2016年度

4月

2016年度

4月28日(木)

長期ビジョンHOSEI2030の最終報告が完成し、ネットで全学をつないで、全学教職員に向けて報告しました。これからアクション・プランの作業部会が動き始めます。現場から実現のための声を、策定委員会に届けて下さい。ブランディング推進チームはすでに動きはじめています。「自由を生き抜く実践知」はいかなる研究と教育をさすのか、示そうと思っています。

4月27日(水)

『大学ジャーナル』の依頼で、国際基督教大学の日比谷潤子学長と、ボアソナード・タワーで対談をしました。テーマは「サステイナブル社会を実現するグローバル人材の育成」です。

本学はスーパーグローバル創成支援で「課題解決先進国日本からサステイナブル社会を構想するグローバル大学の創成」を掲げています。国際基督教大学の日比谷学長は、昨年度の卒業式で国連が策定した「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を取り上げておられます。このアジェンダは、2030年までに達成を目指す持続可能な開発の17の目標から成ります。貧困、飢餓、不平等の克服、医療と教育、平和と公正、持続可能な消費、技術革新、そして気候変動と環境に対する対策などです。

法政大学もサステイナビリティを環境のみならず、社会の安定的持続性、多様な文化の持続性を含めて発信していますが、国連の目標はより広範囲のものです。このアジェンダも意識していかねばなりません。

それぞれの大学の取り組みについて話しましたが、誰でもがとりかかれるサステイナビリティへの取り組みとして、たいへん面白いものを日比谷先生が紹介して下さいました。The lazy person’s guide to saving the worldです。皆さんもぜひ楽しんで読んで下さい。そして、できるものから実行して下さい。日比谷学長と私は、「続きを作りたい!」と盛り上がっていました。

夜は、紀伊國屋新宿本店で『自由という広場』(法政大学出版局)のための出版記念トークショーをおこないました。お相手は社会学部の金原瑞人教授。この本で「自由を人のかたちにするとこうなる」と書いたかたです。会場はぎっしり。卒業生の方々がたくさん見えて下さいました。サイン会もおこないました。みなさん、買って下さってありがとうございました。印税は大学に寄付されます。

4月25日(月)

オリンピックのエンブレムが、「組市松紋」に決まりました。市松模様は古代から使われていましたが、「市松」という名前になったのは江戸時代。江戸時代の着物の代表的な模様であるだけでなく、今回の藍色と白の色使いは、まさに江戸の粋です。宮田亮平委員長(文化庁長官)は「一色で寡黙でありながら多弁。日本人らしさを秘めている」とおっしゃっています。エンブレムは3種類の四角形を組み合わせて、そこから扇、団扇、桜などが浮かび上がります。立体的にも見え、動きも見えます。江戸のデザインが現代的に蘇ったわけです。

文化庁長官になった宮田亮平さんのことは、2015年の12月10日の総長日誌で紹介しています。新潟放送の新春特別番組でご一緒しました。

4月24日(日)

TBSのサンデーモーニングに出ました。熊本地震の報道が中心でしたが、ヨーロッパにおける難民の規制から、ブラジルはじめ南米で起きているさまざまな動きまで、世界全体が見えます。それにしても、世界の視点から見れば、日本列島の運命は変えられません。「戦争ができる普通の国」にはなれません。「原発に頼る豊かな国」にもなれません。この災害列島で生きる覚悟を決め、まずはすべての原発を廃炉にし、災害に強靱な国を作り上げることこそ、「持続可能な世界の構築」に役立つと、私は思うのです。

4月22日(金)

3キャンパスの部課長会議をネットでつなぎ、長期ビジョンHOSEI2030最終報告と、今年度に展開する長期ビジョンのアクション・プラン作業部会の報告をしました。今後も何度か、学内、学外に報告を続けていきます。

4月21日(木)

本日、台湾から「社団法人日本法政大学台湾校友会」の皆様が訪問して下さいました。企業や法人の代表をするなど、社会で活躍する方々でした。1980年代には、非常に多くの台湾からの留学生がいたということです。台湾ではこのように、独自の校友会を作って下さいました。台湾をかたどった法政バッジもいただきました。この校友会結成の動きが世界中に広がるよう、これからも校友や職員たちと努めていきたいと思っています。台湾の留学生は一時期減少しましたが、グローバル教育センターの努力で、また増えてきています。嬉しいことです。

4月16日(土)

熊本から大分にかけて14日から地震が続き、今日の未明の地震では大きな被害がありました。心よりお見舞い申し上げます。本学は家計支持者が被災した学生に、学業継続のためのできる限りの経済的な援助を含めた支援を行います。どうかあきらめずに学生センターに相談し、勉学を継続して下さい。

11日におめにかかった細川さんは、江戸時代に熊本城の城主であった、肥後細川家の18代当主です。その文物を収蔵した永青文庫は東京にありますが、熊本にはお屋敷がまだありますし、熊本県知事でもおられましたので、熊本城の惨状や熊本県の状況には、心をいためておられると思います。お見舞い申し上げます。

4月14日(木)

以前、『清流』という雑誌に連載をして『鄙への想い』という本にしました。その『清流』が、年配者は若者をどうサポートすべきか、という特集のインタビューに来ました。私は、「学び続けること」と「経済的支援」の2つを挙げました。

人は学ばずに年齢を重ねると、若かったころの社会のありようを基準に現在を判断します。何十年も前の常識で若者に助言したり説教したりするのは、若者にとってはただの迷惑です。常に社会を観察し、学び、本を読んで、時代の変化を知ることで、変わるものと変わらないものを認識し、次の世代に有効な助言ができるのです。

また、高等教育を受けたり留学するにはお金がかかり、それができる若者とできない若者に分かれています。裕福な高齢者は自分だけでお金を使うのではなく、若い世代の教育費の一部を負担したり寄付をすることで、次の世代を育てることができます。本学では冠(かんむり)奨学金が増えています。このような動きを広めていきたいと思います。

4月12日(火)

『週刊東洋経済・本当に強い大学2016』の取材を受けました。国際化が進み、女性が多くなり、志望者が10万人を突破した法政大学は、「次は何をするのか?」と注目されています。他大学との競争、世界の大学との競争について聞かれましたが、法政大学が向かう方向は、他と比較しながら競争に翻弄されるのではなく、法政大学そのものがもっている特色をしっかりつかみ、表現し続けることです。そこで、長期ビジョンで何を構想したか、法政大学はどういう大学であるかを、語りました。

大学院の授業が始まりました。今年の私のゼミには博士課程の学生が、休学中を含め9人います。その中の7人は外国人です。博士号を取得して活躍して欲しいです。

4月11日(月)

もと内閣総理大臣、今は陶芸家で画家の細川護熙さんのお住まい兼工房「不東庵」で、細川さんのドキュメンタリー映画の撮影を兼ねた花見の宴がありました。と言っても、客人は、江戸時代から続く庭師で、今は桜守(桜の木の医者)でもある佐野藤右衛門さん、江戸・明治文学研究者のロバート・キャンベルさん、そして私の3人だけです。

不東庵は湯河原の高台にある、決して広大ではないけれど、自然が凝縮している庭とお宅と工房で出来ており、茶室はツリーハウス様式です。私は何度か春の花見や晩秋の茶の湯の席にお邪魔しているのですが、庭に大島桜の見事なしだれの大木があり、その下でのいただくお茶はまた格別です。

靖国や九段や外濠など、都心のほとんどの桜はソメイヨシノです。この庭にソメイヨシノはありません。大島桜や山桜は交配で増える木ですが、ソメイヨシノは交配をせず、枝を接いで作るクローンです。「この桜には幹があるが、ソメイヨシノに幹はありません。枝だけなのです」という佐野さんの言葉に、キャンベルさんと私はびっくり。さまざま思い巡らすのでした。

4月8日(金)、9日(土)

福岡に出張しました。福岡県京都(みやこ)郡みやこ町豊津にある小笠原神社のなかに、大学令による法政大学が発足したときの第一代学長・松室致(まつむろ・いたす)の碑が建立され、9日の朝、その除幕式があったのです。

周知のように法政大学は1880年に設立されましたが、そのときは「東京法学社」という名前で、法律を教える学校でした。その後、和仏法律学校に発展し、法政大学という名称になりました。松室致学長はその法政大学の学長になりましたが、それから現在の市ケ谷キャンパス校地を購入し、文部省に届けを出し、その尽力の結果として、1920年に大学令による正式な法政大学となりました。そこで、法政大学の第一代学長は、松室致先生なのです。同時に国の司法大臣(現在の法務大臣)でもありました。

1928年、治安維持法に最高刑を死刑とする改訂がなされようとしたとき、松室学長は天皇の諮問会議でただ一人、「思想のみで死刑・無期懲役を科すのは間違い」と意見を述べたといいます。「自由と進歩」の校風を作り、現在の「自由を生き抜く実践知」の姿勢をもった学長であったことがわかります。

小笠原神社は、小倉藩主、小笠原家を守護するために建てられた神社です。松室致学長は小倉藩士の長男で、藩校で学んだ人です。藩校に由来する中学高等学校がすぐ近くにあります。また神社の隣にある「みやこ町歴史民俗博物館」には、夏目漱石門下の小宮豊隆の資料が収められています。夏目漱石門下の多くの文学者、哲学者が法政大学の教員でしたから、この博物館の展示も、大学にゆかりのあるものになっています。機会があればぜひ、この碑を訪れて下さい。

4月7日(木)

大学院の会議体が今年度から、研究科長会議という、中身をそのまままっすぐ表した新しい名称で始まりました。新しい研究科長に辞令を渡しました。新年度の学部長会議もスタートです。新学部長に辞令を渡す、という初めての試みが始まりました。学部長会議は、大学の教学上の課題を、教授会を代表する学部長たちがその能力を結集して解決する場所です。提案に対してはさらなる提案を返し、実り多い議論となるよう、皆さんに求めています。

4月6日(水)

常務理事会も新年度を迎え、新しい統括本部長たちが会議に列席しました。より活発な議論が取り交わされる会議体にしたい、と話しました。

4月5日(火)

新入職員の研修の一環として、講演をおこないました。約100倍の競争率のなか、法政大学の未来を託した若い職員たちです。体育会の催し物に出席したかのように礼儀正しくきっちりとした新入職員たちの姿勢を作って下さった職員の皆さまに感謝します。この空気は次第に柔らかくなるでしょう。そして、斬新な発言と提案が出てくる開放的な大学にするのは、私や理事たちの役目ですね。

4月4日(月)

付属校もそれぞれ入学式を開催しました。総長は3付属校の入学式を順番にまわります。今年は第二中学校の入学式と、第二高等学校の入学式で祝辞を述べました。新校舎そして共学化、という新しい出発です。女子中学生、女子高校生の加わった学校の雰囲気は、前向きで意欲的になったように思えました。

4月3日(日)

入学式でした。新入生の皆さん、入学おめでとうございます。午前と午後の二部制でおこない、NHKのテレビカメラも入りました。日本武道館はぎっしりで、保護者の一部の方は、立っていらしたようです。ご不自由をおかけしました。九段付近は花見客で混雑。昼食もままならなかったのではないでしょうか?受験生が大学始まって以来の多さとなり、その結果、入学者もいつもより多くなりました。市ケ谷キャンパスは改築工事中ですが、皆さんが事故なく、充実した学生生活を送れるよう、全力を尽くします。

また今年の入学式(午後の部)から、卒業後50年の方に声をかけ、出席していただくことにしました。皆さま、お越しいただきまして、本当にありがとうございました。式の空気がいっそう、なごやかなものになりました。

4月2日(土)

終日、新任大学教員研修会がありました。今年は、長期ビジョン策定の過程で作られた法政大学憲章を軸に、話をしました。若い先生も著名な先生も、法政大学に集まり、教壇に立って下さいます。今年はとりわけ、活気ある新学期です。

4月1日(金)

いよいよ2016年度が始まりました。今日は新入職員就任式、付属校新任教諭就任式があり、皆さんひとりひとりに辞令をお渡ししました。法政大学憲章で出発するこの年度は、新たな気持ちで向かっていきます。