2025年度

原爆被害を世に ―本学卒業生二人の熱意と『ヒロシマ』の出版―

2025年度

 2025年はアジア太平洋戦争・第二次世界大戦の終結から80年を迎えます。敗戦から3年目の1948年、法政大学出版局は大学創立70周年記念事業の一環として設立されました。その翌年、同局が初めて出版した本がジョン・ハーシー著、石川欣一・谷本清共訳の『ヒロシマ』です(❶)。本書はもともとアメリカの雑誌『ニューヨーカー』(1946年8月31日号)に、全ページにわたって掲載されたルポルタージュの翻訳でした。従軍記者として広島を訪れたハーシーがそれまで明らかにされていなかった原子爆弾の被害、とりわけそこに住む人々の身に何が起こったのかを、6名の生存者への取材によって伝えた内容はアメリカ全土で大きな話題を呼びました。

 ところでなぜ、法政大学出版局がこの翻訳本を出版することになったのでしょうか。そこには村松七郎と鄭喜一という本学卒業生二人の熱意がありました。村松の回想(『法政』通巻549号/2003年1・2月号)によれば、二人は岩波書店の雑誌『世界』(1947年2月号)に掲載された都留重人「ハースィーの『廣島』」という原書の書評を読み、大きな衝撃を受けたと言います。村松は後年、記事を読んだときのことを「身体の中が燃えるように熱くなったのを覚えている」と振り返りました。

❶『ヒロシマ』初版本(1949年)

 このルポを自分たちの手で世に出そうと強く決意した二人。翻訳者の谷本は自身も取材を受けた一人で、ハーシーから翻訳の約束と出版の一切を任されていました。谷本の快諾を得た二人は、次に新聞社や出版社、GHQにも掛け合い、最終的に話を二人の母校法政大学へ持ち込むと、ちょうど出版局設立の準備をしていたことから即採用となったのです。谷本の翻訳に、毎日新聞社の石川欣一や英文学科の入江直祐教授らが手を入れて完成。原書のタイトル「HIROSHIMA」を漢字ではなく「ヒロシマ」と表記したことについて、村松は「今も原爆を象徴する表現」であると自負しました(初めてのカタカナ表記は同書ではない)。

 日本では原爆に関する厳しい報道管制が敷かれていたため、翻訳本『ヒロシマ』が1949年4月
に発行されると、瞬く間に評判を呼び増刷(❷)。その後も増補版や新装版が刊行されるなど、戦後間もない時期に「ヒロシマ」の原爆被害を伝えた貴重な存在として、その記録と記憶を今に受け継いでいます(❸❹)。

  • ❷『ヒロシマ』の増刷を伝える広告(『法政大学通信教育部報』1949年8月10月)

  • ❸増補版(2003年)

  • ❹新装版(2014年)

  HOSEIミュージアム 2025年度特別展示
  法政大学と戦後80年  ―戦争と向き合い、平和を求める―
【期間】2025年9月2日(火)~30日(火)
【会場】HOSEIミュージアム
    ミュージアム・コア(九段北校舎1階)/博物館展示室(ボアソナード・タワー14階)/サテライト市ケ谷(外濠校舎6階)

制作協力:法政大学 HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『HOSEI』2025年8・9月号)