2021年度

ミュージアム・サテライト小金井竣工記念 法政理工系のあゆみ(前編)〜度重なる校舎移転のなかで発展〜

2021年度

本学における理工系学部の歴史は、1944(昭和19)年4月、川崎・木月校地に創設された「航空工業専門学校」(航専)にさかのぼります。戦局の悪化に伴って、文系大学に理系への転換が求められ、理系専門学校を設立してこの国策に対応したのです。

本学が、当時の重要産業であった航空に焦点を絞ったのには、航空研究会の活動や、ANA設立に関わった校友の中野勝義が民間航空界に大きな影響力を持っていたことに加え、木月にあった逓信省航空局航空試験所から資材や技術者の提供を受けられるという背景がありました。当初の定員は機体専修100人、発動機専修200人で、理系学生は召集が延期されるとあって志願者は10倍を超えました。

ところが、敗戦によって日本での航空機の生産・研究が禁止されたため、航専は創立からわずか1年半で、機械科単科の「法政工業専門学校」(工専)に改組。さらに、文系の学生が戻ってきて木月校地が手狭となり、工専は1947年、電気通信科、建築科の増設と同時に千葉県習志野へ移転します。校舎は元陸軍騎兵学校の木造兵舎を改造した建物で、最寄り駅から4キロ以上歩く不便さもあいまって学生集めに苦労し、さまざまな試みがなされました。その中で話題を呼んだのは中等学校放送討論会です。朝日新聞社の後援を得て、千葉県下の中等学校から参加者を集めた討論会は全国放送もされ、工専が富士見校地へ移転した後も、好評を得て1968年まで22回も続けられました。

元陸軍騎兵学校の木造兵舎を改造した千葉県習志野校舎(1940年代後半)

元陸軍騎兵学校の木造兵舎を改造した千葉県習志野校舎(1940年代後半)

その後1948年の学制改革により、工専の廃止を免れるには、大学の工学部への昇格が必要となり、1950年4月、富士見校地に移転し、工学部(機械工学科、電気工学科、建設工学科、経営工学科)が設置されます。初代学部長は、蒸気動力工学の権威として知られる加茂正雄でした。

そのわずか2年後、工学部は、大学が新たに得た港区麻布の校舎に移転します。狭く古い校舎でしたが、高度経済成長に向かう日本社会で理工系人材への期待が高まり、入学志願者は年々大幅増加を続けます。学生たちは自主的に「研究会」を立ち上げ、学生主体の「工学祭」も始まり、この時期を「学生諸君がその最も法政らしい活力を示した」と回顧する教員もいるほど活気ある時期でした。(後編は11・12月号に掲載します)

  • 鉄筋コンクリート造り4階建ての麻布校舎(1950~ 1960年代)

  • 工学祭パンフレットや実験レポートなど、麻布時代の工学部学生の生活を物語る資料(1950年代)

2021年度秋学期テーマ展示
「法政理工系のサステナビリティ研究」
ミュージアム・サテライト小金井の開設を記念し、法政理工系の歩み、理工系4学部の最新研究を紹介。

場所:市ケ谷キャンパス九段北校舎1階
期間:2021年10月~ 2022年4月
詳細:HOSEIミュージアムウェブサイト

新型コロナウイルス感染症の影響等により、日程や内容は変更になる可能性があります。
詳しくは上記ウェブサイトをご確認ください。

取材協力:HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『法政』2021年10月号)

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