2023年度

上京学生たちのガイドブック-明治期の「遊学案内」-

2023年度

明治時代、地方の若者たちが東京の学校に入学することを「上京遊学」または「東京遊学」と言いました。

明治20年代頃、江戸時代の全盛期を超えた東京の人口。名実ともに東京は日本の首都となっていくのです。現在の霞が関にあった各省は、それぞれ付属の学校を設置。例えば、司法省(現:法務省)の司法省法学校に士族層を中心とした若者が集まりましたが、官立の学校は一部のエリートしか通えませんでした。自由民権運動のうねりの中、法律を学ぼうとする若者たちが増えると私的な法学教育が始まり、法政大学のルーツとなる私立法律学校が誕生しました。

東京法学校(現:法政大学)、専修学校(現:専修大学)、明治法律学校(現:明治大学)、英吉利法律学校(現:中央大学)、東京専門学校(現:早稲田大学)の5校は当時、「五大法律学校」と称され、日本全国から多くの学生たちを集めました(❶)。学生らが手にしたのは、当時刊行されていた各種の「遊学案内」(❷)。そこには各学校の場所、授業科目、学費、教員陣のほか、東京の地図や交通事情、人力車の運賃なども紹介されていました。

  • ❶『東京五大法律学校連合討論筆記』(1889・1890年)

  • ❷各種「遊学案内」

「遊学案内」には共通して、冒頭に上京の際の心得が記されています。『東京留学案内』では「遊
学」における5つの要件を提示しており、具体的には第一にすぐに上京を考えずにまずは地方で実力を養成すること、第二に遊学した者は目的を忘れないこと、第三に学校をきちんと選ぶこと、第四に遊びほうけないこと、第五に健康に気を付けることとありました。また、同書の「東京法学校」の項には「本校ニ於テ政事ニ関スル事項ハ一切之ヲ講セズ」とあり、政治活動への接近に慎重だったボアソナード教頭の考えを知ることができます(❸)。

❸「東京法学校」の項目(『東京留学案内』1885年)

❸「東京法学校」の項目(『東京留学案内』1885年)

もとより、法政大学の創立者も、最新の「法学知」を学ぶために現在の大分県と京都府から上京した若者たちでした。その一人、薩埵正邦(さった まさくに)(❹)が述べたとされる「東京法学社開校ノ趣旨」(1880年)によれば、明治維新後の日本において今後は腕力の時代は終わり、法律を学び、普及させていくことこそが世の中を動かしていくとうたっています。

若者たちの「学ぶことへの意欲と情熱」こそが、次の時代を作り上げていくのでしょう。

❹薩埵 正邦(さった まさくに)

❹薩埵 正邦(さった まさくに)

HOSEIミュージアム 2023年度特別展示
都市と大学 ー法政大学から東京を視るー
2023年9月1日(金)~9月30日(土)
HOSEIミュージアム・サテライト市ケ谷(市ケ谷キャンパス 外濠校舎6階・BT26階)
博物館展示室(市ケ谷キャンパス BT14階)※ BTはボアソナード・タワーの略

制作協力:法政大学 HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『HOSEI』2023年8・9月号)