本学の前身である東京法学校は、通常の講義の他に、さまざまな教育事業を手掛けました。その一つに、「講義録」による通信教育があります。これは今日の通信教育課程の先駆けとして評価することができます。
東京法学校が、通信教育を目的とした中央法学会を設立したのは1885年11月のことです。その2カ月前には、
こうした通信教育制度が普及し始めた背景には、近代的な郵便制度が整備され、郵送による迅速なやりとりが可能となったこと、そして、東京に私立法律学校を中心とした各種の学校が設立される中、それらの学校で教育を受けたいと願いながらも、経済的な理由などで上京できない多くの地方青年の存在がありました。中央法学会の規則第一条には、「本会ハ地方二在リ良師ニ乏シキ者又ハ東京ニ在ルモ学校ニ入ル能ハサル者ヲシテ法律ヲ研究セシムルノ目的ヲ以テ之ヲ開設スルモノナリ」とうたわれています。
中央法学会は東京法学校主幹の
1889年、東京法学校は東京仏学校と合併し、和仏法律学校と改称。中央法学会は解散しましたが、通信教育制度は同校の「校外生」制度へと継承されました。この「校外生」制度は、1890年、講師の春日粛を主任として発足したものです。G・E・ボアソナード、梅謙次郎、富井政章など当時の講師陣全員が授業を担当したことから評判を呼び、1892年に約5000人、翌1893年には約8500人と多くの校外生を集めました。
1916年、学校制度や出版物の普及などで「校外生」制度は廃止されましたが、第2次世界大戦後の1947年、法政大学は日本初の大学通信教育課程を開設し、現在に至ります。
取材協力:HOSEIミュージアム事務室
(初出:広報誌『法政』2022年6・7月号)