2020年度

Vol.012 重量挙部とオリンピックの栄光〜競技の発展を支えた三宅義信〜

2020年度

1962(昭和37)年に本学を卒業した三宅義信は、ウエイトリフティングで数々の世界新記録を出し、オリンピックにも四度出場しました。その歩みは、日本の同競技の発展史に重なるといえます。

1939年、宮城県柴田郡村田町に生まれた三宅は、高校時代にバーベルと出合い、「小柄な自分でも活躍できる」と練習に励み、短期間で大会への出場を果たします。

1951年に創設され、翌年から始動した本学の重量挙部では、高校時代に全国大会で優勝した木暮茂夫が活躍していました。

高校卒業後も競技を続けたいと考えた三宅は、スポーツで国際舞台に立つためには、日本の言葉に磨きをかけ、人格を高めることが大切だと考え、1958年文学部日本文学科に入学し、学問とスポーツの両方に精進します。

在学中に迎えた1960年ローマ五輪には、木暮と共にバンタム級で出場。前年に世界記録を出した三宅に期待がかかりましたが、調子を崩し、銀メダルに終わりました。その悔しさを晴らすため、次の4年間は明確な目標と詳細なスケジュールを立てて過ごしたといいます。

大学1年時、ボディコンテストに出場した三宅義信(本人提供)

大学1年時、ボディコンテストに出場した三宅義信(本人提供)

一階級上のフェザー級で挑んだ1964年東京五輪では、397・5キロの世界新記録で念願の金メダルに輝きました。また、本学重量挙部の一ノ関史郎(バンタム級)と大内仁(ミドル級)も銅メダルを獲得しています。

三度目となる1968年メキシコ五輪には、6歳下の弟で本学経済学部を卒業したばかりの義行と共に出場。義信は思うように練習ができない状態でしたが、フェザー級で見事金メダルを獲得し、銅メダルの義行と兄弟そろって表彰台に立つ姿が話題を呼びました。大内は銀メダルを獲得し、一ノ関も5位入賞を果たしています。

本学の重量挙部の伝統はその後も続き、キャリアデザイン学部で学んだ三宅宏実(義行の娘)も、卒業後にオリンピックに三度出場。2012年ロンドン五輪で銀メダル、2016年リオデジャネイロ五輪で銅メダル(いずれも48キロ級)を獲得しています。

三宅義信は、引退後も指導者として日本のウエイトリフティング界に貢献。練習環境の整備にも尽力し、福島県郡山市に造られたトレーニング場では、日本代表や本学重量挙部の強化合宿が行われています。

  • 三宅義信が、四度のオリンピック出場後に自らの半生をまとめた『バーベル人生』(善本社、1973年)

  • 2012年ロンドン大会で三宅宏実が着用したコスチューム一式(本人寄贈)。HOSEIミュージアムのテーマ展示では、ベルトに入った刺しゅう「Hiromi」なども、間近に見られる

取材協力:HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『法政』2020年8・9月号)

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