2013年度

Vol.70 ボアソナード肖像画が語る-師への追慕-

2014年05月01日

2013年度

2010年、ボアソナード・梅謙次郎没後100年記念事業の一環として開催された記念展示に、ゆかりの資料とともにボアソナード・梅両博士の肖像画が展示されました。いずれも明治期に描かれた油彩画で、展示に先立って経年による傷みなどが修復されました。

ここで紹介するのは、そのうちのボアソナード肖像画。1950年代には本学総長室に掲げられていたと伝えられ、現在は図書館に保管されています。この肖像画の注目すべき点は、作者の飯田盛敏(熊蔵)がプロの画家ではなく、ボアソナードの教え子の一人であったこと。また、絵のサインから、描かれたのがボアソナードが日本での仕事を終えてフランスに帰国した翌年の1896年であることです。飯田は1870年東京神田に生まれ、1894年に本学の前身である和仏法律学校法律科を卒業しています。

日本における肖像画は、中国の影響の下でまず学問の場に登場したといわれ、江戸時代には、尊敬すべき学問の師を追慕し尊敬の念を示すため、その姿を肖像画として残すことが伝統としてあったようです。

ボアソナード肖像〔飯田盛敏(熊蔵)画 1896年 油彩・カンバス〕

ボアソナード肖像〔飯田盛敏(熊蔵)画 1896年 油彩・カンバス〕

ボアソナード肖像画も同様ですが、外部の画家に依頼するのではなく、教え子の中で絵心のある飯田が自ら筆をとり、写真や仲間の助言などを参考にしながら教え子たちの脳裏に色濃く残る恩師の面影をカンバスに描いたと想像されます。

このとき飯田は和仏法律学校を卒業して2年を経ており、ボアソナードの薫陶を受けた多くの卒業生たちの師への尊敬と感謝の思いが肖像画から伝わってカンバスの木枠に「和仏法律学校寄附 校友飯田熊蔵」の墨書が見える。また、肖像画の右上に「Par S.Iida, 1896」のサインがある飯田盛敏(熊蔵)(四日市市役所提供)くるようです。

飯田はその後、1901年に文官高等試験(現在の国家公務員総合職試験に相当)に合格し、青森・群馬・岡山・長崎各県の事務官を経て三重県四日市市長、台湾総督府参事官などを歴任しました。

仏文学、漢詩、剣道、乗馬と多趣味だった飯田の画才は、息子で洋画家の飯田清毅(1909~1972)に受け継がれたようです。

本学に遺されたボアソナードの肖像画を通して、学問とは、大学とは何か、そして教える者と学ぶ者の関係、まさに校歌に謳う「よき師よき友」の意味を再認識していただけるのではないかと思います。

  • 飯田盛敏(熊蔵)(四日市市役所提供)

  • カンバスの木枠に「和仏法律学校寄附 校友飯田熊蔵」の墨書が見える。また、肖像画の右上に「Par S.Iida, 1896」のサインがある

取材協力:
三重県四日市市役所・四日市市立図書館
法政大学史センター 江戸惠子、古俣達郎

(初出:広報誌『法政』2013年度3月号)

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