2022年度

明治期法政大学の講義録〜通信教育の先駆け〜

2022年度

本学の前身である東京法学校は、通常の講義の他に、さまざまな教育事業を手掛けました。その一つに、「講義録」による通信教育があります。これは今日の通信教育課程の先駆けとして評価することができます。

東京法学校が、通信教育を目的とした中央法学会を設立したのは1885年11月のことです。その2カ月前には、英吉利イギリス法律学校(現・中央大学)が、通信教育用のテキストである「講義録」を私立専門学校として初めて発行したばかりでした。1887年には専修学校(現・専修大学)が「校外員」制度、明治法律学校(現・明治大学)が「講法会」制度を開始し、私立法律学校では講義録による通信教育制度が黎明れいめい期を迎えます。

こうした通信教育制度が普及し始めた背景には、近代的な郵便制度が整備され、郵送による迅速なやりとりが可能となったこと、そして、東京に私立法律学校を中心とした各種の学校が設立される中、それらの学校で教育を受けたいと願いながらも、経済的な理由などで上京できない多くの地方青年の存在がありました。中央法学会の規則第一条には、「本会ハ地方二在リ良師ニ乏シキ者又ハ東京ニ在ルモ学校ニ入ル能ハサル者ヲシテ法律ヲ研究セシムルノ目的ヲ以テ之ヲ開設スルモノナリ」とうたわれています。

薩埵正邦による『財産法講義 全』(中央法学会蔵版、1887年)

薩埵正邦による『財産法講義 全』(中央法学会蔵版、1887年)

中央法学会は東京法学校主幹の薩埵さった正邦を会頭に発足し、発足間もなく、入会者は千余人にも及びました。1887年には、校外生から判事試験及第者21人、代言人(弁護士)試験及第者10人を輩出するなど、好成績を残しています。

1889年、東京法学校は東京仏学校と合併し、和仏法律学校と改称。中央法学会は解散しましたが、通信教育制度は同校の「校外生」制度へと継承されました。この「校外生」制度は、1890年、講師の春日粛を主任として発足したものです。G・E・ボアソナード、梅謙次郎、富井政章など当時の講師陣全員が授業を担当したことから評判を呼び、1892年に約5000人、翌1893年には約8500人と多くの校外生を集めました。

1916年、学校制度や出版物の普及などで「校外生」制度は廃止されましたが、第2次世界大戦後の1947年、法政大学は日本初の大学通信教育課程を開設し、現在に至ります。

  • 『 和仏法律学校講義録』第1学年第3号(1890年2月)。HOSEIミュージアム デジタルアーカイブで公開中

  • 「〔和仏法律学校〕講義録掲載科目及担当講師姓名」(1890年2月)

  • 和仏法律学校講義録「広告」(1890年3月)。北海道から鹿児島まで日本全国に校外生が存在していたことがうかがえる

取材協力:HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『法政』2022年6・7月号)