2019年度

12月

2019年度

12月31日(火)

『江戸アバター主義』(仮題)について電話で章立て、題名、加筆部分などを打ち合わせた。良い本になりそうだ。終章を執筆した。これで全体がまとまった。

12月30日(月)

2018年12月9日に、朝日新聞社主催、法政大学共催、法政大学江戸東京研究センター・法政大学グローバル教育センターの協力により、法政大学薩埵(さった)ホールで開催された朝日教育会議「江戸から未来へ アバターforダイバーシティ」をもとに、このたび本を書き下ろした。報告者として当日登壇くださった池上英子さん(本学の海外交流協定大学でもあるアメリカ合衆国ニューヨークにあるニュースクール大学教授)との共著『江戸アバター主義』(仮題)である。その初校ゲラが出てきて、電話でその打ち合わせを帰国中の池上さんとすることになった。ゲラを熟読しながら校正をおこない、挿入図版の指定リストを作った。

12月29日(日)

TBSのサンデーモーニングに出演した。最初の話題はカジノ汚職。氷山の一角であろう。これから何が出てくるかわからない。自衛隊中東派遣の閣議決定についても懸念を述べた。「調査・研究」という位置づけは、その必要性についての国会での討議が不要、という処置である。今後もこの方法で派遣が続けられる可能性が高い。年末は「今年の逝去者」を追悼するコーナーがある。その最後に出てきたのが、アフガニスタンで殺されたペシャワール会の中村哲さんだ。江戸時代に作られた筑後川の山田堰をモデルに、中村さんはマルワリード用水路を完成させた。大型重機の要らない江戸時代の工法しか使えなかったのである。支援が入らなくなっても、自分がいなくなっても、継続できる農地開発の方法を伝えたかったのだ。その話を私は、2010年にNHKの番組の対談で伺っていた。自立を助ける支援こそ本当の支援であることを、実行したかたである。

12月27日(金)

すでに亡くなっているが、石川淳という小説家がいた。私の学部卒業論文は「石川淳と精神の運動」だった。石川淳全集を読むことで江戸と出会ったのである。日本女子大で、その石川淳に関するシンポジウムが開催された。石川淳の研究者である日本女子大の山口俊雄教授が企画したものだ。「1980年代の石川淳と江戸」というタイトルにすることで、近代文学研究者のみならず江戸文学研究者も集まることになった。研究発表として法政大学文学部の江戸文学研究者、小林ふみ子教授が狂歌の研究史と石川淳の狂歌論との関係を話し、青山学院大学非常勤講師の帆苅基生氏が石川淳著『狂風記』と、それが連載された集英社の文芸誌『すばる』との関係を話した。作家は場を得て仕事をする。その「場」がどれだけ作家の自由を保障するかが重要で、『狂風記』が『すばる』無しでは書かれなかったであろうと、確かに納得できる発表だった。その後、『石川淳全集』の校閲解説を担った国際日本文化研究センターの名誉教授、鈴木貞美氏と私が、山口教授の司会で対談し、その後、小林ふみ子教授、帆苅基生氏が加わってシンポジウムとなった。
石川淳についての本を今まで書くことができないでいた。何十年かぶりに向き合った。読んでみると、大学生の時の胸の高まりと同じだった。いや、そのあいだに江戸文学・文化の知識もだいぶ蓄積されたのでさらに深く心がときめき、彼がつまりは何を書いていたのか、さらに理解できた。
書籍化する目的で集英社の編集者にも来てもらい、そのめどもついた。現在進んでいるものだけで3冊ある。既刊の文庫化もする。来年は何冊もの本が出ることになりそうだ。

12月25日(水)

全学質保証会議を開催した。今年は7年に一度の、大学基準協会による大学認証評価を受ける年である。評価書を提出し、実地調査を受けた。その結果を記載した調査委員会による「委員会案」が送られてきた。事実誤認があればそれを述べることができるように、その機会を設けているのである。その有無や申請の仕方などを協議するための会議であった。その後、常務理事会打ち合わせをおこなった。

12月23日(月)

文部科学省第三審査会が開催された。

12月21日(土)

「第3回 自由を生き抜く実践知大賞」表彰式、祝賀懇親会を開催した。今年は18件の候補があり、その中から10件をノミネートし、さらにそこから大賞1件と、その他の賞4件を選んだ。
大賞は「法政大学植物医科学センター」とした。植物医科学センターは食糧問題と環境問題を組み合わせた「社会の課題解決」の組織だ。遺伝子組み替えや農薬、化学肥料依存による増産ではなく、植物の側に立ち、生態系を出来るだけ損なわず、治療によって人間の飢餓を回避することをめざしている。地域でも診断をおこない、診断方法を公開するなど、身近な社会にも貢献している。
「法政大学新聞 1041 号バリアフリー特集」には「ダイバーシティ賞」を授与した。本来のジャーナリズムがやるべき、実見にもとづいて社会的課題に取り組んだ報道である。「法政大学新聞」は学生によって90年間続き、大学への鋭い批判も辞さない誇るべき組織である。「大学キャンパスでの避難生活デザインワーク〜豊かさと包摂性を追求した避難生活〜」には「人々への共感賞」を授与した。多摩キャンパスの特性を活かしながら、誰にでも訪れる可能性のある避難生活を体験することで、他者の立場に立って物事を考えた実践授業である。この授業には9学部の学生が参加したという。小金井キャンパスの「ガラス箱オフィスアワーセンター」には「自由という広場賞」を授与した。教員に設定の義務があるオフィスアワーを、学生同士の対話の場にすることで学生のアイデアが活き、対話の空間となったことが見事だ。他キャンパス、他学部も参考にしてよい事例だ。国際高校のPASS(The Program “Your Awareness Saves Society”)には、「真に自由な思考と行動賞」を授与した。「多文化共生」「グローバル・キャリア」「エンバイロンメンタル・スタディーズ」の 3分野がある。生徒はそれぞれの分野で自主的にチームをつくり、学外で取材しプレゼンテーションによって批評を受ける。自分を社会の中に置き直し社会の中の自分を考える、主体的な学びの模範である。国際高校の特色ある教育文化は女子高時代から受け継がれ、さらに伸びている。
今回選定の基準としたテーマは、「価値観を変える実践知」だった。たとえば植物医科学センターは、増収増産、グローバル企業による支配などに向かう食糧や植物の世界の中で、植物の側に立って生命を尊重する研究を積み重ねている。これは動植物への価値観を変える。また「避難生活デザインワーク」は、避難生活と言う苦しい体験を、楽しい体験にすることで乗り越えていく可能性を開き、価値観を変えてしまった。今年、実践知は価値観を変えることができるのだということを、これらの実践の中で活き活きと感じることができた。
「第3回 自由を生き抜く実践知大賞」のノミネート取組、受賞取組については、本学HP「法政フロネシス」でご覧いただけます。また、今後、広報誌「法政」でも順次掲載していきますので、是非ご覧ください。

12月20日(金)

学校長会議を開催した。日本私立大学連盟の加盟大学の職員有志がつくっている「私大連金曜会」という組織があり、今回は初めて法政大学が会場となった。そこで「HOSEI2030による大学改革」という講演をした。やはりブランディング・プロセスに対する関心は高いようだ。懇親会にも参加し、その後、編集工学研究所の「本〆会(ほんじめかい)」という恒例の年末の会に顔を出した。

12月19日(木)

キャンパス再構築特設部会、学部長会議を開催した。

12月18日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会を開催した。

12月13日(金)

こぶな書店から刊行された『アフリカの難民キャンプで暮らす―ブジュブラムでのフィールドワーク401日』の著者、小俣直彦(おまた・なおひこ)さんが来室された。小俣さんはオックスフォード大学の准教授で、国際開発学部難民研究センター主任である。難民研究センターは欧米でも数か所にしかなく、そのなかでオックスフォード大学のセンターは1982年に世界で初めてできたそうだ。小俣さんはロンドン大学博士修了後、NGOでアフリカの現場で開発・難民支援に携わっておられた。その経験をノンフィクションとして書き、2017年の開高健ノンフィクション賞最終選考に残った。その作品『アフリカ難民キャンプ滞在記―ブジュブラム難民キャンプで過ごした401日』は、身近な問題として考えるのが難しい「難民」との距離を一挙に縮める作品だった。難民キャンプ生活を送るひとりひとりの、想像もできなかった困難やしたたかさや弱さや明るさや面白さが見えた。このたびようやく著書となって刊行され、書評を書いたことで、訪問して下さったのである。ヨーロッパでも難民の研究者は多くないが、最近になって学ぶ学生が多くなったという。小俣さんが研究しておられる分野は、難民問題のなかでも難民自身の経済活動に特化した分野で、他に専門家はおらず、調査にも教鞭をとることも、かなり忙しそうなご様子だ。とても背の高い、落ち着いた方だった。
その後、外部企業の取締役会、懇親会に参加した。

12月12日(木)

大学院に絞った自己点検懇談会「大学院が育成する人材と社会における役割について―多様化する社会からのニーズにどう対応すべきか」が開催された。最初に、参議院内閣委員会調査室長、宮崎一徳氏の基調講演があった。宮崎さんは本学の大学院、公共政策研究科において、廣瀬克哉副学長のもとで研究し、博士号を取得なさったかただ。研究テーマは「議員立法」である。参議院で議員立法に関する得難い体験を積み重ねながら論文を書き、論文を周りの同僚や上司にも読んでもらっていたという。そして博士号取得後、調査室長に抜擢された。大学院を活用した社会人の素晴らしいモデルである。
その後キャリアデザイン学研究科の木村琢磨研究科長と理工学研究科の安田彰研究科長がそれぞれの研究科の実践とお考えを発表して下さった。さらにその後、5研究科が3グループに分かれてディスカッションをおこなった。社会人が必要としている大学院における教育とは何か。その多様なありかたについて議論がなされた。仕事に役立ち仕事のキャリアアップにつながる大学院教育は必要だ。しかしそれだけでなく、論理力、表現能力など汎用的能力こそが、時代の変化に耐えうる。これからの大学院のあり方には多くの可能性があり、それを幅広く展開していく必要がある。高いレベルの社会人教育を積み上げてきた本学には、それをさらに充実させていく責務があるだろう。
その後、「岩手県陸前高田市と法政大学の持続可能な開発目標(SDGs)推進に係る協定締結式」をおこなった。陸前高田市の戸羽太(とば・ふとし)市長、陸前高田市役所福祉部長の齋藤晴美さん、そして陸前高田市議会議員で本学卒業生の畠山恵美子さんが本学まで来て下さり、無事、締結式を終えた。

12月11日(水)

常務理事会、理事会、評議員会、評議員会忘年会を開催した。

12月10日(火)

「三菱創業150周年記念事業 三菱みらい育成財団」の第一回評議員会があった。教育界への大型支援である。まず高校から始まる。募集を始めるにあたっての議論がなされた。
その後、日本私立大学連盟企画会議、常務理事会、常務理事会懇談会があった。

12月09日(月)

今日から3日間にわたり、会計検査院の実地検査がある。こちらも大変だが、検査院の方々にもご苦労をかける。「十分に検査をして欲しい」と冒頭で挨拶し、大学の概況をお話しした。
2021年度用の大学案内の写真撮影をおこなった。さらに、来年掲載予定の東京新聞「私の東京物語」のために写真撮影をおこない、掲載写真の打ち合わせをおこなった。その後、編集工学研究所「ISIS編集学校」のニュースサイト「遊刊エディスト」の取材を受けた。それぞれ異なる個々人の才能を磨くには、どのような仕組みや取り組みが必要なのか、難しいが充実した対話ができた。

12月08日(日)

江戸東京研究センター(EtoS)の催し物は、学内においては常に市ヶ谷キャンパスでおこなわれている。他のキャンパスでもEtoSの活動を知っていただこうと、今回は横山泰子センター長のご尽力で、小金井キャンパス・マルチメディアホールで開催した。小金井キャンパスには天文台がある。それならと、横山センター長は「江戸の天文学」を発案してくれた。
まず、国立天文台で長く研究なさり、天文学史に関するご著書を多く刊行しておられる、元帝京平成大学教授、中村士(つこう)先生より、日本の天文学の歴史を古代から江戸時代まで話していただいた。それを受けて私から、江戸時代の科学の性格についてコメントし、その後、座談をおこなった。座談には本学の理工学部元教授で東京大学名誉教授の岡村定矩先生が加わって下さり、横山センター長が司会をした。江戸時代の天文学の話だけでなく、小金井キャンパスにある天文台、周辺にある国立天文台、多摩六都科学館、情報通信研究機構の話など、もと天文少女としては興味が尽きない。これら全部に行きたくなった。まずは、小金井キャンパスで行われている天文学を、もっと知っていただこう。

12月07日(土)

例年の多摩キャンパスコンサートが開催された。バイオリニストの千住真理子さんと、チェロ奏者の長谷川陽子さんによる、バッハの無伴奏の演奏だ。千住さんのバッハ無伴奏パルティータは緊張感にあふれ、高い評価を受けている。寒い日だったが、大講堂が満席になった。私は毎年、市ヶ谷キャンパスでの催し物が重なって来られない。今年はようやく参加できた。千住さんは、音響学会の方々が編成していた室内楽団に私が加わって、年に1回バッハのブランデンブルグ協奏曲をバイオリン演奏していた時に、東大駒場まで教えに来て下さったことがある。ほぼ20年前になる。ご挨拶に伺ったが、その時のことを覚えていらした。この日の演奏も、地味な無伴奏の曲でありながら、大きな喝采があった。

12月06日(金)

法政大学出版局の第6期評議員会が開催された。その後、月刊誌『みんなのねがい』の取材を受けた。障がい者福祉関係の雑誌で、本学のダイバーシティ宣言に関心をもって下さっている。
この日は経営学部60周年の祝賀会だった。在中国日本大使をなさっていた元伊藤忠商事社長・会長の丹羽宇一郎氏の講演があり、そのあとで佐野哲学部長の司会で対談した。丹羽氏はまっすぐ学生たちにまなざしを向け、力強い言葉で話しかけた。迫力のある、良いご講演だった。学生たちの心を揺さぶったに違いない。
その後、講義リレーでつなぐ「実践知」フォーラム表彰式がおこなわれた。この講義リレーは大学憲章「実践知」を掲げ、総長賞を贈賞するという企画だった。そこで表彰する役目をお引き受けしたのである。「実践知」というテーマで実施した講義はどれもが興味深いものだったが、賞の対象として選んだのは、出産後の女性を支援する産後ケアを通じて、今までになかった「ワークシフト」を実践した事例であった。その根底には「パラレルキャリア」という考え方がある。収入のための仕事に就いたとしても、同時に社会的な活動をするなど「複数のコミュニティを行き来する生き方」「労働と学びの両立」「家庭とキャリアの両立」というまさに新しい未来的な「生き方」を浮かび上がらせた。講義リレーは私自身が学ぶところが大きく、たいへん面白かった。

12月05日(木)

朝日新聞出版と『布のちから』文庫化の打ち合わせをおこなった。次の本についても話し合ったが、いつ書ける?
その後、HOSEI2030推進本部会議、キャンパス再構築特設部会、学部長会議を開催した。

12月04日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会を開催した。その後、三菱みらい育成財団の方がみえ、第一回の会議の事前説明を受けた。夜は編集工学研究所で開催された「暁斎(きょうさい)100」に参加した。加納節雄氏所蔵の河鍋暁斎の絵画約150点が展示されたのである。まさに暁斎を浴びる体験となった。国芳の弟子であり狩野派も学び、その他多くの流派を身につけた暁斎は、実に多様な様式で表現するが、どれもが描いていて楽しくてしようがない、といった脈動が伝わってくる。研究も活動もこんなふうに楽しむのが理想だ。加納節雄氏、十文字美信氏、そして会場となった編集工学研究所「本楼」の主である松岡正剛氏とともに、来場者の前で「江戸」について語り合った。コレクターである加納氏自身が江戸に溺れている。