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植物医科学によるアグリイノベーションで次世代農林水産業の創造へ

  • 2016年10月11日
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法政大学 大学院 理工学研究科 生命機能学専攻
西尾 健 教授


植物を採取して葉を検査し、ウイルス感染時には適切な処置をほどこしていく — 植物のお医者様として豊富な経験を持ち、本学植物医科学センター長も務めているのが、大学院理工学研究科生命機能学専攻および生命科学部応用植物科学科の西尾健教授です。

  • 【写真左】西尾 健 教授
  • 【写真右】西尾研究室で梅園(東京都青梅市)にて行ったウメ輪紋ウイルス(PPV)の野外調査

研究対象としているのは、じゃがいもや果樹、球根などから育つ栄養繁殖(無性生殖)型植物。「植物はその生殖の仕方から、稲をはじめとした種(タネ)から育つ種子繁殖(有性生殖)型と、栄養繁殖型の2種類に分けられます。植物がウイルスに感染した場合、種(タネ)には比較的ウイルスが入りにくく、その後の生殖に影響が出にくい一方、栄養繁殖型の植物は挿し木をはじめとした手法で繁殖された、いわゆるクローンであるため、ウイルスが広範に及んでいることが少なくありません。植物のウイルス薬による治療は行えず、ウイルスに感染していない元の状態に戻そうとすると、茎頂(※1)培養などで健康な植物を地道に増やしていくしかない。ウイルスの早期発見が、植物を守る最も有効な手段なのです」

そこで西尾教授が力を入れているのが診断法の研究。その簡便さから今でも広く用いられている英国発ELISA(エライザ)法(※2)の1980年代後半の国内導入をはじめ、マイクロプレートやガラスビーズなどを用いた血清学的診断法——タンパク質の抗原と抗体の反応からウイルスの種類を調べる方法——をこれまで数多く開発してきました。

「もっと簡単に、より手軽に。容器を揃えて手順を守りさえすれば誰でも診断できる方法を常に目指しています。近年では遺伝子解析による診断もかなり進んできていますが、未だ費用も時間もかかる。世界の人口が90億人を超える2050年には食糧は現在の1.5倍必要になると言われ、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が締結されれば農業改革はさらに推し進められるでしょう。植物を守り、農家の方を支援するのが、植物のお医者様としての私の役目だと思っています」

植物医科学センターでは、診断方法をウェブサイト上で紹介するとともに、中高生から技術者までさまざまな方を対象とした研修も実施。収益は学科内のさらなる研究開発に用いられています。

  • 図:クリスマスローズ黒死病のELISA法による診断の流れ。マイクロプレートに専用液が施され、ウイルスに感染していると、ウイルスが抗体に吸着し、透明の液が黄色に変わる

※1 茎の先端で細胞分裂が最も活発に行われる部分。
※2 「Enzyme Linked Immuno Solvent Assay」の略で、「酵素結合抗体法」などと呼ばれる。抗原・抗体反応を利用し抗原の物質量を効率的に測定する方法。

自然豊かだった故郷への思いから植物医科学の道へ

植物ウイルス病の疫学調査を行う場合、時には数十ヘクタールから数十種類の植物を採取して特定のウイルスを調査するなど、診断に至るまでにも膨大な時間がかかる植物医科学研究。「大変ですよ」と苦笑いしながらも大学時から一貫して研究にまい進してきた背景には、生まれ育った故郷の姿があると言います。

「実家は大阪近郊の農家で、澄んだ川が流れ、トンボや蛍が乱舞する環境で生まれ育ちました。しかしある日、畜産廃棄物(糞尿)が多量に河川敷に不法投棄されて、以後急速に美しい環境が破壊されていったのです」

農業と自然環境を学びたいと京都府立大学農学部に進学、名古屋大学大学院では植物病理学を専攻し、卒業後は農学技術者として農林水産省へ入省。40代前半で国内農業への影響の大きさからメディアでも大きく取り上げられたSPS(※3)の交渉を担当。その交渉や調査を進める中で、国内農業に対する危機意識をさらに強めていきました。

「この間、多い時には月3回海外へ会議出席や調査のために出向いて各国の農業事情を見ましたが、欧米では広大な農地に機械を導入して効率的な耕作が行われているのを目の当たりにしました」

SPSの任務完了後は、環境庁水質保全局 土壌農薬課長などを経て農水省所管の農林水産政策研究所所長に就任し、食糧需給や農業の6次産業化、農村活性化などの農業政策を推進。その経験が買われ、2014年度からは国家プロジェクトのプログラムディレクターも務めています。

※3 「Sanitary and Phytosanitary Measures」(衛生と植物防疫のための措置)の略。WTO(世界貿易機関)協定に含まれる協定の一つで、動植物の健康とともに、食品安全など貿易に関わる国際ルール。

国家プロジェクトのプログラムディレクターとしてアグリイノベーションに挑む

国の科学技術イノベーションを実現するために2014年度、内閣府によって創設された「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP:エスアイピー)」。2015年10月現在、10ある課題の一つ「次世代農林水産業創造技術(アグリイノベーション創出)」のプログラムディレクターを西尾教授が務めています。

「少子高齢化、地方活性化、農業改革などを大きな目標に、農業のスマート化や機能性農作物の開発、高い収量を上げるための米の新種育成など7つのテーマを設定し、技術開発に取り組んでいます。期間はプログラム開始から5年の2018年度末まで。成果重視ですので約100あるプロジェクト課題に細かい数値目標も定め、進捗状況によってはプロジェクト課題を途中で取捨選択することもありますが、その分手応えは感じています」

日本の農地規模に最適で土壌にやさしい無人トラクターの開発や、ゲノム編集することで多収性を備えた米の品種開発のほか、食べるだけで認知症などを予防できる次世代機能性食品の開発、豊かな海に囲まれながらもこれまで見過ごされてきた藻類による有用物質生産システムの創出など。早くも実用化が見込まれているものもあります。

「良いビジネスモデルができれば農業・水産業・林業に携わる若い人が増え、日本全体の社会システムに好循環が生まれる可能性も秘めています。私にとっても長らく抱いていた夢の実現になる。法政の教授として、植物医科学センターの所長として、SIPのプログラムディレクターとして、今任務に就かせてもらっていることを感謝し、貢献していきたいと思っています」

  • 【写真左】西尾研究室の今年の夏合宿にて。「植物医科学の研究は、膨大な作業が必要とされるため、仲間との連携が不可欠。それによって仲間との結束が強くなるのも、研究の醍醐味の一つ」
  • 【写真右】10月15日(木)に行われたSIPシンポジウム。稲作労働時間の半減や複数無人トラクターの開発、世界初の身体恒常性計測試作機の紹介など、革新的な取り組みは多くのメディアの注目を集めた

西尾 健(にしお たけし)教授

法政大学 大学院 理工学研究科 生命機能学専攻
1947年12月9日生まれ

1970年京都府立大学農学部農学科卒業、1973年名古屋大学大学院農学研究科博士後期中退。同年農林水産省に入賞し、WTO-SPS協定締結に際してはその交渉を担当。環境庁水質保全局土壌農薬課長、研究総務官、農林水産政策研究所所長を経て、2006年法政大学企画・戦略本部特任教授に就任。2008年4月から現職。2012年から植物医科学センター長も兼任。

専門は植物病理学、植物医科学。

著書に『英国の農業環境政策と生物多様性』(筑波書房、共著)などがある。