2018年度

11月

2018年度

11月30日(金)

江戸東京研究センター(EToS)の中に「江戸東京のユニークさ」を探求するセクションがあり、その中に「地図チーム」が組織されている。さまざまな時代の地図を、多方面の情報で重ね合わせるチームだ。作業には学生も加わっている。その地図チームが進捗状況を共有するために、説明にいらして下さった、陣内前センター長、横山現センター長も一緒に地図を眺めながら、改めて、今までにはない研究ができそうだと期待を膨らませた。

11月29日(木)

「HOSEI2030推進本部会議」を開催した。その後、「自由を生き抜く実践知大賞」をはじめとする数種の打ち合わせ。

11月28日(水)

常務理事会、理事会を開催した。その後、本学保護者の会である後援会の役員との懇談会が開催された。

11月27日(火)

京都で、日本私立大学連盟の理事会と総会があった。毎年、1日かけて京都まで行って帰って来るのだが、たいてい前後に予定がつまっていて日帰りになる。しかも駅に隣接するホテル内なので、駅から駅に移動しただけとなる。京都の紅葉とは無縁だ。

11月26日(月)

日本私立大学連盟(私大連)・拡大政策研究部門会議が発足した。政策研究部門会議は政策提言をまとめ、発信する会議体である。「拡大」となったのは、緊急課題として「就活ルール、就職問題」を取り上げることとなり、就職問題委員会の委員長である明治大学の土屋恵一郎学長と、数名の専門家に入っていただいて、早急に私大連の考えをまとめ、発信するためである。

本学における三大学(明治大学、関西大学)連携の巡回展示「ボアソナードとその教え子たち」が来年2月末から始まる。それを記念して2月23日にシンポジウムが開催される。その打ち合わせをおこなった。

毎年おこなわれる、朝日新聞社主催の大佛次郎賞選考委員会が開催された。今年は最後まで評価が割れ、議論が長引いた。それも結構面白い。最終選考に残った大作5作品を、この日までのあいだ、移動中に読み続けた。それができるのは、電子化書籍を購入するか、書籍を電子化する、という方法をとっているからである。しかしときどき電子化を依頼したところから本が戻ってくることがある。電子化を認可しない著者がいるからだ。そんなとき、机の前に座ってじっくり読む時間がないような読者はこの本は読まなくてもいい、と言われている気がして寂しくなる。

11月24日(土)

金沢文化サミットフォーラムで、松岡正剛氏との対談「金沢問答」をおこなった。高度経済成長期と、今の観光化の時代に、金沢から多くのものが失われた。日本の地方では、経済発展では解決できない、むしろ一様の発展によって個性が衰微していく現象が起きている。加賀藩は、江戸時代でもっとも石高の多い百万石を誇り、外様大名でありながら幕府からは徳川御三家と並ぶ待遇を受けていた、極めて特別な藩であった。「百工比照」という工芸の模範実物リストを作り上げ、図書収集においても、新井白石から「加賀藩は天下の書府」と言われた。その特徴は活かされているのか?多くの地方都市に共通する課題だ。しかし、30代、40代の危機感と意識が高い。金沢に辛口の対談となったこの「金沢問答」は、現在編集中の「江戸問答」に組み込むつもりだ。

11月23日(金)

2日間にわたる金沢文化サミットのオープニングに列席するために、金沢市に入った。金沢は、福光屋の福光松太郎氏を中心に1985年から始まった「フードピア」によって、多くの文化人が集まるようになった。私もフードピアの講演者だった。やがて北陸新幹線が開通すると観光客が押しかけた。しかしかえって、加賀百万石時代の伝統工芸は衰微しはじめ、金沢の特色が薄れている。青年会議所のメンバーがそのことに危機感をもち、松岡正剛氏とともに「有職故実」を応用した「金沢ユーソクコジツ」という運動を始めている。この日は「金沢ユーソクコジツ」の体験をもとに、金沢の特質を考える対談やシンポジウムがおこなわれた。どこか、本学のブランディング作業に似ている。

11月22日(木)

HOSEI2030推進本部会議打ち合わせ会議、大学付属校協議会、学部長会議、学部長等懇談会を開催した。

11月21日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会、全学質保証会議を開催した。

11月20日(火)

毎日新聞「論点」の取材があった。新卒一括採用と通年採用がテーマである。生涯にわたって学び続けながら仕事をする時代に入った。そこで、仕事と勉強の関係は、徐々に変わっていかねばならない。

花王芸術・科学財団主催の公開シンポジウム「これからの家族を考える」がおこなわれた。私の基調講演は「家から連へ」である。江戸時代の家制度は、近代家族へ変化した。その際、江戸時代の夫婦別姓・別財産制は、夫婦同姓・戸主制度となった。血のつながりより能力の組み合わせが重視された家族関係は、近代になると、血のつながりが中心となった。むしろ窮屈になったのだ。戸主は戦後に戸籍筆頭者となったが、価値観はあまり変わらない。税金は別のシステムで徴収できているが、まだ戸籍という考えかたも残っている。では、これからの家族は?というテーマである。私の主張は、血のつながりのない「連」的なコミュニティ家族に戻ることである。その後、東京大学名誉教授の原島博氏、サンデーモーニングのメインキャスターで立教大学講師の橋谷能理子さんと座談となった。

11月19日(月)

日中友好新聞の取材があった。今年5月に北京でおこなわれ総長として出席した、本学校友組織「法政チャイナ」の催し物や、中国人留学生のこと、そして20世紀初頭の清国留学生の歴史の中にあった問題点などについてお話しした。留学生を送り出した国が、留学先の国(この場合は日本)の政府と結びついて、その留学生たちを弾圧したり貶めたりしたとき、受け容れた大学はどのように学生を守ることができるのか?清国と日本に起きたとされるこの出来事は、今後も起こりうることとして考えねばならない。

本学の交換留学生制度ESOPで、留学生たちに英語による講義をおこなった。テーマは沖縄。本学の国際日本学インスティテュートの私のゼミで博士号を取得し、現在は白鴎大学の専任講師をつとめている、バイリンガルの礒ステファニー侑子先生の授業へのゲスト講師である。学生からは、江戸時代の沖縄の話だけでなく、現在の基地問題への見解も聞きたいとのことだったので、まず基地問題について話し、その遠因となっている、江戸時代の幕藩体制による琉球の組み込みと、明治政府による琉球処分、その後の沖縄戦、米国による占領という順番で話した。米国人学生も複数いるなかで、盛んな議論が起こり、良い授業になった。この日は、文学部教授の小林ふみ子先生と、本学卒業生でオーストラリアのマードック大学教授である森山武先生が飛び入り参加して下さり、最後は森山先生がまとめて下さった。ESOPの学生たちはとにかく議論をする。そこで私も授業時間の半分以上を議論の時間にあてた。日本人学生たちの100分授業も、そういう構成にするのが望ましいと考えている。

今秋は東京六大学野球で本学野球部が優勝した。少し雨模様だったが神楽坂でパレードがおこなわれ、その後、優勝祝勝会が開催された。大学構内も神楽坂もたいへんな賑わいとなった。野球部と応援団の学生たちは、町の方々の応援を受けて勇気づけられたことだろう。飯田橋、神楽坂の皆様、ほんとうにありがとうございました。交通規制で、ご迷惑をおかけしました。

東京六大学野球

11月17日(土)

学業成績が優れていて、教育上経済的援助が必要な学生への給付型奨学金として今年度新設した「法政大学サポーターズ奨学金」の授与式がおこなわれた。わざわざ土曜に足を運んでもらうのは気の毒だと思っていたが、おひとりおひとりに声をかけながら授与することができて、とても良い機会となった。

毎年おこなわれる本学卒業生教員の集まりを、今年も開催した。私からは本学の大学スポーツのありかたと、この数年でなされた体育会のガバナンス改革、これからのゆくえをお話しした。懇親会にも出席して何人かの卒業生教員の方々や、すでに教員への就任が決まっている在学生とお話しできた。

さらにその後、やはり卒業生たちの、公認会計士、弁護士、税理士、不動産鑑定士、行政書士など「士」の付く国家資格を有する本学卒業生の組織である「法政士業の会」の集まりにも出席。皆さん、社会のために活躍して下さっている。午後には無料で、卒業生のための相談窓口も開いてくださったそうだ。感謝。

11月16日(金)

学校長会議を開催した。

毎年ある集英社四賞の贈賞式が、今年も帝国ホテルで大々的におこなわれた。昨年は本学社会学部出身の山岡ミヤさんが「すばる文学賞」を受賞なさって、藤沢周先生と3人で写真を撮って掲載した。今年は関西学院大学の学生が受賞した。藤沢周さんと私と姜尚中さん、森達也さん、そして茂木健一郎さんが審査員をつとめている開高健ノンフィクション賞は、『空をゆく巨人』を書いた川内有緒さんが受賞した。川内さんは国際連合のユネスコに勤務なさっていたかただが、この作品は日本のいわきと、現代芸術家、蔡國強さんとのかかわりを書いた力作である。地域の人々のもつ柔軟な発想、壮大な夢に圧倒される。

この日は、本学のなかで財界人倶楽部が開催され、そちらにもご挨拶を申し上げたく、帝国ホテルとのあいだを行ったり来たり。

11月15日(木)

本学職員管理職を対象にした部課長会議に出席し、挨拶枠の中で職員の「学び」の必要性について話した。
HOSEI2030運営会議を開催した。

朝日新聞全面広告のための鼎談をおこなった。テーマは「法政の研究力」である。理工学部機械工学科の石井千春先生と理工学部応用情報工学科の彌冨(いやとみ)仁先生のお二人から、私が話を伺う、という鼎談である。とても面白かった。

石井千春先生は、空気圧で駆動する軽量のロボットスーツを開発なさった。ご自身でベンチャー企業を立ち上げておられ、販売も始まっている。このロボットスーツの機能は、人間の重労働を助けるもので、使用される現場は農作業や介護の現場である。昨年度の「自由を生き抜く実践知大賞」でも特別賞「進取の気象賞」を贈賞している。「一家に一台ロボットスーツがあるといいですね」と思わず本音が出る。在宅介護にも、とても役立ちそうだ。

彌冨先生はAIによるパターン認識の研究者である。慶應義塾大学医学部と共に悪性黒色腫の診断システムを開発なさった。皮膚の撮影装置で撮った画像によって癌かどうかを診断するシステムで、世界中の研究者、医者が使っているという。この技術を応用してAIの深層学習(Deep Learning)の技術によって植物の病気を診断するシステムも開発している。それだけではない。文章分析にも研究を広げ、新聞の文章表現のバイアスを解析できるようになりつつあるという。AIの深層学習の範囲は広がっており、研究室の学生が次々と新しい領域を発案しているという。

お二人とも、その研究開発は社会の課題解決を見据えている。まさに「自由を生き抜く実践知」研究である。学生による海外の学会発表や起業の動きも盛んで、お話を伺っていると、小金井キャンパスのシリコンバレー化も夢ではない。

外部の大学評価委員(経営部会)による、役員インタビューがおこなわれた。変化の激しい時代の大学教育に対する危機感をもって、本学をしっかり見て下さっている。受け止めて、活かしていかねばならない。

11月14日(水)

常務理事会、理事会、予算編成委員会を開催した。

11月13日(火)

東京都から、「女性活躍推進大賞」の審査について説明に来てくださった。私大連(日本私立大学連盟)の代表として委員をつとめているのだが、なかなかスケジュールが合わずに出席できない。資料の提供を受け、複数の大学から申請のあった、女性活躍を推進する制度設計等の審査をおこない、ご連絡申し上げた。女性教員や研究者の育成に積極的な大学が、毎年複数、応募して下さる。

日本私立大学連盟の常務理事会があった。

その後、横浜の戸塚に駆けつけ、明治学院大学横浜キャンパスでおこなわれた、国際学部附属研究所主催の連続対談第一回目に登壇した。この研究所の所長は、作家の高橋源一郎さんである。「さらば大学」と題したこの対談シリーズは、来年3月に定年退職となる高橋さんが、私のほか、内田樹氏、加藤典洋氏、原武史氏、上野千鶴子氏と対談する企画で、最後に最終講義がおこなわれる。後に刊行される予定だ。
高橋さんがこの企画について書いた趣意書がなかなか良い。一部を引用したい。
「大学を取り囲む環境は日々過酷なものになっています。少子化による学生数の急減、社会環境の激変による社会から大学への要請の変化あるいは社会からの圧力の強化、そして、大学における研究や教育そのものの意味の問い直し。どれも解決の目処さえつかぬ難問です。かつて「象牙の塔」といわれた大学は、もはや、社会から孤立してはいられなくなりました。いや、もしかしたら、もともと大学以上に社会の風圧に晒される存在はないのかもしれません。では、どうすればいいのか。そんなことを考える暇もないほど、次々に新しい問題が大学を襲っています。・・・・「さらば大学」は、わたし自身が大学へ贈ることばになりますが、同時に、苦しみ悩む現在の大学が不死鳥のように蘇ることを期待してのことばでもあります。あえていうまでもなく、大学について考えることは、この世界について考えることでもあるはずです。この問題について、深く考え悩んだであろう大学関係者をお招きし、徹底的に議論してゆきたいと思っています。」

11月10日(土)

後援会支部長会議がおこなわれ、冒頭で挨拶した。この日は、夕方からの支部長会議の懇親会にも出席した。支部長会議では副学長、学部長、学生センター長との懇談もおこなわれ、支部長さんたちの多くから「非常に有意義な話が聞けた」という報告があった。

11月9日(金)

沖縄県石垣市議の内原英聡氏(34歳)をHOSEI ONLINEの対談にお招きした。本学社会学部の出身。大学院・国際日本学インスティテュートに進学して近世沖縄に関する論文を書き、博士号を取得している。この日は、本学で学んだこと、論文のこと、そして市議会における質疑、石垣にとってどのような存在でありたいかなど、様々なことを伺った。自らの地位と名誉と収入とアイデンティティのためではなく、そこに暮らす人々の現在と未来のために何が必要か、耳を傾け続けている。新しいタイプの政治家だ。

引き続き同氏と、『週刊金曜日』のために対談をおこなった。こちらでは、自衛隊の配備とその背景にある世界情勢を含めて対談した。沖縄本島には米軍基地があり、離島には自衛隊が配備されている。自衛隊の規模は次第に大きくなっている。米軍と防衛省の結びつきは強くなっており、2019年度予算の防衛費の概算要求額は過去最大を更新している。その要因が米国から購入する高額武器の増大であることはよく知られている。外交や世界情勢は日々の生活に直結している。それがはっきり見えるのが沖縄なのである。

その後、ETOS(江戸東京研究センター)が、「江戸文化×デザインエンジニアリングの可能性」と題して、産業技術大学院大学との共催シンポジウムを本学の富士見ゲートで開催した。産業技術大学院大学とは、首都大学東京が設置した専門職大学院である。私からは「連の江戸文化」という講演を提供し、産業技術大学院大学の福田哲夫名誉教授が新幹線のデザインについて、金箱淳一助教は身体性とデザインについて講演をなさった。お二人それぞれたいへん興味深い話だったが、文理融合は研究の分野でどのように成し得るのか、これからの課題である。

11月8日(木)

多摩キャンパスで、多摩キャンパスの将来構想のためのブランディングワークショップを開催した。法政大学は、政府の「工場等制限法」(都市部に制限区域を設け、その制限区域内に人口・産業の過度の集中を防ぐことを目的に大学の新設増設などを制限した法律)が大学に適用された結果、郊外移転を決断した大学のひとつである。移転を前向きに転換し、学部教員が学部教育に責任をもつ体制を作ってきた。多摩キャンパスの設立の意味と、歴史がもたらした変化の意味を改めて考える機会になった。

まず、「多摩キャンパスを知る」という時間で、印象ではなく、データによって議論するスタートを作った。その後、グループワークとなった。「多摩キャンパスならではの研究・教育・学生生活の強みとポテンシャルは何か?」「研究・教育・学生生活の社会的価値や教育的価値とその可能性を表すコトバは何か?」「その実現のために必要な条件・環境は何か?」について、カードに記述しながら言葉を出し合う。それを模造紙に張り付け、全体を表現する言葉を紡ぎだす、という作業である。この日に出された言葉を、今後まとめていく。

多摩キャンパスで、学部長会議、学部長会議懇親会を開催した。

11月7日(水)

常務理事会懇談会、常務理事会、役員ミーティング、予算編成委員会、また別のテーマで常務理事会懇談会。終了後、千代田区キャンパスコンソーシアム打ち合わせ。

11月5日(月)

サントリー美術館の企画委員会が開催された。いま展示中の醍醐寺展はたいへんな盛況だ。美術が信仰と切り離されて鑑賞される国はかなり珍しいかも知れない。

11月3日(土)

法政大学相撲部が100周年を迎えた。おめでとう。挨拶と乾杯にかけつけた。相撲は単なるスポーツではなく、大切な日本伝統文化のひとつであるという話をした。法学部の内田俊一教授が現在の部長だ。教養部時代に親しかったので、久々に杯を傾けたのが嬉しかった。先代部長の屋嘉宗彦名誉教授もいらしていた。

11月2日(金)

企業の取締役会に出席。その後、HOSEIミュージアムの開設準備委員会を開催した。