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【法政の研究ブランドvol.15】フランコフォニー文学研究とは? 異なる時空間を読解し、世界の見方を豊かにする(国際文化学部国際文化学科 廣松 勲 准教授)

  • 2021年12月01日
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「法政の研究ブランド」シリーズ

法政大学では、これからの社会・世界のフロントランナーたる、魅力的で刺激的な研究が日々生み出されています。
本シリーズは、そんな法政ブランドの研究ストーリーを、記事や動画でお伝えしていきます。

喪失状態に向き合うカリブ海域文学

私の専門はフランス語圏の文学を意味する「フランコフォニー文学」です。特にカリブ海域諸島とカナダ・ケベック州(特にハイチ系移民)の文学に関心があります。

最初に私がフランス語表現文学に関心を持ったのは、高校生の時に第二外国語の授業でフランス語の文化や思想に触れたことがきっかけです。当時、私は寺山修司や土方巽など、戦後日本におけるアングラ芸術に関心を持っていました。様々な作品に触れるにつれて、彼らの言説・舞踏の背景にフランス語で書かれた現代思想や文学があることを知り、間接的な形でフランス文化に興味を抱くに至りました。

大学は文学部仏文科に進むか迷いましたが、卒業後の就職のことも考えて法学部政治学科に進学し、政治哲学を学ぶゼミに所属しました。大学でも第二外国語は引き続きフランス語を選択。フランス語の教職免許を取得するために出席した文学部仏文科の授業で、「クレオール文学」とも呼ばれるフランス語で表現されるカリブ海域の文学に出会い、フランス語表現の文学作品の世界的広がりの一端を知りました。

卒論では『クレオール礼賛』という文学宣言書を中心にして、クレオール文学という枠組みや発想がどのような政治社会的背景から生まれたのかについて論じました。その後、修士課程や博士課程では、精神分析における概念である「メランコリー」というテーマに基づきつつ、フランスの海外県であるマルティニック出身のパトリック・シャモワゾーや、ハイチ系ケベック移民のエミール・オリヴィエという小説家の作品を分析しました。カリブ海域の作家による文学作品の特徴として、主人公や登場人物の死が描かれることが少なくなく、彼らの死をきっかけにした喪失状態、そしてその状態からの克服・乗り越えに向けた様々な試みが物語の中核をなすという点が挙げられます。なぜそのような物語が多いのかという点が研究をする上で、最も興味を引かれた部分でした。

この「メランコリー」という概念を研究の軸に置いた理由は、多くの作品において喪失状態の克服が滞りなく成功することはほぼなく、克服に向けた活動を絶えず続けざるを得ないという風に描かれている点を強調したかったためです。フロイトの理論では葬式、埋葬、遺品整理などの「喪の儀」を介して喪失状態は段階を踏んで解決されるとされます。それに対して、愛着を抱く物事が消えてしまった喪失状態に苦しむ「メランコリー」では、喪失対象そのものがはっきりと分からず、それ故に容易には解決できない精神状態のことを指します。

ここでフランス領のカリブ海域諸島の歴史を振り返ってみると、この地域はヨーロッパ人の到来とともに先住民が殲滅(せんめつ)され、その後労働力を賄うために、特にアフリカ西部から奴隷として多くの黒人が連れてこられました。さらに、19世紀中ごろに奴隷制度が廃止されると、今度は季節労働者としてアフリカだけでなく、中国・インド・中近東の人々が到来することになります。このような歴史的経緯から、カリブ海域諸島は非常に混交的な社会文化的環境にあります。これは、ある意味では、いわゆる歴史的・社会的・民族的「起源」や、その「単一性」や「純粋性」を欠如・喪失しているとも考えられ、カリブ人はそのような喪失状態に苛まれているという考え方が生まれました。思うに、こうした歴史的・社会的背景の下で、クレオール文学ではそれを戦略的に活用する場合も含めて、一つのテーマとして「メランコリー」からどう抜け出すかということが執拗に描かれることになったのだと考えています。

多・他文化との多様な関係性の模索

vol.15_prof2.jpgゼミでの活動を続ける中で、大学卒業後に研究をさらに続けたいという気持ちが強まり、その結果、東北大学大学院文学研究科の修士課程に進学し、その間にストラスブール大学に留学する機会を得ました。また、同大学博士課程の在籍中にはモントリオール大学に約6年間留学し、フランコフォニー文学研究の揺籃期から活発に研究されるリズ・ゴーヴァン先生の指導を受けました。さらに、カナダのケベック州においてフランス共和国ではないフランス語圏地域の言語状況や社会的雰囲気を体験できたことは、フランコフォニーの具体的状況を知る上でも、またその後の研究や教育活動においても大変役立ちました。

私が生活したケベック州は、これまでに2度もカナダからの独立を争点にした州民投票を行うなど、現在も独自の文化・社会を強固に維持しています。加えて、近年では異文化間、つまりホスト文化と新しく入ってきた文化との間の具体的で妥当な調整のため、「間文化主義」とも訳される「インターカルチュラリズム」政策の実現にも本腰を入れています。さらに、フランス語を中心としたフランス的文化をアメリカ大陸において維持するという考え方も根強く生き残っており、卑近な例でいえば、「カナダ人ですよね」と言われて嫌な顔をするケベック人もいますし、「ケベック文学」を「カナダ文学」と表現した場合にも「アングロフォン文化に吸収してしまうつもりなのか」と批判される場合もあります。

このような例を見てもわかる通り、「フランコフォニー」という言葉は現在でも世界におけるフランス文化の権威が維持されていることを示す一方で、特に旧植民地であるフランス語圏の人々の中には、フランコフォニーという制度・発想自体を「ソフトな植民地主義ではないか」と考え、拒絶する人もいます。つまり、フランコフォニーという制度・発想は必ずしも中立的なものではなく、実際には地域によって様々な捉え方・立場もあるわけです(カリブやアメリカ大陸の他に、フランコフォニーはマグレブ地域やサハラ以南アフリカ諸国、ベトナムなど旧仏領インドシナ地域、太平洋・インド洋上の諸地域も含みます)。例えば、フランス語圏のカリブ海域諸島では様々な文化が合わさり「クレオール文化」と名付けうる新しい「混交的な文化」が称揚される一方で、カナダ・ケベック州においてはフランス的文化を中心とした「対話的な文化」の実現が目指されていることを肌で感じました。このように、各地域のホスト文化がどのようにして新しく参入してきた文化を受け入れ、共存していくのかということは、旧植民地やフランコフォニーに限らず、グローバル化が加速する現代社会において避けて通れない課題でもあります。こうした課題を身近で見聞きし、実際に感じ取れたことも、ケベック州での6年間がもたらしてくれた貴重な経験でした。

このような環境の中、モントリオール大学で執筆した博士論文では、「脱植民地以後のメランコリー」という概念を精緻に定義すると同時に、修士論文から分析対象を拡大し(マルティニック出身のパトリック・シャモワゾーに加えて、ハイチ系ケベック移民のエミール・オリヴィエ)、どのような喪失状態が物語として描かれ、いかにして克服へ向けた試みが語られているのかを比較分析しました。その結果、彼らの小説作品における「脱植民地以後のメランコリー」は、単に否定的で、完全に克服するべき病いとして描かれているのではなく、「過ぎ去らない過去」とより慎重かつ誠実に向き合うための一つの姿勢として描かれていることを明らかにすることができました。

一つの作品は無限の読解可能性に開かれている

現在の研究では、「カルチャー」という概念を境界に囲まれた静態的な現象としてではなく、境界を越え変動し続ける現象として捉え直す「トランスカルチャー」という概念に注目しつつ、なぜ、どのようにトランスカルチュラルな現象が文学作品に書き込まれるのかを研究しています。特に注目しているのは、マルティニック出身の女性作家であるファビエンヌ・カノールです。彼女はカリブ出身でフランス本土に移住した一人の黒人女性として、彼女たちの置かれてきた歴史的・社会的経験を繰り返し文学作品や映像作品によって描いてきた作家です。他のカリブ系の作家たちも視野に入れつつ、カノールの作品が「ジェンダー」や「脱植民地的フェミニズム」をどのように物語化しているのかについて考察しています。

こういった研究面での関心に加えて、やや個人的趣味の領域にも入り込みますが、別の分野にも関心があります。特に、実話系またはフェイクドキュメンタリー系のホラー映画・小説、そしてドキュメンタリー映画です。特にこれらのジャンルの作品において、人の死を含めた欠如や喪失状態がどのように語られ、どのように解決されるのか、または解決されないのかということにも関心を持っています。ホラー作品では、まずもって視聴者・読者に「恐怖」を感じてもらうことが重要ですが、それがどのような文体、語り、構成を通じて表出するのか、その具体的な手法についても興味があります。さらに、ドキュメンタリー映画においては、現実と虚構の境界線が揺れ動く中で、創作的な要素がある程度加わることで、より鮮やかに現実(場合によっては「真実」)が描かれる点にも注目しています。

最後に、私の専門である「文学研究」の面白味についても述べておきたいと思います。今のところ考えているのは、研究方法・視点を変えるだけで、同一の作品が全く違った形で見えてくるという点です。これはつまり、文学研究を通じて、一つの作品は極めて広い読解の可能性に開かれているということです。同時に、この読解可能性の広さは、読者の思考を予想もしない方向に押し広げるきっかけにもなるでしょう。文学研究を行う上で重要だと思うのは、文学作品は必ず何らかの歴史的・社会的制約の下に書かれるため、意識的にせよ無意識的にせよ、物語には社会的なものが書き込まれているという点です。そのため、ある作品を読み込むためには、その作品の書かれた社会について、言語、文化、歴史、社会制度を含めた包括的な理解が必要となります。

こうした学際的な視点で作品を読む行為によって、読者は自らの生きる社会とは異なる時空間に向けて、自らの想像力を開放するための訓練をしているともいえるでしょう。つまり、過去・現在・未来の社会的課題を自らのこととして想像し、向き合うために、自らの思考を開放し、拡散させるための訓練です。作品分析を通じて地域の歴史や社会を考察したり、他者の思考や思いを想像したり、読書によって引き起こされる感覚の原因を探ったりと、文学作品を研究する行為は、世界の見方・感じ方を今よりもはるかに豊穣にしてくれると信じています。

根気強く地道な作業も求められる外国語文学の研究ですが、作品を介して別世界を旅する経験には、現実の旅とは異なる魅力があります。辞書を片手に、多くの方にもこの旅を体験してほしいと思っています。

 

  • 研究に使用している文献

  • フランスの海外県、マルティニックの海岸(廣松先生撮影)

  • ストラスブールの中心街の街並み(廣松先生撮影)

  • モントリオール大学の中庭(廣松先生撮影)

国際文化学部国際文化学科 廣松 勲 准教授

慶應義塾大学法学部政治学科卒業、東北大学大学院文学研究科博士前期課程修了、モントリオール大学高等研究学院フランス語文学科博士後期課程修了。博士(フランス語文学)。日本学術振興会特別研究員PDなどを経て、14年4月より本学専任講師、20年4月より現職。研究テーマはフランコフォニー文学(特にカリブ海域文学、ケベック移民文学)。日本ケベック学会副会長・元編集委員長、日本フランス語フランス文学会元編集委員なども務める。11年日本フランス語フランス文学会奨励賞受賞。