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【法政の研究ブランドvol.37】フィクションとリアルの境界を越え、見えざる「家族の物語」を可視化する(国際文化学部国際文化学科 グアリーニ レティツィア 准教授)

  • 2026年03月06日
  • コラム・エッセイ
  • 教員
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「法政の研究ブランド」シリーズ

法政大学では、これからの社会・世界のフロントランナーたる、魅力的で刺激的な研究が日々生み出されています。
本シリーズは、そんな法政ブランドの研究ストーリーを、記事や動画でお伝えしていきます。

文学を通して、時代とともに変容する父娘関係や父親像のあり方を考察

私の研究の原点は、日本文学における「家族関係の表象」にあります。博士課程の頃は、当時まだ研究が少なかった父娘関係をメインテーマに据えていました。文化や文学において「父」の存在感は極めて大きいにもかかわらず、その関係性は意外なほど軽視、無視されていると気づいたからです。角田光代氏や倉橋由美子氏、柳美里氏らの作品を中心に、父と娘の結びつきがどのように描かれてきたのかを分析・考察してきました。 

研究を進める中で、2010年頃の「イクメンブーム」に象徴されるような、日本社会における父親像の変容にも関心を抱くようになりました。かつては企業戦士として家庭に不在、あるいは暴力的な支配者として描かれることの多かった父親像ですが、近年では例えば、料理を通じて関係性を描くなど、血縁を超えた「ケアする父親」といったポジティブな表象も増えています。こうした潮流を踏まえ、トランスジェンダーの父親などセクシャルマイノリティを描いた作品にも目を向けながら、家族のあり方に潜む新たな可能性を探究しています。

私の分析手法は、作品の中でどの「規範」が物語の中心にあるかを意識することから始まります。例えば、「授乳」がテーマであれば、単なる母性のメタファーと捉えず、日本文化の中で乳房がどのように描かれてきたのかを考察します。歴史や社会に存在する事象が出発点となり、フィクションの中でいかに再構成され、物語として立ち上がるのか。現実の世界と虚構が相互に作用し合うダイナミズムを解き明かす点に、研究の醍醐味を感じています。文学は単に現実を描くだけでなく、ときにはまだ可視化されていない人々の経験や人生を「見せる」という、予言的な力も有していると考えます。

世界的な注目を集める日本文学。海外の読者の心をつかむ「共感性」

日本に興味をもった最初のきっかけは、1990年代にイタリアで放送されていたアニメや漫画でした。そこから吉本ばなな氏や村上春樹氏の文学に触れ、「自分と異なる言語と文化を学べば、いずれ新たな扉を開けるのではないか」と考え、日本文化を専攻するようになりました。私自身、イタリアから日本へと拠点を移し、異なる文化圏で新たなルーツを築いてきた人間です。それゆえ、須賀敦子氏や、法政大学出身の温又柔氏のように、母国や母語から離れて活動する「越境する作家」の作品には、深い共感を覚えずにはいられません。言葉の壁や国籍による権利の差異など、彼女たちが描く登場人物の「痛み」に敏感になれるのは、私自身のバックグラウンドがあるからこそだと感じます。   

現在、日本文学は世界的な注目を集めています。その背景には、コロナ禍という大きなトラウマを経て、例えばネコ、カフェ、本屋さんなどを描くような軽めな内容の作品に対して、読者が物語に「癒やし」を求めるようになった流れがあると言われています。同時に、川上未映子氏、村田沙耶香氏、松田青子氏といった女性作家が描く、現代的な切実さをもった物語への高い評価も見逃せません。彼女たちの作品は、ジェンダーによる暴力やセクシュアリティ、生きづらさといった、世界共通の課題を鋭く描き出しています。   

かつて「日本文学といえば村上春樹」と一括りにされていた時代は終わり、多様な作家たちのポテンシャルを世界の出版社が認識し始めています。特に村田氏が描くディストピア的な世界観は、文化の枠を超えて、日常生活で差別や疎外感を感じる人々の心に強く響いています。日本国外の読者が、自分たちにとって必要な物語を日本文学に見いだしているのです。文学には、社会の中に存在していてもマイノリティであるがゆえに見えにくい人生や身体を、浮き彫りにしていく力がある。その「可視化」のプロセスこそが、日本文学が今、世界で求められている理由ではないでしょうか。
 

「個人的なことは政治的なこと」ステレオタイプを壊す試み

私にとって、研究と教育は切り離せない営みです。授業では、第二波フェミニズムの有名なスローガンである「個人的なことは政治的なことである」というスタンスを大切にしています。個人の悩みや違和感は決して当事者だけの問題ではなく、社会の構造的な問題であるからこそ、みんなで解決策を考えなければなりません。学生には、身近な事例を通じてその視点をもってほしいと願っています。私自身が日本人とは異なる容姿で、日本語を用いて日本文化を教えること自体も、学生が無意識に抱いている「当たり前」というステレオタイプを壊す一つのきっかけになればと思っています。   

ゼミでは、ジェンダーやセクシュアリティをテーマに、学生が自身の興味に合わせてディズニー作品やファッション、シルバニアファミリーといった身近な表象文化を分析しています。当初はセクシャルマイノリティに対して偏見を抱いていた学生が、2年間の学びと対話を通じ、自ら社会的なアクションを起こすようになったケースもありました。当たり前だと思い込んでいた規範が揺さぶられ、視点や考え方が変化していくプロセスを見守れることは、教育者としてこの上ない喜びです。   

また、研究者という仕事は孤独になりがちですが、私は共同研究や対話の中に大きな意義を見いだしています。法政大学の国際文化学部は非常に学際的で、文学だけでなく、映画、歴史、多文化共生など、異なる専門をもつ教員や学生が一つの作品を多角的に分析する企画を毎年行っています。一方的に教えるのではなく、学生から新しい作品や感性を学ぶ「双方向の情報交換」はとても刺激的です。誰かと一緒に考え、アウトプットしていく中で生まれる絆が、研究を続けるモチベーションにつながっています。

  • 国際文化情報学会でインスタレーションを発表したゼミ生と一緒に

  • 2023年度ゼミ生と共に訪れた東京都現代美術館にて

ケアを家族だけの問題にせず、社会で支えることを「新たな当たり前」に

これまでは家族における育児や父性に焦点を当ててきましたが、今後は「介護」や「エイジング」といったテーマを深掘りしていく予定です。日本を含む多くの社会において、介護などのケアの責任は、いまだに家庭内の個人の犠牲で成り立っているケースが珍しくありません。当たり前として見過ごされがちですが、私はこうした「不可視化された責任や人生」を、フィクションや映像作品の分析を通じて可視化していきたいと考えています。   

文学や映画は、現在直面している社会課題を映し出すだけでなく、その解決策や新たな可能性を提示する力をもっています。例えば、ケアを家族だけの問題とせず、コミュニティや共同体の中でどのように担えるのか。そうした考え方を「新たな当たり前」にすることにより、ケアという営みを個人の負担から解放し、社会全体で支え合うものへと変えていきます。その変容を見極めたいです。   

「結婚して子どもをもうけてこそ一人前」という根強い規範や圧力は、女性・男性を問わず今なお強く働いています。そこから逸脱した生き方は、社会の中で見えない罰を受けているような感覚さえあります。しかし、トランスジェンダーの父親像やアセクシュアルなど、多様な生き方を描く作品は着実に増えており、フィクションの中では生きづらさを乗り越えられる可能性が示唆されています。こうした物語を読み解き、発信し続けることで、マイノリティを排除する社会的抑圧を可視化し、新たな社会の在り方を示したいです。身体やアイデンティティを「普通」という規範から解放し、誰もが居場所のある未来。研究を通じて、その実現を目指します。

  • 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催の座談会「国境を超える『遠距離ケア』」にて

  • ゲント(ベルギー)で開催されたヨーロッパ日本研究協会(EAJS)学会にて

国際文化学部国際文化学科 グアリーニ レティツィア 准教授

イタリアのナポリ東洋大学(L’Orientale)で修士課程を修了後、2011年に来日。2021年にお茶の水女子大学で文学博士号を取得。国際基督教大学(ICU)で特任助教として勤務した後、2022年4月より現職。日本現代文学とジェンダー研究を専門分野とし、主な研究テーマは家族と身体の表象である。国や言語の境界を越えるトランスリンガル・トランスカルチュラルな文学についても研究している。論文に「異国の共同体で居場所を見つける―須賀敦子の越境性をめぐって」(『昭和文学研究第90集』、2025年)、“Trans Bodies and Gender Fluid Fatherhood in Contemporary Japanese Literature” (McFarland、2025年)、“Shōjo Sexuality in Post-War Japan: Parody and Subversion in Kurahashi Yumiko’s Divine Maiden”(Japanese Studies、2022年)など。