2018年度

Vol.105 能の技芸を伝承してきた「付」

2018年07月10日

2018年度

身体芸術である能は、時を超えて残る美術品などとは異なり、演じられるそばから消えていく芸能です。その能の伝承において中心的な役割を果たしてきたのが、師からの教えを書き付けた「付(つけ)」です。法政大学能楽研究所が、2月末から3月末にかけて開催した展示「能付資料の世界 -技芸伝承の軌跡をたどる- 」では、同研究所が所蔵する付関連の資料が公開されました。

最初期のまとまった付として知られる貴重な資料が『童舞(とうぶ)抄』(慶長元[1596]年奥書)です。作者の下間少進(しもつましょうしん)は京都・本願寺の坊官で、金春岌蓮(こんぱるぎゅうれん)に師事し、自らも名だたる武将らに能を指南していました。『童舞抄』は、主役であるシテがどこでどのように動くかを記した「型付(かたつけ)」で、上中下3冊に70の演目を収めています。

『童舞抄』。作り物の置き位置を記した『舞台之図』、秘伝や奥義を記した『叢伝抄』とともに、計5冊で一揃い

『童舞抄』。作り物の置き位置を記した『舞台之図』、秘伝や奥義を記した『叢伝抄』とともに、計5冊で一揃い

初期の型付は、能の詞章(せりふや謡)の一部を引用し、その部分の所作(動き)について一般的な言葉で説明する形式でした。時代が進むと、書き連ねた詞章の右側に、ちょうど漢字にふりがなを付けるように、所作を書き入れる形式も増えていきます。さらに所作を、文章ではなく、「ひらき」「打ち込み」などの専門用語で記すようになります。

藩主の能好きが高じて、付や伝書の書写に励み、新たな型付の編さんに取り組む藩もありました。

仙台藩五代藩主・伊達吉村の命で編まれたという伝書『真徳鏡』もその一例です。これには、型付の他、笛や打楽器のパート符に相当する囃子付なども含まれています。『伊達家旧蔵囃子付』も、同じく仙台藩お抱えの能役者が藩主に奉呈したもので、「中程迄御流シ被遊(あそばされ)」など最上級の敬語で記されているのが特徴です。

また、米沢藩に伝わった『上杉本金剛流型付』(全35 冊、享保年間)にはさまざまな書き込みがあり、能を習っていた藩士の覚書きを付き合わせ、不明点や相違点は役者に問い合わせていた様子がうかがえます。

このように能の付は、教わる素人側の熱意と、教える側の能役者の工夫によって進化し、次第に体系化されていきました。

  • 『真徳鏡』。舞台上の動線が濃い 朱や金泥で描かれている

  • 『伊達家旧蔵囃子付』。打楽器の 打ち方を示す「●」「▲」などの粒付 (つぶつけ)が判押しされている

取材協力:法政大学能楽研究所所長 山中玲子教授

(初出:広報誌『法政』2018年4月号)

これまでの「HOSEI MUSEUM」の記事は下記のリンク先に掲載しています。