2022年度

沖縄を知り、考え、つながる 法政大学沖縄文化研究所創立50周年記念展示

2022年度

沖縄はかつて、「琉球王国」という一つの国でした。1879年に日本に併合されて沖縄県となりましたが、第2次世界大戦中に米軍の占領を受け、戦後は1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約によって、今度は米国の統治下に置かれました。沖縄の住民は権利が守られない生活を強いられ、日本への「復帰」を望む声が高まりましたが、「本土」側の関心は必ずしも高くありませんでした。

このような状況を憂慮し、市民の立場から沖縄の問題を広く世間の人々に訴えようと、英文学者の中野好夫が私財をなげうって開設したのが「沖縄資料センター」です。

同センターでは、全国各地の新聞から沖縄に関する記事を集めてスクラップしたり、当時、本土からの渡航にもパスポートが必要だった沖縄現地に出向いて資料を収集したりして、学生や市民にそれらを活用した学習の場を提供していました。

英文学者の中野好夫(1903~1985年)。1960年に沖縄資料センターを設立し、沖縄を知るため の資料収集と情報発信に取り組んだ

英文学者の中野好夫(1903~1985年)。1960年に沖縄資料センターを設立し、沖縄を知るため の資料収集と情報発信に取り組んだ

1972年に沖縄の施政権が日本に返還されることになり、沖縄資料センターが収集した大量の資料が本学へ無償で移管されました。これを契機に、琉球の領域であった鹿児島県奄美群島から沖縄県先島諸島までを対象範囲として、文化・社会に関する研究活動を行う機関として「法政大学沖縄文化研究所」が設立されたのです。

この研究所は、かつて社会学部と工学部が入っていた港区の麻布校舎に置かれ、初代所長には当時の中村 あきら 総長が就任しました。1981年に市ケ谷キャンパスの第一校舎へと移り、その後ボアソナード・タワー21階に移転し現在に至っています。

沖縄文化研究所には、長年研究所の守り神として鎮座している「シーサー」があります。これは、壺屋焼という沖縄を代表する「ヤチムン(焼き物)」の名工・島常賀の作品で、1977年に法政大学校友会沖縄支部から寄贈されたものです。宮古島産の石材トラバーチンが貼られた台座を含めると、高さ1メートル60センチもある大きなものです。また、「沖縄学の父」と呼ばれる 伊波普猷いはふゆうの自筆資料をはじめとする数多くの貴重史料も所蔵しています。

HOSEIミュージアムでは、沖縄文化研究所創立50周年を記念してテーマ展示を3カ所で開催し、ここでは紹介できなかった所蔵史料を含め、沖縄文化研究所のこれまでの歩みを紹介します。

  • 麻布校舎には、沖縄文化研究所を含め各研究所および法政大学出版局の看板が掲げられていた

  • 島常賀作の特大シーサー。シーサーは、沖縄で古くから屋根などに魔除けとして置かれてきた

法政大学沖縄文化研究所 創立50周年記念展示
「沖縄を知り、考え、つながる」
 期間:5月13日~ 8月26日

  • 九段北校舎1階(ミュージアム・コア)法政大学沖縄文化研究所50年の歩み
  • ボアソナード・タワー26階( ミュージアム・サテライト)首里城正殿の屋根2022展
  • 外濠校舎6階(ミュージアム・サテライト)
    写真展「よみがえる宮古島の祭祀-池間・佐良浜の神願い」

詳細:HOSEIミュージアムウェブサイト
新型コロナウイルス感染症の影響等により、日程や内容は変更になる可能性があります。
詳しくは上記ウェブサイトをご確認ください。

取材協力:法政大学沖縄文化研究所 HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『法政』2022年4月号)