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法政大学では、これからの社会・世界のフロントランナーたる、魅力的で刺激的な研究が日々生み出されています。
本シリーズは、そんな法政ブランドの研究ストーリーを、記事や動画でお伝えしていきます。
これまで最も力を入れてきたのは、英語での詩の創作です。私の作品では「所在のなさ」が一つの大きなテーマとなっており、さまざまな土地を漂流する語り手の姿を描いています。
創作と並行して取り組んできたのが翻訳活動です。恩師と共に10年ほどの歳月を費やした瀧口修造の詩集翻訳をはじめ、近現代の日本の詩歌を英語に訳し、海外で発表してきました。
海外の書籍市場や教育現場を見渡すと、日本の詩歌の中でも俳句(Haiku)が圧倒的な認知度と人気を獲得していることに気づかされます。アメリカでは小学校から、五・七・五の形式で英語の俳句を書く授業が広く取り入れられているほどです。俳句がこれだけ海外で親しまれている背景には、英詩にはない極めて短い形式と、イメージに語らせる写実の魅力があります。
一方で、日本の近現代詩や短歌の豊かな伝統は、俳句に比べると英語圏でまだ十分に知られているとは言えません。翻訳を通して、その距離を少しでも縮めたいと思います。英詩にはあまり見られない形式や抒情を訳すことは、英語の詩そのものに新しい可能性を開く試みでもあります。SNSなどで言葉が瞬時に消費されていく時代だからこそ、書き手がいなくなったあとも残り続ける言葉を、創作と翻訳の両方から生み出したいと考えています。

また、教育者としては、大学の授業にクリエイティヴ・ライティング(英語による創作)を積極的に取り入れています。日本の英語教育では、受験英語の習得や「ネイティブスピーカーのようになること」がゴールとして掲げられがちです。ネット上でも、特にここ数年、「ネイティブはこう言う」といった動画が増えたように感じます。けれども、詩を書くときは、既存の正解や規範から抜け出し、その人にしかできない表現を見つけることの方が大事です。むしろ母語話者ではないからこそ、紋切り型の英語を壊し、自分独自の表現を生み出しやすい面すらあると思います。非母語で自らの内面や個性を表現する楽しさを、学生たちにも経験してほしいと願っています。
米国ノースカロライナ大学チャペルヒル校にて、現地詩人とともに第一詩集『Chronicle of Drifting』 刊行記念朗読会
米国ノースカロライナ大学チャペルヒル校訪問時、現地学生との交流
東京にて詩人・四元康祐さんと、第一詩集『 Chronicle of Drifting』 刊行記念朗読会(2025年4月)
文学部英米文学科のゼミ生達と2026年度春学期の打ち上げ
私が英詩の魅力に引き込まれたきっかけは、渡米して2年目の授業で出合ったシェイクスピアの「ソネット29番」でした。400年以上前の詩人が吐露する等身大の葛藤に深い共感を抱き、声に出して読んだとき、その言葉がまるで自分自身のもののように身体に入ってきたことを覚えています。また、「タタンッ、タタンッ」と弱強のリズムを繰り返す、英詩に特徴的な韻律にも惹かれました。
もともと音楽を聴くことが好きで、ビートルズのような60〜70年代の洋楽や、90年代のJ-POPを愛聴してきました。特にジョン・レノンのように、一度成功した作風に甘んじることなく、常に新しい表現形式を追い求める芸術家の姿勢は、私自身の創作スタイルにも影響を与えました。
研究者の道を選んだのは、詩という芸術の本質を追求し、表現の幅を広げるための自然な流れでした。シェイクスピアやキーツといった巨匠たちの表現の美しさに触れ、英語と日本語の違いに深く向き合う翻訳の過程を通して、多角的な視点で創作に臨めるようになったと感じています。文学の歴史や体系を学んだからこそ、現代を生きる詩人として自分はいまどう書くべきか、という問題意識も持てるようになりました。
詩人によってやり方はさまざまですが、私はあまり計画を立てず、とりあえず書きはじめるタイプです。テーマも決めない。場所と語り手だけは設定して、あとは言葉に引っ張られるまま進んでいきます。書いている最中に、自分の書いたものに驚かされれば、しめたものです。予期していなかった言葉やイメージ、記憶が現れると、まだ知らなかった表現や自分に出会えたような気がする。その驚きに重きを置いて書いています。
新しい表現との出会いは、ときに自分を取り巻く環境からも生まれます。コロナ禍には、人が少なくなった東京の街をさまよう語り手を設定して、散文詩を書きました。そのころから、「レタス」や「牡蠣」といった、それまで避けていた日常の細部を取り入れるようになりました。日常に閉じ込められるという困難な状況が、創作の語彙を広げてくれた時期でした。
第一詩集『漂流記』(Chronicle of Drifting)が全米批評家協会賞(National Book Critics Circle Award)のファイナリストに選出され、日本のメディアでも報道された際には驚きました。選評では、西欧のシュルレアリスムと日本的なモチーフを交差させながら、漂う自己や現代的な疎外感を表現している点を評価していただきました。この経験は大きな励みとなりましたが、関心は常に次の作品にあります。一篇を書き終えるたび、不安と期待とともに、また白紙に向かいます。
予期しない言葉に出会う喜びは、教える場でも変わりません。学生が英語で自由に書くなかで、その人にしか生み出せない表現にたどり着く瞬間に立ち会うことがあります。たとえば、「ほっぺたが赤くなり、そこからリンゴの香りが立ち上るようだ」という一節を書いた学生がいました。恋愛詩という書き尽くされたジャンルに悩みながら、17世紀の「シェイプ・ポエム(形態詩)」に着想を得て、文字の配置でハート型を描いてみせた学生もいました。正解のない問いに挑み、自分だけの言葉を見つけたときの学生の表情を見るのも、教える喜びの一つです。
全米批評家協会賞詩部門のファイナリストに選出された第一詩集『Chronicle of Drifting』(写真左)、Mary Jo Bang氏と共訳の瀧口修造詩選『A Kiss for the Absolute』(写真右)
全米批評家協会賞の会場にて他の詩のファイナリストとともに
今後の展望として、まずは第二詩集の完成に力を注ぎたいと考えています。小さな町で主人公がさまざまな人々と出会い、対話を重ねていく——物語性を帯びた作品で、詩と散文の境界を溶かすような形式を試みています。翻訳では、現代を代表する歌人・大森静佳さんの短歌の英訳に取り組んでおり、2027年にアメリカの出版社から刊行の予定です。北海道出身の詩人・吉田一穂を、恩師との共訳で訳す計画も進んでいます。また、小野絵里華さんやマーサ・ナカムラさんのような、異彩を放つ若い世代の詩人たちも、いつか訳してみたいと思っています。
翻訳は、言葉を別の言葉に置き換える作業ではなく、それ自体が一つの芸術だと思います。たとえば短歌を訳すとき、五七五七七という音数をそのまま英語に持ち込むことはできません。数を合わせることはできる。けれど、それは数えればわかるというだけで、耳には聞こえてこない。私が短歌の翻訳でもっとも大切にしているのは、上の句から下の句へと移っていくときに生まれる、思考と感情のリズムです。「手をあててきみの鼓動を聴いてからてのひらだけがずっとみずうみ」※という一首であれば、冒頭に現れた「手」が、歌の最後で「みずうみ」へと変わる。その瞬間、歌には書かれていない光景が浮かびます。さきほどまで手のひらに感じていた鼓動が、水面に波紋を広げていく。そうしたイメージの動きが英語でも生まれるように、語順や音の響きを何度も調整していきます。日本語の短詩型がもつ独特のリズムや抒情を英語のなかに持ち込むことで、世界の文学に新しい化学反応を起こせたらと考えています。
また、この秋にはサバティカル(研究休暇)で、スイスの文芸財団が主催する作家のレジデンシーに参加します。世界各国から集まる詩人や小説家、ノンフィクション作家と寝食を共にしながら執筆に没頭する環境で、自らのスタイルがどう変化するのか、今から楽しみです。これからも創作や翻訳を通じ、国境やジャンルを越えた新たな表現の探究を続けていきます。
※大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房、2018年)所収。
ウィリアム・アンド・メアリー大学で英文学を専攻。テキサス大学オースティン校ミッチェナーセンターでMFA(芸術修士)取得、ワシントン大学セントルイス校で英文学博士号取得。2019年より現職。主な研究分野は、英米モダニズム文学、現代詩、抒情詩の歴史と理論。第一詩集『Chronicle of Drifting』(Copper Canyon Press、2025年)が2026年1月、全米批評家協会賞詩部門のファイナリストに選出された。ほかに瀧口修造詩選『A Kiss for the Absolute』(Mary Jo Bangとの共訳、Princeton University Press、2024年)。英語で詩作を行い、『Poetry』『The Nation』『The Paris Review』などに作品を発表。大森静佳の短歌英訳集が2027年にCopper Canyon Pressより刊行予定。