。これからも百年史編纂事業など、いくつかの事業が計画されている。とても楽しみだ。

3月19日(火)

日本私立大学連盟の理事会と総会があった。拡大政策研究部門会議の座長としてとりまとめた、「新たな時代の就職・採用のあり方と大学教育」が採択された。

集英社新書編集部の伊藤直樹さんと、ライターの宮内千和子さんが来室。石牟礼道子論の語り下ろしの、最終回である。宮内さんと言葉を共有できるので、良い本ができると確信した。

3月16日(土)

55・58年館建て替え工事/大内山校舎竣工式をおこなった。式のあとで校舎内を見学した。学生たちの順調な移動や職員たちの働きやすさなど、より安全な校舎が出来上がった。55・58年館がなくなるのはとても残念だが、大江宏先生のデザインの一部を活かしてくださった。オリンピック前のたいへんな時期に、間に合わせてくださった施工の方たちに感謝。

午後は、例年の、法政大学を卒業したマスコミの方々、あるいは内定をもらっている在学生などで構成するマスコミオレンジ会が開催された。大内山校舎竣工を伝えて挨拶をさせていただいた。

3月15日(金)

外部企業の取締役会に出席。大学に戻って、新入生向けのメッセージ動画を収録した。

私が担当してきた社会学部「比較文化論」の代講を長く勤めて下さり、本学国際日本学研究所でも尽力して下さった鈴村裕輔さんが他大学の専任教員となって法政大学を去ることになった。他大学の国際日本学を立ち上げるためである。そこで、国際日本学研究所の関係者でお祝いの送別会をおこなった。鈴村さんは野球史研究で著名な方で、著書もある。英語で学会発表や講義をおこない、本学の交換留学生プログラム(ESOP)でも長らく教えてくださった。ドイツ語、フランス語も堪能で、フルートの演奏家でもある。本学から離れることになったのがまことに残念だ。今後も日本学では協力していきたい。

3月14日(木)

昨年12月にオープンした神田明神文化交流館で、この日から法政大学江戸東京研究センターの研究員による連続講座「神田明神・江戸東京文化講座」が始まった。私は第一回目で、「江戸を使いこなす」という講演をおこなった。これから7月まであと7回の講演がある。江戸東京研究センターでご案内している。

午後は大学に戻って全学質保証会議、その後HOSEI2030推進本部会議を開催。
さらにその後、本学の機器・ソフトウエアのソリューションを担ってくださっている新日鉄住金ソリューションズの謝敷宗敬(しゃしき・むねたか) 社長と、副社長、事業部長、副事業部長が来室され、今後の提案など、意見交換をした。

3月13日(水)

常務理事会と理事会を開催した。その後、LU募金委員会も開催。

3月12日(火)

全学広報戦略会議を開催した。午後は、明治大学、関西大学との3大学協定にもとづく連携協議会・懇親会を実施し、その中で、「日本学」のテーマでおこなう新しい催し物を発案、協議した。土屋恵一郎明治大学学長と、芝井敬司関西大学学長とは、おめにかかるたびにとても充実した楽しい時間となる。

3月11日(月)

ミュージアム開設準備委員会を開催する。天城学長会議打ち合わせ。

3月9日(土)

川を中心にする佐原の街並みは、江戸時代の風情を残す日本文化遺産のひとつである。法政大学江戸東京研究センターがここで講演する要請に応えたのは、この街並みと祭の保存が理由のひとつだが、他にも理由がある。江戸文化は当時の全国をつなぐ流動化の中で作られたからである。東廻航路と西廻航路によって日本全国が結ばれ、大きな流動化の時代がやってきたとき、東廻航路を支えたのが利根川水系だった。佐原はその利根川から伸びる川の流域にあり、物流拠点のひとつだったのである。講演ではそのネットワークが江戸文化に及ぼした影響について話した。

佐原に行ったのにはもうひとつ理由がある。江戸時代、日本全国の測量事業を成し遂げた伊能忠敬が佐原の自治を担う名主だったのである。村が河岸として流通の拠点となった。そのために大量の商人が村に入り込んで来た。忠敬は決して村を閉じることなく外に開きながら守った。河岸問屋仲間を作らせて運上金を取ろうとする幕府の圧力に屈することなく、伊能家に残された記録類を使いこなして交渉し自由な取引を続けた。それらの経験全てが、その後、測量事業につながっていくのである。

3月8日(金)

学校長会議を開催した。その後、日本私立大学連盟の政策研究部門会議で、就職・採用問題を協議。終了後、千葉県香取市佐原に移動。次の日におこなう、法政大学江戸東京研究センターの講演とシンポジウムのためである。この日、佐原の古民家のレストランでフランス料理とワインをいただき、他の古民家に泊まった。江戸時代の人々もおこなっていた伝統の現代的転換である。

3月7日(木)

HOSEI2030推進本部会議の打ち合わせをおこなった。その後、定例の「グローバル戦略本部会議」および、学部長会議を開催した。私は副学長に進行の代理をお願いして中座。京都大学総長で日本学術会議会長の山極壽一氏に請われ、日本学術会議と経団連が主催する「Society 5.0に向けた産学共創のあり方」に登壇することになっていたからである。「これからの産学連携~私立大学の視点から」というテーマで講演をおこない、パネル討論にも参加した。

Society 5.0とは、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会の次に来る第五の超スマート社会を意味している。この催しものは「Society 5.0」を、社会課題を解決し価値を創造する社会にするために産業界と大学とがどのようなビジョンを共有して価値創造に取り組むべきか、を考えるためのものである。地方国立大学の立場で岡正朗山口大学学長が、産業界の立場で経団連未来産業・技術委員会産学官連携推進部会長の五十嵐仁一氏がお話しになった。パネル討論には山極壽一氏をはじめ、経済同友会副代表幹事の小林いずみ氏と、大阪大学理事・副学長の小林傳司氏が加わった。

「Society 5.0」についての共通認識と対策は、まだ科学技術研究に重心が置かれており、IoTやドローンやロボットがあれば社会課題が解決できるかのような考えが広がっている。そんなはずはない。超スマート社会はインターネットに身体的な負担を減らすなどの解決を委ねられるだけのことである。それができるからこそ、「それ以外」の領域で人にしかできないことを、もっと深めていく必要がある。その研究はこれからだ。

3月6日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会を開催した。
その後、例年の「賛助員の集い」を開催した。賛助員とは、本学学生のために多額のご寄付をして下さる方々のことである。卒業生がほとんどだが、本学の現役教員もおられ、さらに亡くなった卒業生のお連れ合い、亡くなった職員のお連れ合いなども賛助員になって下さっている。話がはずみ、毎年とても楽しい会になる。賛助員の皆様、いつも皆さまのお顔を思い出しては、温かい気持ちになります。感謝しております。

3月5日(火)

例年の定年退職者慰労会を開催した。日本私立大学連盟の常務理事会があった。

その後、4月1日公開予定のHOSEI ONLINEの対談をおこなった。今回は私からのたってのお願いで、小説家の飯嶋和一さんにおいでいただいた。本学の文学部出身。どうやら2年ほど私と在学期間が重なっていたようだ。小説を書き始めてからは、数えきれないほど賞をとっておられる。私は2000年に刊行された『始祖鳥記』以来、ずっと読み続けてきた。『黄金旅風』『出星前夜』『狗賓童子の島』も好きな作品だが、とりわけ昨年刊行された『星夜航行』は長篠の合戦からその背景にある大航海時代、東南アジア貿易、秀吉の朝鮮侵略とその失敗、江戸時代の朝鮮使節開始までを書いた大作だ。戦争の無意味と悲惨さを描き、徹底的に支配される側の視点に立つ。そこが素晴らしい。そのことをお話しすると「僕は庶民ですから」の謙虚な一言。滔々と思想を弁ずる、というかたではなかった。「自分にしか生きられない生き方をしたかった」という静かな語り口がとても素敵だ。

「東京文化資源会議」と、法政大学および江戸東京研究センターが連携できないだろうか、という相談で、前東京大学副学長で社会学者の吉見俊哉氏が来室。吉見氏とは『朝日ジャーナル』その他、かつて様々なところでご一緒していた。懐かしい。東京文化資源会議はあまりにも多様な活動をしているので、とてもここには書ききれないが、都市はハードのみによってではなく、人によって活性化するものだから、大変興味深い。江戸東京研究センターの横山泰子センター長、陣内秀信前センター長も同席下さった。江戸東京研究センターは、学外の多くの組織とつながることができるブランディングの要である。

3月2日(土)

名古屋に赴き、「名古屋国際センター」で講演をおこなった。愛知県と静岡県は、数十年も前から、働く外国人が多いところである。そこで1984年に最初の国際センターが名古屋にでき、外国人の相談に乗ったり、交流事業をおこなったり、外国人が住みやすい町を作るなど、様々な活動をおこなってきたという。この日の講演は、江戸時代のグローバリゼーションであったが、たいへん多くの方が集まってくださった。働く外国人がさらに増えるこれからの日本で、諸政策をリードする大事な組織だと思った。

3月1日(金)

「SDGsと大学教育」というシンポジウムをおこなった。本学は2014 年度に「スーパーグローバル大学創成支援事業」に採択された。その際のビジョンは、「課題解決先進国日本からサステイナブル社会を構想するグローバル大学の創成」であった。ミッションにも「本学の使命は、激動する21世紀の多様な課題を解決し、「持続可能な地球社会の構築」に貢献することである」という使命を謳っており、一貫して持続可能性をひとつの目標としてきた。「法政大学憲章」においても、持続可能性と多様性は重要な大学の目標になっており、2016年には「ダイバーシティ宣言」もおこなっている。これらはSDGsの17の目標と重なる。そこで昨年12月にはSDGsへの取り組みについて総長ステイトメントを出し、SDGsセミナー・シンポジウムの実施、SDGs履修証明プログラム、SDGsをテーマとした科目展開を提案した。今回のシンポジウムはその提案の実現である。

今回は「SDGsと大学教育」というテーマで国連、産業界、大学など、それぞれ異なる立場から大学教育に期待されることについて議論を深めた。国連の視点は根本かおる国連広報センター所長から、産業界の視点は宇野健司大和総研調査本部副部長から、海外大学の視点は古田元夫日越大学学長から、本学教育活動の視点は弓削昭子法学部国際政治学科教授から、それぞれお話を伺い、ディスカッションをしていただいた。

SDGsは企業も取り組みやすい目標であるから、その観点で批判もある。企業の道具になりはしないか、結局はお座なりになるのではないか、という懸念は私も共有する。実際、SDGsを海外進出の道具と考えている企業もあるようだ。しかし、グローバル企業は利益さえ上げれば何をしてもよい、というわけではない。その自覚と歯止めは重要に思える。SDGsの精神との矛盾を外から指摘することも可能となる。日本学術会議でも研究をSDGsと照らし合わせる活動をおこなっている。研究や企業活動が戦争や経済発展だけを目標にする可能性を考えると、SDGs全体の目標設定は理にかなっている。注意すべき点は、都合の良い項目だけをつまみ食いしない(させない)こと、全体の目標を実現する姿勢のみを是とすること、そして看板倒れにならないことであろう。