2019年度

1月

2019年度

1月31日(金)

法政大学新聞学会の取材を受けた。学生のあいだの経済格差が深刻になってきていることが話題になった。二部(夜間部)を廃止したために、働きながら大学に通うことができなくなった。無理して仕事と履修を両立させているが、その結果4年で卒業できずに留年する学生が増えているという。法政大学はかつて、経済的に困難な学生や、地方から来る学生でも通える大学だった。場所を選ばずインターネットを用いて学習できるオンデマンド科目を増やすこと、昼夜開講の講座を作ること、制限つきで通信教育部の科目履修ができるようにすることなど、今からでもできることがありそうだ。それらをかつてと同じように、他大学にない法政大学の特徴とすることで、上京が困難な地方の学生たちにも選ばれる大学にしたい、と思った。

その後、職員研修「まなびプログラム」の報告会に参加し、講評をおこなった。11人の職員が6か月間にわたって研修を受けつつ所属する部局の課題を解決する政策提案文書を書き上げ、それを本日は各人7分で発表し、それぞれが厳しい質問と講評を受ける。緊張感のある見事なプログラムだった。

すでにハノイ(ベトナム)に大学院を開講している日越大学が、いよいよ学部を作ることになり、古田元夫学長が報告にいらしてくださった。9月9日に1回目の入学式がおこなわれるという。本学からも講師が派遣される。学生の行き来も盛んになるだろう。

1月30日(木)

本学卒業生で東京メトロポリタンテレビジョンの専務取締役、大井泰弘氏と、小池百合子都知事とのテレビ対談について打ち合わせをした。大井さんは単に卒業生というだけでなく、私が大学一年で履修し、『自由という広場』(2016年、法政大学出版局)でも取り上げた野林正路の言語学講義の同窓生である。教養部の講義だがゼミのように、同窓生は後々まで親しかった。4月に小池百合子都知事とのテレビ対談が実現しそうである。
その後、HOSEI2030キャンパス再構築特設部会を開催した。さらに、学部長会議を開催した。

1月29日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会を開催した。

夜は朝日新聞社の大佛次郎賞贈呈式に審査員として出席した。贈呈式は、朝日賞、朝日スポーツ賞、大佛次郎論壇賞と一緒におこなわれる。大佛次郎賞は黒川創さんの『鶴見俊輔伝』が受賞した。鶴見俊輔さんは、私が1回目の朝日新聞書評委員であったころご一緒した。委員会で様々なお話を伺っただけでなく、対談や座談会にも呼んで下さった。姉上の鶴見和子さんとは、シンポジウムなどでおめにかかり、京都の高齢者施設にお入りになった後、対談をさせていただいている。お二人の著書の書評もしてきた。そのような縁のある方々だったが、この授賞式の日、思いがけない方に出会った。お二人の妹さん、内山章子(あやこ)さんである。90歳におなりになる。俊輔さん、和子さんとの出会いもまじえて自己紹介をすると、「まあ、ご縁がありますね。主人が世話になりまして」とおっしゃる。法政大学名誉教授、内山尚三氏の御夫人であった。内山先生は法学部で民法、労働法を教えていらした。法政大学を退職なさったあとも、ゼミ生がお宅に出入りしていたこと、内山先生が亡くなったときには、ゼミ生たちが「何もかもしてくださって」と感謝の言葉をいただいた。亡くなった五明先生もよくお宅に伺ったということだ。『鶴見俊輔伝』には章子さんの著書もたびたび引用されており、俊輔さんや和子さん、章子さんの祖父、後藤新平の家でもあった鶴見家の、庶民とは異なる一面が実に面白く書かれている。次男、次女は長男、長女と全く別の扱いをされていて、章子さんは女中部屋の隣で育ったそうだ。それでも母親は章子さんを頼りにし、章子さんが母親の介護をして看取ったという。

1月28日(火)

研究所長会議を開催した。その後、3月卒業の学生たちに向けたDVDの収録をおこなった。大学基準協会において常務理事会および、理事会が開催された。

1月26日(日)

グランドニッコー東京台場「パレロワイヤル」で、恒例の法政大学校友会「オール法政新年を祝う会」が開催された。1000名以上の参加者があっただけでなく、30代の校友たちが100名以上参加してくれた。菅義偉官房長官、鈴木直道北海道知事も駆けつけてくださり、山中正竹侍ジャパン強化委員会強化本部長が、スポーツマンシップに関する大変意義深い特別講演をしてくださった。

1月25日(土)

公認会計士試験合格者祝賀会が開催された。今年は34人も合格者がいて、しかもそのうち16人は在学生である。指導してくださった先生方のご努力がうかがわれる。

1月24日(金)

学校長会議を開催した。
その後、日本学術会議の事務局のかたが来室して下さり、この一年間の学術会議の活動の説明がおこなわれた。私は昨年より日本学術会議の外部評価有識者会議の座長を務めており、一年間の活動についての評価をおこない、4月に学術会議総会においてその報告をするためである。日本学術会議は、日本の学問の方向を示す重要な機関で、内閣府に置かれているが独立している。
さらにその後東京都生活文化局のかたが来室。就任することになった東京芸術文化評議会についての説明を受けた。

1月22日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会を開催した。

1月20日(月)

HOSEIミュージアム開設準備委員会を開催した。その後、HOSEI2030運営会議を開催した。さらにその後、新宿のハイアットリージェンシー東京で、法政大学能楽研究所主催の第四十一回観世寿夫記念法政大学能楽賞、第二十九回催花賞の贈呈式があった。本学の能楽研究所は1952年に設立され、1979年に観世寿夫記念法政大学能楽賞、1988年に催花賞が設定されている。今年の能楽賞の受賞者は、狂言方大蔵流の山本則俊(のりとし)氏、能楽研究者の小林健二氏で、催花賞はシテ方金剛流の宇髙通成(みちしげ)氏である。

町田市のお住まいの山本則俊氏には、地元のファンがたくさんいらっしゃるようで、その会を率いている方に伺った話では、ファンによって狂言の公演が企画され、多くの観客を集めているとのことだった。「なんとも言えない飄々としたおかしさ」が最大の魅力だという。小林健二氏の今回の受賞のきっかけになった『描かれた能楽: 芸能と絵画が織りなす文化史』(2019年、吉川弘文館)という著作は、中近世の絵巻・絵本・屏風・絵鑑(えかがみ)などと能楽との関係を探った著書だということで、たいへん興味をそそられた。ぜひ読んでみようと思う。国文学研究資料館の副館長をなさったかたで、この日の祝辞は館長のロバート・キャンベルさんだった。宇髙通成氏は、「能」と「英語」と「能面の面打ち」という3つの分野をご自分のものにしながら、その接点で演能をなさっている方だ。外国で演能できる外国人材を育てることに尽力してこられた。The International Noh Institute(国際能楽研究会)を率いておられ、この日はそのメンバーであるDiego Pellecchia氏が祝辞をお読みになった。この日、受賞者の宇髙さんは入院中で、長男の竜成(たつしげ)さんが賞状を受け取ってくださった。通成氏がお書きになった受賞者挨拶を代読なさったのだが、その言葉があまりに素敵で、竜成さんにそれを申し上げたら、打ち直したという原稿を下さった。何等かのかたちで広く伝えたい。

1月17日(金)

学外の企業の役員会議が開催された。その後、広報の担当者から請われて、本学のブランディング・プロセスについてお話しした。本学のブランドの考えかたは企業にとっても大きな関心事である。なぜなら単に知名度を高めるためのものではなく、仕事上の判断の指針となるからだ。グローバル企業は世界中にいる社員が、利益だけでなく社会への貢献についても自覚していなければならない。しかも判断や行動にはスピードが求められる。どのような価値創造のために自分は働いているのか。しっかりとそれをもつ方法を企業も探している。

1月16日(木)

機上泊ののち、昼頃羽田に着き、総長室に入る。決裁や打ち合わせを済ませ、学部長会議、学部長懇談会が続く。

1月15日(水)

それぞれの出発となった。私は、イギリス人でリーズ大学教授でいらしたPaul Waleyさんとまた船に乗って空港に向かった。Paul Waleyさんの祖父の兄弟は、『源氏物語』の初の英訳者として知られるアーサー・ウェイリーさんだという。

1月14日(火)

2日目のこの日はThe future of past heritageのテーマで日本とイタリアの4人の研究者が、Water cities and surrounding spaceのテーマで日本、イタリア、イギリスの4人の研究者が、Inhabitants of global cities: Economy, culture and governanceのテーマで日本とイタリアの5人の研究者が発表し、最後にClosing panelとなった。タイトルがすべて英語であるのは、講演、発表、討議が英語で行われたからである。江戸学も英語で情報交換と討議をする時代になっている。陣内名誉教授は時々、途中からイタリア語になってしまう。イタリア語の方が楽しいのだろう。

昼間は全く街に出られないが、大学のホールのテラスから、ヴェネチアでもっとも広い運河とその分岐点が見える。とりわけ夕方になると運河沿いには蛍光色ではなく、行灯やロウソクのような赤い光がともり、実に美しい。明治時代の浮世絵師が描いた東京の夜のように静謐でもの悲しい。夕食会場は連日外のレストランだった。タクシーは無いので全て歩いたが、幾度も橋を渡るその行き帰りもまた、歴史を学ぶ道筋である。この3日間は、久々に晴れたという。通常は雨が降りやすく、11月には水が50年ぶりの高さまで上昇して滞在したホテルも浸水したと聞いた。シンポジウムでは、東京とヴェネチアが共有している、温暖化時代の浸水リスクについても語られた。このシンポジウムは日本語版と英語版で刊行される。

1月13日(月)

ヴェネチア・カ・フォスカリ大学のBaratto Hallで、二日間にわたってInternational Conference Tokyo and Venice as Cities on Water. Past Memories and Future Perspectives(水都としての東京とヴェニス:過去の記憶と未来への展望)が開催された。主催はヴェネチア大学の言語・比較文化学部及び経済学部、法政大学江戸東京研究センターで、東芝が協賛に入って下さった。ミラノの日本領事館やローマにある日本文化会館、イタリア研究学会も、協力して下さった。

最初にヴェネチア大学を代表してLippiello副学長と、在ミラノ日本国総領事雨宮雄治氏のご挨拶があり、私もその後、法政大学を代表して挨拶をさせていただいた。さらにローマの日本文化会館長・西林万寿夫氏のご挨拶、そしてヴェネチア大学経営学部長のご挨拶が続く。その後、IUAV University のDonatella CALABI 名誉教授がVenice and the seaというテーマで基調講演を、私がWaterside culture in Edoというテーマで基調講演をおこなった。その後、Memory of place, memory of waterのテーマで日本とイタリアの5人の研究者が発表し、Cities on water in cartography and geographyのテーマで日本とイタリアの4人の研究者が発表した。

1月12日(日)

機上泊を経て朝の9時過ぎにヴェネチアに到着。ヴェネチア大学のローザ・カローリ教授が空港で出迎えて下さった。空港からホテルまで船を使った。20年ほど前、初めてヴェネチアを訪れた時に、早朝に着いてもやのかかる海上をやはり船でホテルの河岸まで行ったことを思い出した。波しぶきの中、杭の1本1本にかもめが並んでいて、素晴らしく美しかった。ホテルに着いて間もなく、陣内秀信名誉教授をはじめとする江戸東京研究センターの研究者たちと、シンポジウム前の徒歩による実地見学が始まった。陣内名誉教授は、都市の全体構造が見えるように、そこかしこを案内して下さった。とりわけ、運河だけでなく、海との関係が分かった。夜はヴェネチア大学主催の夕食会があった。

1月11日(土)

例年おこなわれる、本学保護者の組織である法政大学後援会の新年賀詞交換会が開催された。私からは、今年開館するHOSEIミュージアムについてお話しした。ミュージアムのパネルも会場に展示された。夜には、ヴェネチア大学(正式にはヴェネチア・カ・フォスカリ大学という)における講演のために、経由地のパリへ出発した。

1月9日(木)

朝日新聞より、江戸文化がなぜ注目されるのか、についてインタビューがあった。故・杉浦日向子さんの存在を中心に記事をまとめるという。80年代とその時の江戸ブームを振り返る動きがあるらしい。
その後、次年度のスケジュール会議を開催した。

1月8日(水)

常務理事会を開催した。その後、常務理事会懇談会を、3種それぞれ異なるテーマで開催した。

1月7日(火)

日本私立大学連盟の理事会と新年の交歓会が開催された。

1月5日(日)

正月三が日と4日は、依頼されている複数の原稿の執筆や、13日におこなうベネチア大学における講演資料作り、そして自著の『布のちから』文庫化に際しての全体校正をおこない、文庫本あとがきを執筆した。いつものとおり、正月こそ仕事日、である。
そして今日は、恒例となったTBSサンデーモーニング新春特番に出演した。今年のテーマは「深まる分断・幸せになれない時代」であった。新年早々、アメリカがイランのソレイマニ軍司令官を殺害したニュースから始まった。戦争が始まるかもしれない。特番は1「世界の混乱」2「覇権国アメリカの盛衰と世界分断」3「世界混迷のかぎは幼児化?」の3部から成っていた。手短かに私の発言を要約すると、1については、難民の経済的自立支援が必要であること、2については、国家が再配分の機能を失っていることが問題であること、3については、不安から脱却するために、自給率を高めていったん足場を固めるローカリズムの導入が必要であることを述べた。