2016年度

12月

2016年度

12月20日(火)

本学教職員を対象にブランディング・ワークショップが開催された。大学憲章と「自由を生き抜く実践知」について話したあと、デザイン工学部システムデザイン学科の岩月正見教授によるLINE LIVEでのAR(拡張現実)実験を見て、さらに岩月先生からお話を聞くという、特権をいただいた。大学の毎日が産業界に開放されている様子は、まさに実践知。

12月16日(金)

シンガポール公共放送局のテレビ取材があった。日本人はなぜ「ものづくり」にマニアックで凝り性なのか?神田明神に伝統の神々と、パソコンお守りやアニメが共存できるのはなぜ?場を大切にして、人間関係のなかで自分の役割を果たそうとするのはどうして?面白い質問ばかりだった。オリンピックまでのあいだ、海外での日本関連番組は増えるだろう。

12月15日(木)

法政大学出版局の評議員会が開催された。法政大学出版局は一般の出版社のような株式会社ではなく一般財団法人で、評議員と理事で運営をおこなっている。1948年に設立され、以前にも書いたように、最初の出版は史上最初の原爆被害記録として知られるジョン・ハーシーの『ヒロシマ』だった。哲学・思想書の翻訳シリーズ「叢書・ウニベルシタス」や、「ものと人間の文化史」、現代社会を読み解く「サピエンティア」などのシリーズをもつ。私は「韓国の学術と文化」シリーズで、選定を担当していた。多くの出版賞を受賞しており、社会的評価は極めて高い。

この日席につくと、製本を終えたばかりの『ジャーナリスト後藤健二 命のメッセージ』がテーブルに置いてあった。映像ジャーナリスト栗本一紀さんの著書で、私が推薦文を書いた。後藤健二さんがシリアで亡くなってから、もうすぐ2年になる。栗本さんは後藤健二さんを書くにあたって、「ジャーナリストとはどういう職業か」を丁寧に書き込んだ。それが分かってはじめて、後藤健二が分かる、と言いたかったのだろう。そして、そのとおりだった。仕事とは何か。後藤さんは決して、イラクの子どもたちを感傷から撮ったわけではない。戦場に生きる「命」を撮ることで、戦争の本質を伝えたのである。『ジャーナリスト後藤健二 命のメッセージ』は、年末に発売される。

韓国の京畿大学の学長が訪問して下さった。韓国の大学でも、留学生のための英語による講義が盛んだ。アジア圏の大学は、英語学位プログラムの競争時代に入っている。日本語のできる留学生だけ教えるのは楽だが、それだけやっていたら、国内外の優秀な学生が減るのは目に見えている。まだ日本の技術や学術は信頼されている。これからは、英語と日本語のできるアジア人を育成する役割があるのではないか。

12月12日(月)

私が編集委員をつとめている『週刊金曜日』の、新年用対談をおこなった。対談相手は本学の法学部教授、杉田敦先生。テーマは憲法。法政がページを独占するので、ぜひ読んでいただきたい。

12月10日(土)

法政大学後援会クラブ設立50周年記念式典と懇親会が開催された。後援会が在学生の保護者の会であることは周知のとおりだが、学生たちが卒業したあと、後援会メンバーはOGOBの会に入ることができる。それが後援会クラブだ。そういう会が50年も存続していることじたいが驚きだが、それは後援会の楽しさや知的充実感があってのことだろう。そして法政大学への愛と応援を継続したいからだとも、言って下さった。後援会クラブのメンバーは、50代から90代まで、大いに楽しみながらとても明るく、在学生のためにさまざまな支援をして下さっている。もうお子さん達は卒業しているにもかかわらず、このたびは多大な奨学金を寄付して下さった。学生たちを支援し続ける皆さんの姿勢は、この格差社会で、若者を支える社会貢献だ。心からの敬意と感謝の念をお伝えしたい。

12月9日(金)

FDハンドブック(教育の質的向上に向けた法政大学教員による事例集)デジタル版が作られることになり、「自由を生き抜く実践知」をどのように授業で展開するかについて、動画収録した。配信は4月からになる。「自由を生き抜く実践知」はLine Liveでも作られ、ブランディング・ワークショップでも全学に配信され、著書『自由という広場』にも書いた。浸透するまでにまだまだやるべきことがある。

2018年度に向けて2017年度に配布する大学のパンフレットは、この時期に作成する。今日は大学院パンフレット用の撮影である。この時期、撮影や挨拶原稿の予定が次々に入る。

12月8日(木)

大学院自己点検懇談会がおこなわれた。今年は「留学生・社会人学生をどう受け入れるか」がテーマだった。留学生については全研究科が積極的に取り組んでいるが、日本語ライティング・センターの必要性と、メンタルヘルスケアの必要性が明らかになった。社会人受け入れは、キャリア・デザイン学研究科、経営学研究科、政策創造研究科、連帯社会インスティテュートが積極的におこなっていて、本学の社会人受け入れは全国で第3位である。これを通信教育部とともに、どう発展させるか、考えなくてはならない。

12月7日(水)

ベトナムFPT大学の総長が来訪して下さった。FPTとは「Corporation for Financing andPromoting Technology」の略で、IT技術の大学だ。株式会社であるFPTコーポレーションが設立したという。この大学では日本語教育にも力を入れていて、本学の日本語教育プログラムに、大いに関心を寄せて下さった。

12月6日(火)

バンコクにある泰日工業大学のポーンアノン ニヨムカ ホリカワ副学長とスパポーン国際部長が訪問して下さった。泰日工業大学は、日本の生産管理技術をタイに導入した泰日技術振興協会が母体になっている。卒業生たちは日系企業に就職するという。副学長は歴史の専門家で、ひとしきりアユタヤと日本の関係について話が盛り上がった。ポルトガル人と日本人のハーフによって、カステラ同様の菓子が作られ広まった話をして下さった。その人は日本を逃れて行ったキリシタンなのか?アユタヤの日本人町で生まれたひとなのか?アジア研究への好奇心が再び沸き起こる。

12月5日(月)

国際観光施設協会の依頼で講演をおこなった。観光に関わるエクステリア、インテリア、建築などの会社が集まっている協会で、「サンデーモーニング」でご一緒する造園家の涌井史郎さんが副会長をつとめておられる。私は江戸時代の旅のことや、ヨーロッパ人が日本に来て何に注目したかなどを、お話しした。江戸という大都会に広がる緑、常に笑っている人々、活発な女性たち、精巧でかわいらしい工芸品に注目したのである。カジノで遊ぶのを目的に日本に来る観光客はいるのか?

12月3日(土)

国際日本学インスティテュートの、私が主査を務める博士論文公開面接審査会が開かれた。この日面接を受けた礒ステファニーさんは、米国との二重国籍を持つバイリンガルで、ハワイ在住の沖縄人「オキナワン」の系譜である。研究対象もオキナワンのアイデンティティについてだ。来年度から本学のESOPで講義を担当することが決まっている。

その後、国際日本学インスティテュート博士課程論文中間発表会が開かれた。留学生が多いこの発表会は、ひとつひとつのテーマが大変面白い。

12月2日(金)

今日はHOSEI ONLINE対談の日。ワシントンDCで、シンクタンクの仕事をしている卒業生、根本亜紀さんに、一年に一度しかない帰国のあいまに会っていただいた。シンクタンクと研究者の間の調整をしている根本さんは、「この調整力は日本人だからこそ」と評価されている。いよいよ日本人の卒業生たちが、その能力の長所を活かして世界で働く時代が来ている。

夜は、本学野球部で監督と工学部教授をして下さっていた山中正竹氏の「野球殿堂入り」祝賀会があった。山中氏が在学4年間で残した通算48勝は、東京六大学リーグの最多勝記録という。その後、社会人野球の代表的な選手、監督をつとめ、ソウルオリンピック日本代表でコーチ、バルセロナオリンピック日本代表監督もなさった。アマチュア野球発展に尽くした功績により野球殿堂入りを果たしたのである。1000人もの人が集まっていた。多くの人に信頼され、愛されている。

12月1日(木)

経済産業省の「日本再考研究会」がおこなわれた。今年最後となる。「多重帰属型個人主義」「合意形成の新たな方法」「日米同盟を前提としない国際的な日本の立ち位置」がテーマだった。いずれも、欧米型ではない発想が必要で、非常に興味深い議論となった。この会議の特徴はIT関係の若い世代が入っていることで、AIやIoTが社会に何をもたらすかについて、ポジティブな視点が次々と入ってくるのが特徴だ。つまり、「AIと日本(とくに江戸)」がもたらすもの、である。