2015年度

4月

2015年度

4月30日(木)

TBSで、ジャーナリストの嶌信彦(しま・のぶひこ)さんがインタビュアーを務めるラジオ番組「嶌信彦 人生百景・志の人たち」に出演しました。放送は5月17日(日)と24日(日)の21:30-22:30、TBSラジオです。嶌さんは法政大学で講師として教えに来て下さったこともあり、大学の話題で花が咲きました。

4月24日(金)

「NHKラジオ深夜便・落語100選」「名人芸を味わう」の収録がありました。4月30日の深夜(5月1日)の1時からスタートする新しいシリーズのレギュラー出演です。隔週木曜の深夜に放送される予定です。今日はテーマが古今亭志ん生「火焔太鼓」と「稽古屋」でした。そのお孫さんで、10代金原亭馬生の娘さんでもある、池波志乃さんとトークを展開。志乃さんは話が面白いだけでなく、言葉も生きる姿勢も素敵な方でした。
昨年11月16日に法政二高でおこなった対談のお相手、金原亭伯楽さんは、志乃さんの父上である、金原亭馬生さんの一番弟子でした。

4月17日(金)

今日のHOSEI ONLINE収録は、大学院政策創造研究科の坂本光司教授から話を伺いました。以前もここで紹介した『日本でいちばん大切にしたい会社』1~4を執筆し、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞を選んでいるかたで、法政大学経営学部の出身です。
経済の語源は経世済民(世を営むことで万民を救うこと)です。企業とは社会にとって何か、経営とはどうあるべきか、という根本的な問いがここにはあります。

4月16日(木)

法政大学には「大学評価室」という仕組みがあり、全ての学部、研究科、法人が、自ら目標を作ってそれを達成するように努力し、外部からの評価も受けて教育・研究の質を高めることに力をそそいでいます。
昨年度からはスーパー・グローバル事業にも、外部評価の仕組みを入れました。今日は、策定中の長期ビジョンを学部長などに提示し、これからの評価にそなえて意見交換をしました。

4月15日(水)

4月1日から、白地にオレンジが映える法政大学のエンブレムが、市ヶ谷駅から九段坂上まで、靖国通り沿いの街頭を彩っているのをご存じでしょうか? 桜の散る季節には、桜色とこの白が溶け合って美しかったです。
このディスプレイは、実はたいそう困難な道をたどって実現されました。今日は、その実現に尽力下さった千代田区の議員のかた、九段環境整備協議会のかた、九段商店街振興組合のかたに、感謝の気持ちをお伝えする夕食会を開催しました。九段上の皆様、ありがとうございました。
エンブレムは明日16日までとなりますが、オープンキャンパスの時期に再開されます。

4月13日(月)

連帯社会インスティテュート発足の記者会見に、古賀連合会長とともに臨みました。
連帯社会インスティテュートとは、法政大学と日本労働組合総連合会、日本労働文化財団の連携により発足した修士課程プログラムです。連帯社会とは「人々の連帯に基づく市民社会」を意味します。個人の自由を尊重し、民主主義に基づく公正な市民社会を目標にして、経済や環境を含む持続可能な社会、人々の連帯に基づいた連帯社会をどう作っていくのか――これは、法政大学のミッション、ビジョンに一致する大事なプロジェクトです。

4月11日(土)

東京六大学野球が始まりました。雨天のため2時間後ろに延期になりましたが、野球部100周年、六大学野球部90周年の記念の年、無事に始球式を務めることができました。 野球には全くうとい私が、とにかく投げることができたのは、準硬式の本間隆洋監督と学生たち、硬式の青木久典監督と学生たち、総長室の職員たちのおかげです。とくに総長車の運転手さんはスポーツ万能で、待ち時間に特訓をしてくれました。これでだいぶ鍛えられましたし、よい運動になりました。本当にありがとうございました。
そして、この初日、慶應義塾大学に勝ちました。おめでとう!守備の強さが光っていました。

4月10日(金)

TBSがインタビューに来校しました。その後、天王洲にある株式会社DOME corporationで、HOSEI ONLINEの対談をおこないました。DOMEの代表取締役、安田秀一氏は、私と同じ法政大学文学部日本文学科出身です。同時に本学体育会アメリカンフットボール部トマホークスの選手で、後にアメリカンフットボール全日本大学選抜チームの主将でもあった人です。
大学スポーツの向かうべき方向について、熱の入った対談ができました。

4月9日(木)

アメリカのアーティスト、キャノン・ハーシー(Cannon Hersey)氏が法政大学出版局を訪問され、総長室にも来訪して下さいました。
キャノン・ハーシー氏は、法政大学出版局が最初に刊行した『ヒロシマ』の著者であるジョン・ハーシー(John Hersey)氏 (1914―1993)のお孫さんです。
ジョン・ハーシー氏はピュリッツァー賞を受賞した高名なジャーナリストです。
『ヒロシマ』(石川欣一・谷本清訳)は1949年の発刊で、翻訳書で知られる法政大学出版局の歴史がここから始まりました。
原著は1946年8月に『ニューヨーカー』誌上で発表されたもので、この時の『ニューヨーカー』は1日で30万部を売り上げたと言います。
被爆者6人へのインタビューをもとにした、生々しいルポルタージュです。翻訳者のひとり谷本清氏は、登場した被爆者のひとりでもあります。
その後ジョン・ハーシー氏は1985年に広島を再訪され、「ヒロシマその後」を書き上げました。現在刊行している増補・新装版はその稿を入れたもので、翻訳に明田川融氏が加わっています。法政大学の歴史にとって、重要な本です。
キャノン・ハーシー氏の来日の目的と、広島・長崎での活動について、以下のエッセイにまとめました。

4月6日(月)

法政女子高の入学式でした。女子高は先日、スーパーグローバルハイスクールに採択されました。大学とともに、これから国際校として育っていきます。
入学式の後、5人の生徒、そして和仁校長とともに、公開ディスカッションに臨みました。「グローバル化とは何か」を生徒たちが明確に語るのを、とても頼もしく思いました。

4月5日(日)

菅義偉官房長官と翁長雄志沖縄県知事。この二人がテーブルをはさんで鋭く対峙しているシーンが、繰り返しテレビや新聞やインターネットに写し出されました。「二人とも法政大学出身だが、私は22歳までパスポートを持って学びに来ていたのだ」と翁長さんが語ったシーンも放映されたそうです。
沖縄研究の本土における拠点だった法政大学に、沖縄の「復帰」(私は復帰をかっこつきで表現します)の年である1972年、沖縄文化研究所が設置されました。
私も菅義偉さん(1973年法学部政治学科卒業)も翁長雄志さん(1975年法学部法律学科卒業)も、その年、法政大学に在籍していたのです。
私は入学した1970年、沖縄文学の第一人者である外間守善教授(※)の講義を受けていました。翁長さんも聞いたに違いありません。「復帰」から43年がたちました。
いったいこの年月は何だったのでしょうか?
沖縄は江戸時代、琉球国という独立国でした。そもそも日本(やまと)ではありません。その独立国が1609年に薩摩に軍事侵略され、1872年に日本に組み込まれ、1945年には、後に「捨石作戦」と呼ばれる凄惨な戦場になりました。現在も、日本の国土のわずか0.6%に在日米軍基地の74%が集中しています。
そこで、この問題を我々はどのように解決すべきなのでしょうか。沖縄だけの問題ではなく、自己の問題として、考える必要があるのです。
沖縄とは何かという問いは、日本の戦後とは何だったのか、と問うことです。戦後70年、非戦と民主主義に向かってきたはずの日本が試されています。

  • 外間守善(ほかましゅぜん)教授…法政大学名誉教授、那覇市出身。沖縄学の第一人者で、法政大学沖縄文化研究所長。沖縄古謡集「おもろさうし」の研究で知られ、「南島文学論」「沖縄の言葉と歴史」のほか、ご自身の沖縄戦の体験をつづった「私の沖縄戦記‐前田高地・六十年目の証言」など著書多数。2012年87歳で死去。

4月4日(土)

新入教員の就任式と研修でした。私が赴任した35年前はこういうものはなく、いきなり教室で講義でしたから、全てが手探りでした。全体像を把握し、相談しながら教育にたずさわることのできる時代になりました。先生方もどうか様々な試みに挑戦して下さい。

4月3日(金)

2015年度の入学式でした。今回より、学部長たちの一言を、皆さんそれぞれの声でお届けすることになりました。新入生の皆さん、ご自分の学部の学部長の声をお聞きになりましたね? 学部長にも親しみをもって、思い切り学生時代を充実させて下さい。
今年度は3人が女性の学部長です。学部長の女性の割合が20%となりました。大学の歴史上、初めてのことです。女性学部長の誕生は女性理事、女性総長の可能性をさらに開きます。
今年、私は入学式の着物に昨年度と同じ、スクールカラーのオレンジと紺を重ねた伊達襟(だてえり)を付けました。伊達襟とは、着物を十二単のように重ねていた時代の着方を、襟だけで再現したものです。ふつうは白い半襟の上に伊達襟を一種類だけ使いますが、何種類重ねても構わないのです。重ねかたは「襲の色目(かさねのいろめ)」という、平安時代から継承されているリストに従うのが理想です。桜襲、梅襲、藤襲など、自然界の色の取り合わせです。しかしスクールカラーのオレンジと紺はそのリストにありません。そこで、これを「法政襲」と名付けて使うことにしました。

4月2日(木)

新入職員の研修で講演をしました。1日には就任式があり、大学卒業したての職員たちはまだまだ緊張の連続のようです。

4月1日(水)

いよいよ新学期、2015年度の始まりです。
新学期にあたって、総長日誌の方針について書いておきます。総長日誌冒頭で「このページは、田中優子総長の日々の仕事の中から、学内会議以外の学内外での講演、取材、行事などを、田中総長自身がご紹介するものです」とあります。この「学内会議以外の」という部分は、必ずしも了解されておらず、「総長とは何をする人か」が伝わっていない、という声を聞きました。しかし、膨大な量にのぼる会議の内容をこと細かに書くことはできません。
そこで、いわゆるルーティーンワークと言われる、定期的な仕事を含め、総長とはどういう仕事なのか、総長日誌はその中で何を書いているものなのか、年度初めにお知らせしておくことにしました。