2020年度

3月

2020年度

3月20日(土)

8日からHOSEIミュージアムでは開館記念特別展示「都市と大学-法政大学から東京を視る-」が始まっている。そして本日は、開設記念特別展示併催シンポジウム「都市と大学―三大学の源流」をオンライン開催した。三大学とは、連携協力を締結している関西大学・明治大学・法政大学の三大学のことであり、このシンポジウムはその連携事業としておこなった。三大学はいずれも、ボアソナードのフランス法学の教えを受けた創立者が始めた大学である。そして、日本の大都市である東京と大阪に所在し、それぞれ、なにわから大阪へ、江戸から東京への移行期における、法治社会・法治国家への期待の高まりのなか、法律学校として誕生した。その共有する歴史を軸に、まず報告1として私が「3人の若者 東京に法律学校をつくる」と題し、明治大学と法政大学が両校とも3人の若者によって創られた大学であること、彼らが皆、地方の藩士の家(武家)の出身であり、藩校や私塾で学んで明治初期の東京に出て法律を学んだこと、自由民権運動の渦の中で学校を作ったこと、そして両校とも、それが駿河台、神保町を中心とする、江戸の武家地だった場所で始まったことを話した。

次に関西大学名誉教授の薮田貫氏が、報告2として、「大阪に文科大学を 関西大学・なにわ大阪・千里山」という題名で、明治19年(1886)、大阪市内の寺院で誕生した関西法律学校が、大阪の中心部にはなかなか土地を得ることができず、35年後の大正10年(1921)に、鉄道会社と不動産会社の支援を得て、郊外鉄道の発展とともに千里山に用地を得たことで翌年に大学に昇格したことを話して下さった。

その後、ビデオで開設記念特別展示を紹介し、「‘江戸となにわ’から‘東京と大阪’へ」というディスカッションとなった。パネリストは薮田先生と私、コーディネータは、大学史委員会委員である鈴木智道法政大学准教授、ディスカスタントは古俣達郎HOSEIミュージアム専任所員であった。私立大学が中心地にできていった東京と、郊外に出ることによってできた大阪の違いが実に面白かった。郊外では近代的な大学教育を受けられ、中心地では私塾がまだ残っていた大阪が羨ましかったが、薮田先生にとっては、東京には神田などの学生街が存在することが羨ましいということだ。この日は大学昇格までの歴史がテーマだったが、来年度にでも、続きのシンポジウムをぜひおこなって欲しい。

今後は24日に学位授与式をおこない、26日に最後の常務理事会を開催する。その後、新旧常務理事と理事の懇談会を開催し、最後の危機対策本部会議を開催して、私の大学の仕事は終わりになる。30日には日本私立大学連盟の理事会と総会があり、連盟の仕事もこれで終わりになる。

そこで、総長日誌は今日を最後とします。長い間、まことにありがとうございました。

3月19日(金)

高額寄付者の鈴木勝喜様に直接お目にかかってお礼を申し述べた。鈴木様は本学合気道部OBである。そこでこの日は、OB会役員の長倉正道様もご同席下さった。

その後、総長執務室の片付けと引っ越し準備をおこない、さらにその後、大学基準協会の常務理事として、広報委員会を開催した。何をしている組織であるかを、大学当事者だけでなく、高校にも社会にも知っていただかないと、大学の質保証についての信頼が広がらない。広報の役目は重要なのだ。文字だけでなく短い動画での案内を作る案が出てきたり、基準協会における評価とは何かなど、活発な議論の場となった。この会議も、今日が最後である。

3月18日(木)

グローバル戦略本部会議を開催した。その後、高額寄付者の福田明安様に直接お目にかかってお礼を申し上げ、さらにその後、やはり高額寄付者の薩埵真二様に直接お目にかかってお礼を申し述べた。本学の設立者である薩埵正邦のひ孫にあたる方で、亡くなったお母様のご希望で多額の寄付をして下さったのである。

その後、私にとっては最後の学部長会議を開催した。学部長たちは常務理事会と学部の間を繋ぎながら、今年度はとりわけ困難な議論を、諦めずに熱意を込めておこなって下さった。心から感謝したい。

3月17日(水)

常務理事会と危機対策本部会議を開催した。

その後、京都大学高等教育研究開発推進センターが主催する「大学教育研究フォーラム」で講演をおこなった。全体テーマは「大学教育におけるニューノーマルを展望する」で、今後の大学教育の新たな姿を考えるフォーラムである。私は「教えることから学ぶことへ」という題名で、学生が目標と学び方を決められる大学になること、複数の人間がサポートする学びを構想すること、関わりの重要性を再認識すること、あらゆる年齢層の人々との連携や出会いを豊かにすること、そしてそれらの実現のために大学設置基準を見直す必要もあることを論じた。講演のあと、東京大学大学院情報学環の吉見俊哉教授、リクルートの「カレッジマネジメント」の編集長の小林浩さん、そして高等教育研究開発推進センター長の飯吉透教授とディスカッションした。吉見さんの、「もう大学という名称、やめませんか?学院とか塾の方が個性が見える」という呼びかけが、刺激的でうなづける。それぞれの方の基調講演も、討論も、大変面白かった。

シンポジウム終了後、また会議に戻って情報セキュリティ委員会を開催した。

3月16日(火)

サントリー芸術財団理事会に出席した。江戸東京研究センター年度報告会が行われた。その途中、社会学部教授会冒頭で、教員退任のご挨拶をさせていただいた。

3月15日(月)

最後の男女共同参画推進アクション・プラン策定タスクフォース会議と、今年度最後の全学質保証会議を開催した。

3月13日(土)

豊島岡女子学園高等学校の皆さんに講演をおこない、9人の生徒さんとディスカッションをした。「理系と文系が分かれているのはおかしいと思う。どうお考えですか?」「理系に進みます。文系の学びは必要ですか?」「リーダーシップをとっていく仕事をしたいと思う。リーダーとはどうあるべきですか?」という素晴らしい質問ばかりである。この高校は国立の理系に進む生徒が多い。これからの女性に、とても希望が持てた。

その後、法政大学出身のマスコミ関係者の集いで、新聞・出版・放送・広告・映画・音楽など多岐にわたるマスコミ界に身を置くメンバーによって構成されている「マスコミ・オレンジ会」で挨拶をした。今年はウエブ上で開催されたのだ。活躍中の編集者へのインタビューが実に面白かった。卒業生が今まさに仕事をしている現場の動画は、HPで紹介しても良さそうだ。

3月12日(金)

今年度最後の学校長会議を開催した。付属校担当理事と総長室長が退任して教育現場に戻ることになり、ご挨拶いただいた。また法政中学高校校長と私が退職するのでご挨拶申し上げた。特別な記念品をいただいた。様々な衣装を着たエコピョンの詰め合わせ!等である。オンライン上で贈呈があったので、届くのを楽しみにしている。学校長の皆さん、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。

3月11日(木)

学部の自己点検懇談会を開催した。コロナ禍における学部の特有の試みや経験、そこから考えたことなどを話してくださった。その後、危機対策本部会議を開催した。

3月10日(水)

常務理事会、理事会、理事会懇談会を開催した。理事会は今年度最後であるとともに、4年間続いた今期理事会の最後でもあった。そこで、退任する理事と監事に感謝状と記念品をお渡しし、写真を撮った。理事の皆さんは、私と同様、7年間つとめてくださった。退任理事、監事の皆様、今までのご尽力に心から感謝します。本当にお疲れ様でした。

3月9日(火)

外部企業の会議に参加した。その後、日本私立大学連盟の常務理事会が開催された。さらにその後、公認会計士国家試験合格者たちへのメッセージ動画を収録した。祝賀会を毎年行っているのだが、今年は開催しないことになった。そこで、お祝いのメッセージを伝えることにしたのだ。その後、司法試験合格の祝賀式典に出席した。こちらは懇親会抜きで式典のみ対面でおこなった。

3月8日(月)

男女共同参画タスクフォース会議を開催した。

本学で約50年間写真館を経営し、催し物や資料の撮影などを担ってくださったカトウフォートの加藤泰昭さんが経営を終了することになった。私も教材のスライド作成から何から、ずいぶんお世話になった。加藤さんは料理写真家としても全国で活躍していらした。本日は長年の感謝の気持ちをこめて、感謝状をお渡しした。加藤さん、長い間本当にありがとうございました。

その後、私が座長をつとめる、日本学術会議の外部評価有識者による評価対応委員会を開催した。梶田隆章会長ほか副会長たちも出席なさり、評価委員たちが意見を述べ、質疑応答をおこない、その対話を受けてこれから評価書をまとめる。

3月6日(土)

編集工学研究所主催の社会人向け講座Hyper-EditingPlatform[AIDA]の最終回に、アドヴァイザリー・ボードとして参加した。今シーズンのテーマは「生命と文明の間」で、「間論(まろん)」と呼んでいる最終レポートが塾生から提出された。それを読んでコメントしつつこれからの社会像を議論した。語られたトピックはあまりに興味深く、ここには書ききれない。

3月5日(金)

国立大学法人総合研究大学院大学の長谷川眞理子学長と、葉山にある総研大で対談を行った。長谷川さんは行動生態学者で自然人類学者である。対談は後日総研大YouTubeチャンネルにアップされる。私は、なぜ他者に共感できる人とできない人がいるのか、常々疑問に思っている。長谷川さんも同じ疑問を持っていて、その著書には必ず「共感」について生物学的見解が示されている。それによると最近の脳研究では、人は自分自身が身体的痛みを感じる時と、やはり自分自身が社会的痛みを感じる時では、脳の賦活部位(活発になる場所)が同じなのだという。他者が身体的痛みを感じているのを見た時も、同じ部位が賦活される。しかし他者の社会的な痛みを見た時には、その部位ではなく前頭前野が活性化されるという。つまり他者の状況を理解したときに初めて共感する、ということだ。教育を受け読書や思考の習慣を持っていることが、共感には極めて大切なのである。学問を軽視する政治家が自らの言葉を持たず、他者の社会的痛みにも鈍感である理由が、推測できる。

3月4日(木)

HOSEI2030推進本部会議、拡大キャンパス再構築特設部会、そして学部長会議を開催した。

3月3日(水)

常務理事会を開催した。その後、2種のテーマで常務理事会懇談会、さらに危機対策本部会議を開催した。

3月2日(火)

定年退職者慰労会を開催した。私は主催者であるが、同時に慰労される側でもあった。廣瀬次期総長が感謝状を渡して下さったが、その感謝状はなんと、田中優子から田中優子への感謝状だった。強いて言えば、総長・田中優子から、教員・田中優子への感謝状なのだろう。挨拶は退職者としてではなく総長として、だったのだが、思わず退職者としての言葉が出た。「昨年までは退職者の皆さんに、第二の人生を楽しんで下さい、と言っていたのですが、私自身がその立場になってみると、第二の人生など無いことが分かりました」と。これからの日々は「人生」などという大仰なものではなく、「いつ死を迎えるかわからない貴重な日々」なのである。一日一日を充実させ丁寧に生きたい。

朝日新聞がThinkGenderというキャンペーンをおこなっており、紙面でも時々見かける。「男女格差が153カ国中121位の日本。この社会で生きにくさを感じているのは、女性だけではありません。性別に関係なく平等に機会があり、だれもが「ありのままの自分」で生きられる社会をめざして。ジェンダー〈社会的・文化的に作られた性差〉について、一緒に考えませんか」という趣旨だ。そのThinkGenderが3月14日にオンラインイベント「ThinkGender~あなたと拓く、あなたと決める」を開催する。イベントのファシリテーターが、法政オンラインでも対談した高田朝子法政大経営大学院教授であることから、高田教授を通して当日流すメッセージリレー者の一人になってくれないか、という依頼があり、大事なテーマなのでお引き受けした。今日はそのメッセージを動画収録した。

「週刊BCN」というメディアがある。BCNはBusiness Computer Newsのことで、国内唯一のIT業界新聞だ。むろん電子版もある。そこに、比叡山の千日回峰を模した「千人回峰」という欄がある。人に焦点を当てたインタビュー取材である。本学卒業生で高額寄付者でもある株式会社プロシップ会長の鈴木勝喜氏からの推薦だということだったので、お引き受けすることにした。「現在に至るまでの個人史」と「今後のこと」を聞かれた。

その後、陸前高田を拠点に活動している学生たちの「陸前高田SDGsワークショップ」発表会に寄せるメッセージを録画した。現地に行かれない日々のなかでも、陸前高田の生産者や経営者とともにアイデアを出し合って新しい活動を始めている。そのような活動の持続によって東日本大震災の記憶を受け渡しているのが、見事だと思う。

さらにその後、元早稲田大学総長でJMOOC(日本版の大規模公開オンライン講座)理事長の白井克彦氏が見えられた。