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2021年度学位授与式 廣瀬克哉総長 告辞

  • 2022年03月24日
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2022年3月卒業生、修了生のみなさん。ご卒業、ご修了おめでとうございます。新型コロナウィルス感染症対策のため、入場者数を抑えざるを得ず、残念ながらこの場にご列席いただけなかったご家族の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

過去2年間の、みなさんの学生生活は、ずっとコロナ禍のなかにありました。学部卒業生にとっては大学生活の半分という、決して小さいとは言えない割合の時間が、さまざまな制約の中に置かれました。また、大学院修士課程修了生のみなさんの多くにとっては、大学院生活のすべてがコロナ禍の中だったということになります。大学、大学院への入学を決めたときの想定とは、大きく違った学生生活を送ることになり、それを経て迎える今日の卒業、修了です。学業の節目を迎えた充実感はもちろんあるものと思いますが、それだけではあらわすことのできない、複雑な思いもあることと思います。本来ならばこういうことをやりたかった。そういう、やり残したこと、やれなかったことがない、という人はこの中に、おそらく皆無だと思います。

教職員の側も、特に2020年度は試行錯誤の中でスタートし、コロナの制約の下であっても、ある程度大学としての活動が継続できているという手応えを得られるまでには、一定の時間を要しました。学生のみなさんが事態に適応することにも相当の時間がかかったものと受け止めています。学部生のみなさんは2年生までの、コロナ前の学生生活を経験した上で、このような経験をされました。大学院生のみなさんは学部生だった頃にコロナ前の学生生活を経験されています。そのうえで、学業、研究の新たなステップに入ったところで、急な事態の展開と、それに対応して何とか学業、研究を継続することを迫られました。そこから始まり、今日卒業、修了を手にするまでの時間を、皆さんと大学は共有しています。その成果として、今日この場を迎えることになりました。

まずは、このような困難を乗り越えて、卒業、修了を迎えられたことに対して、特別な敬意を表したいと思います。通常の時期とは、様々な点で違った努力なしには、この状況下で学業を修めることはできなかったはずです。この期間を大学においてともに経験した私たち法政大学の教職員は、その価値を実感しています。そして、今日みなさんを送り出せることを喜ばしく思っています。

新しいウィルスの出現とその感染拡大は、明らかに歓迎されざる事態です。しかし、人にとって望ましくないかどうかにはお構いなく、人の力では完全にコントロールすることの出来ない現象として、それは私たちの生活に否応なく降りかかってきました。受け入れる、受け入れない、という選択の余地はないのです。人が受け入れようが拒否しようが、その事実自体は変わってくれません。人生において、あるいは、世の中において、時としてそういう事態が生じることがある、ということは、一般論としては多くの人が認識しています。過去にそういう事態が、他の誰かの上に降りかかったということも知っています。しかし、そういう事態を自分ごととして実感して、自分の生き方を真剣に考える機会をもつことは、平常時であれば、なかなか得られないものです。

しかし、2年前から、そして現在もなお私たちが直面しているこの状況は、あらゆる人に、現にここにある問題として存在しています。否応なく自分ごととしてその影響下にありながら、自分のさまざまな行動を選択し、今後の自分の歩んでいく道について考えざるを得ないという場面に、私たちを立たせています。大学や大学院で学んでいる時期、そして人生の進路を選択していく時期に、そのような場面を迎えたことは、コロナ前の「平常時」の卒業生、修了生たちとは違った重みをもつ選択をみなさんに迫り、それぞれのその選択の結果として、みなさんの明日からの進路があるのではないかと思います。

ところで、これまでは社会経済、文化の発展の成果であり、またそれら諸活動の今後の展開にとって欠かすことのできないプラットフォームとなっていた、「人が日常的に国の内外をとても自由に移動し、さまざまに交流できるのが当たり前だという社会のあり方」が、今回のパンデミックにおいては感染の拡散、拡大を早める要因となりました。これまでは、私たちが享受してきた経済や文化の豊かさを生む条件となっていた現代社会のあり方が、災難を拡大する原因となってしまった。そして、感染対策の一環として、それまで当たり前だった、移動の自由や、さまざまな人々との交流の機会が、大幅に制約を受けることとなって今なお、それが続いています。

コロナ前までは、最早あらためて意識することもなくなっていた社会のあり方がもっている価値や、影響の大きさについて、それをいったん失った状態で真剣に考えねばならないという場面を、私たちは迎えたのです。自分が生きている世界を俯瞰的に見直して、自分の立っている位置の意味や価値、あるいはその制約を意識することは、貴重な、大切なことです。そして、人の世界のあり方という側面については、人の力ではどうすることもできない自然現象ではなく、人の行動や選択の集積として、人の意思や行動で変えることもできるものです。人が変えることの出来ない制約条件の下で、人が変えることの出来る社会のあり方を、将来に向けて改めて構想し、実現していくことが、いま求められているのです。これまでの「当たり前」が通用しなくなった時に、何を維持し、何を変えていくのか。誰かひとりの判断や行動でどうにか出来るわけではないけれども、ひとりひとりの判断や行動が無縁ではない。そういう構造のもとで、こちらの側面は定まっていきます。

コロナ前の社会のあり方がもたらしてくれた、さまざまな意味での「豊かさ」について、以前はそれを専ら享受するだけの「豊かさの消費者」の立場だけに身を置いて生きていくことも可能だったかも知れません。あるいは、豊かさは必ずしも全ての人に行き渡るとは限りませんから、あるいは意識した選択の上で、あるいは強いられた上で、傍観者としての生き方もあったと思います。しかし、今私たちが立っている場では、私たちの選択や行為の集積の結果として今後のあり方がつくられていくという、当事者としての生き方が迫られている、そしてそのことが実感されざるをえない。状況にただ流されるのではなく、それぞれが自分ごととして考えた上で行う選択の集積として、よりよい未来を創っていきたい。そんな願いをみなさんと共有しながら将来を展望したいと思います。

そして、本質としては同じことが、最近起こったロシアによるウクライナへの軍事侵攻がもたらした問題についても言えるのではないかと思います。20世紀半ばから続いてきた、国際社会のあるべき秩序や、原理が、今何らかの努力によって守らない限り、今後「当たり前」には続いていかない。そして、みなさんを含めて、私たちはその先にある日々を生きていくことになります。だとすれば、何をすれば、望ましい今後の当たり前を再構築することができるのか。そんなことが今問われています。同じことばを繰り返します。「状況にただ流されるのではなく、それぞれが自分ごととして考えた上で行う選択の集積として、よりよい未来を創っていきたい。」と。

さて、今後いずれかの時点で、私たちは「ポストコロナ」という時期を迎えていくことになります。その時点から振り返ったとき、2020、21年を同じ場所で共有した経験は、卒業生、修了生のみなさんだけではなく、在学生、教職員も含む、今の法政大学の全構成員の記憶に深く刻まれ続けることと思います。

コロナ禍の終息は今もなお明確に見通すことが出来ません。しかし、いずれ何らかの形でそれが終わることを、歴史が教えてくれています。まずはそこまで元気に辿り着くことと、その後も長く続いていくみなさんの前途が素晴らしいものとなることを祈念して、皆さんを送ることばといたします。

(以上)