2018年度

2月

2018年度

2月28日(木)

学部の自己点検懇談会を開催した。その後、HOSEI2030運営会議を開催。

2月27日(水)

常務理事会、理事会、評議員会を開催した。

2月26日(火)

大学基準協会理事会が開催された。
「石牟礼道子論」の語り下ろし第三回目。この後いったん、文章化に入っていただく。

2月24日(日)

55・58Farewell Daysの2日目である。この日私は、「大江宏と55・58年館」シンポジウムを拝聴した。

藤森照信東京大学名誉教授、藤岡洋保東京工業大学名誉教授、陣内秀信法政大学特任教授、大江新法政大学名誉教授がパネリストとなり、この建物に込められたモダニズム精神と伝統との関わり、その後の展開などが語られた。大江新法政大学名誉教授は、55・58年館の設計者である大江宏先生のご子息である。シンポジウムでは大江新さんが法政大学の 1953年から58年の変化を図と写真で見せて下さった。藤岡洋保さんは大学院棟である 53年館が事実上大江宏先生の処女作であることと、モダニズムが日本に導入された経緯を話された。歴史主義とモダニズムの関係を考えさせられた。神社、茶室、住宅に共通する日本的様式は、簡素な平面構造をもち素材を活用する。これは日本建築とモダニズムの共通点である。大江宏先生はその間をつないだのだ。大江先生は歴史的建造物についても深い知識を持っていらしたようだ。藤森照信さんは、大江宏先生と、ライバルである丹下健三氏との関係をめぐって話された。ガラスと鉄で壁面が作られた55・58年館は結果的に、大江宏先生が丹下健三氏の一歩先を行った作品であった、という分析である。これも面白かった。

大江新先生は卒業生たちの組織「きおくプロジェクト」を率いて下さった。「きおくプロジェクト」は55・58年館の写真を集め、実行委員会に協力して、今回も素晴らしい写真集を作った。形あるものは建物でも人でも必ず消えてなくなる。しかし「忘れたくない」という思いは絵や写真や言葉を通して、私たちの記憶に何度もよみがえる。それを組織的に形にしてくれた「きおくプロジェクト」の皆さんには、法政大学の卒業生すべてを代表して、心からの感謝をささげたい。

55・58年館は1955,58年当時、目が覚めるばかりの斬新で粋なデザインで、遠くから見てもすぐに法政大学とわかる個性があった。58年館竣工時の大江宏先生の『設計要旨』には、「大学は象牙の塔ではなく、現実の社会を動かしていく原動力」とある。その力の源泉を、学生、教職員のコミュニティにあるとし、校舎の中央に「学生ホール」を置いたのだという。他の大学と比較したことがなかった私は、吹き抜けののびのびした学生ホールが真ん中にある大学が極めて珍しい事例であることには気づかなかった。しかし重厚でありながら窓が多く光が十分に入るこの校舎で、私を含む学生たちはいつの時代も「自由」を感じ、新しい時代を予感していた。

この2日間は55・58年館1階から7階まで、非常に多くの催し物が開催された。学生、教職員、OBが撮影した55・58年館の建築やその風景、アーティストによる教室インスタレーション、55・58年館が登場する記録映画等の上映、55・58年館の建築的見どころをパネルと音声ガイドでご案内する見どころ解説、55・58年館の歴史や建築家大江宏が校舎に込めた思いを研究者が解説するレクチャー&見学会、そして懐かしの食堂メニュー「バクバクランチ」「教職カツカレー」「法政ランチ」の復活など、卒業生は存分に楽しまれたようだ。二日間で、予想の約2倍、およそ3000人の方々が集まった。教職員と「きおくプロジェクト」の皆さんは準備、案内、進行、片付けなど大変忙しい2日間だったと思う。皆さんのおかげで、忘れ難い、とても良い催しものになった。

2月23日(土)

今日から2日間、55・58 Farewell Daysである。55・58年館にいよいよお別れをする日だ。大学らしく「最終講義」と表現した。大江新名誉教授をはじめとする本学卒業生を中心とした「きおくプロジェクト」メンバーの発案だったようだ。チラシやパンフレットのデザインも素敵で、これも本学卒業生のちからである。この日23日は、昨年7月に明治大学を皮切りに始まった三大学連携の特別展示「ボアソナードとその教え子たち」と「三大学連携協力協定締結記念シンポジウム」を、本学で実施する日とした。今回の記念シンポジウムは「三大学創立の時代―私塾・結社・法律学校―」と題して、江戸時代の私塾から明治初期の自由民権運動への展開、その関わりとしての大学創設までを主に論じた。私立大学とは、それぞれの時代の市民が求める、新しい研究教育の場である。その時代の国家の要求に翻弄されながらも、市民の「自由」に基づいて独自の歩みを創り出し、次の時代に受け渡していかねばならない。

自由民権運動と五日市憲法の研究者である元専修大学教授の新井勝紘先生、梅謙次郎も研究して下さっている日本法制史の神戸学院大学准教授の辻村亮彦先生、そして田中優子がそれぞれ講演し、ディスカッションをおこなった。コメンテーターとして、昨年、明治大学で講演をして下さった明治大学の村上一博先生と、本学の飯田泰三名誉教授に来ていただいた。会場は、この2日間を最後に消え行く833教室である。教室はいっぱいになり、まさに最終講義にふさわしい熱気に満ちていた。

法政大学、明治大学、関西大学は「ギュスターヴ・エミール・ボアソナードに学んだ若者たちによる創設」という共通の起源をもつ大学として、2017年に連携協力協定を締結している。土屋恵一郎明治大学学長、芝井敬司関西大学学長もこの場に参加して下さった。今年は、昨年の明治大学のシンポジウムのような立派なホールではなくお別れ間際の古い教室だが、それだけに、本学にとってはたいへん印象深い連携シンポジウムになった。特別展示「ボアソナードとその教え子たち」は、HOSEI ミュージアムの開設プレ企画としてボアソナード・タワー14階の博物館展示室と、外濠校舎6階展示室で、現在も開催中である。

2月21日(木)

3月に本学を退職なさる、現代福祉学部の湯浅誠教授におめにかかり、今までブランディング・ワークショップ等にご協力下さり、深い視点を与えて下さったことに感謝申し上げた。「職員も教員も、自分の言葉で自分のことを語ったほうがいい。そうすれば、学生は必ず顔を上げてその言葉を聞こうとする」と、言い残して下さった。組織の中で「守り」に入ってしまいがちな教職員にとって、とても大切な示唆である。

朝日新聞出版の方々が来室。12月におこなった「朝日教育会議」の書籍化をどう進めるか、話し合った。出版社の企画会議に通れば、朝日新書での書籍化作業が始まる。面白い本になりそうだ。

学部長会議を開催した。

2月20日(水)

常務理事会を開催した。事務部門の「自己点検懇談会」をおこなった。常務理事会懇談会をおこなった。

2月19日(火)

田中愛治早稲田大学総長が就任のご挨拶に来校して下さった。大学入学共通テスト等について意見交換した。

集英社新書で刊行する石牟礼道子論の語り下ろし第二回目。この本は、石牟礼道子の世界観を図示した新しい観点のものになるだろう。

2月18日(月)

日本私立大学連盟・拡大政策部門会議において、就職・採用と大学教育に関する意見表明に向けた討議をおこなった。

2月17日(日)

本学付属高校三校の生徒たちが参加する第3回「総長杯・英語プレゼンテーション大会」がおこなわれた。今回は8チーム(個人およびグループ)が参加。法政高校の生徒(個人)に最優秀賞(総長賞)、国際高校の生徒(個人)に外国人留学生審査員賞、同じく国際高校の生徒(グループ)に優秀賞、そして第二高校の生徒(グループ)に審査員長特別賞を差し上げた。毎年、少しずつ方法が変わっている。昨年からインターネット上のフォームを使った採点となり、集計が格段と早くなった。今年は、プレゼンテーション終了後の質問に、1分間のThinking Timeを設けて回答する方法を取り入れた。プレゼンテーションも、「頑張っている」という姿勢から、自然に楽しみながら語るスタイルに変化してきている。来年も楽しみだ。

2月15日(金)

学校長会議、55・58年館フェアウェルデイズ実行委員会を開催。その後、様々な打ち合わせをおこなった。

2月13日(水)

常務理事会、理事会、常務理事会懇談会、理事会懇談会を開催した。

2月12日(火)

日本私立大学連盟の常務理事会、理事会があった。

この日から、集英社にずっと依頼されて書けなかった「石牟礼道子論」の語り下ろしが始まった。1月8日の日誌に書いたように、編集者もライターも本学の卒業生である。2時間の予定が3時間になっても、話は尽きず、次回に持ち越された。

2月10日(日)

TBSの「サンデーモーニング」に出演した。冒頭で、北方四島返還交渉の変化のニュースが報じられ、最後のコーナー「風をよむ」も、「日本の外交」であった。私は北方四島交渉が困難を極めている理由の背後に、日米安保条約と日米地位協定がある、と述べた。また「風をよむ」では、「日本外交はこの150年間、ずっと自国ファーストだった」と語った。明治維新後は列強入りすること、戦後は経済成長することにまい進し、国のありかたの理想も思想も創り上げてこなかった。核兵器禁止条約にも、G7の海洋プラスチック憲章にも日本は署名しなかったことを、番組は取り上げていた。国のありかたについての一貫した思想がなく、アメリカに従うことだけが方針となっているように見える。政府の「国際化」という言葉が向いている方向を、改めて考えさせられた。

2月8日(金)

外部企業の会議が開催された。企業でも、本学の理事会懇談会と同様の、説明と議題整理をおこなう「打ち合わせ会」を導入することになり、会議時間が伸びた。どの組織も大きな変化を迎えている。

2月6日(水)

常務理事会を開催した。その後、3種類の常務理事会懇談会を開催した。

その後、朝日新聞「女性プロジェクト」担当の上席執行役員である町田智子さんと担当者の方が来室。さまざまなキャンペーンを展開している様子を紹介して下さった。本学のダイバーシティへの取り組みは女性の問題に絞り込んではいないが、世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ(男女格差)指数で、日本が149ヵ国中110位、先進国中では最下位という2018年の結果を知って愕然とした。現在、日本では約70%の女性(15歳~64歳)が働いているのだが、管理職比率と国会議員比率が極めて低いのである。研究者、とくに理系研究者も女性の数がとても少ない。あきらめることなく、問題の根本を考えなくてはならない。そうでないと、日本社会が変わらない。

2月5日(火)

『週刊金曜日』の社長が昨年9月に交代した。新社長と新しく入った編集者が挨拶にいらした。新しい社長は、もと朝日新聞記者の植村隆さんである。2014年10月に私は、本学の卒業生で、当時北海道の北星学園大学学長であった田村信一氏に書簡を送った。「本学に対するあらゆる攻撃は大学の自治を侵害する卑劣な行為であり、毅然として対処する」という北星学園大学の声明を、支持する内容だった。その「攻撃」の矛先が、当時北星学園大学で教鞭をとっていらした植村隆さんだったのだ。植村さんは娘さんへの脅迫といういたたまれない暴力に、毅然と向き合っていらした。大学はこういうとき、根拠のない攻撃から教職員を守らねばならない。

定期購読者の高齢化で部数減少が続く『週刊金曜日』だが、植村さんはその状況下で社長を引き受け、「こういう雑誌こそ100年続けねばならない」と言い切った。変化しながらも重要な核心だけは持続させようとする勇気と意志は、とても大切なものであり、周囲に影響を与える。堂々として明るくおおらかなかただった。

2月4日(月)

第4回ヨーゼフ・クライナー博士記念・法政大学国際日本学賞の授賞式がとりおこなわれた。今年の受賞者は、ブルガリア生まれで、現在はニュージーランドのヴィクトリア大学ウェリントン校で教えておられるデンニッツァ・ガブラコヴァ(Dennitza Gabrakova)さんである。受賞作はThe Unnamable Archipelago: Wounds of the Postcolonial in Postwar Japanese Literature and Thought (Brill, May 2018) (邦題『名指しえぬ列島:戦後日本文学・思想におけるポストコロニアルの傷口』)で、有吉佐和子、日野啓三、池澤夏樹、島田雅彦、多和田葉子などの作品における「島」「離島」というモチーフを結び付けて論じた著書だ。本学の島田雅彦教授も、ガブラコヴァさんの講演に来て下さった。

講演が実にユニークであった。自分の著書を解説するのではなく、著書にちりばめられた引用文を、さまざまな写真作品とコラージュして話した。彼女がこの日に使った「フラグメント」「コラージュ」という言葉は、私自身が大学院生のころ、作品をイデオロギー的脈絡から切り離すために使っていた言葉で、物語分析では「エピソード」という単位に切り離した。そういう方法の経験があったので、とても近しく感じたのである。ガブラコヴァさんは作品から「島」や「漂流物」の言葉を取り出し、言葉が視覚でコラージュされ、視覚が言葉でコラージュされる世界を我々の前に見せた。文学があらゆる表現の「もと」になり得ること、一見関わりなさそうな作品同士がつながることを示し、とても面白い講演となった。

2月1日(金)

多摩キャンパスで、第34回「多摩シンポジウム」が開催された。今年は多摩地域交流センター開設5周年にあたり、「実践知を高める地域と学生」というテーマを掲げ、センターの「地域交流DAY」として開催したのである。学生たちのプロジェクト活動報告から始まった。八王子、館ヶ丘団地、グリーンヒル寺田、城山、相模原、相原などの地域の方々が、学生たちと一緒に活動し、育てて下さっていることを深く実感した。学生たちも、授業やゼミでは得られない体験をしている。課題は多いが、だからこそ現実社会を知ることになる。少子高齢化社会とはどういう社会なのか、早く知っておくことは、仕事をする上でもかなり大切なことだろう。

その後私が、「多摩地域の価値と大学――江戸東京研究からの視座」という講演をおこなった。相原を中心に、古代から明治維新期までの話をした。多摩が、古代においては大陸から西日本を経てやってきた技術者たちの移住先であったこと、そこで布や須恵器による生産地を作っていったこと、江戸時代における技術の進展と経済力、それを基盤に、近代国家に対峙していくような自立した精神を持ち合わせていたことなどを、様々事例でお話しした。その後、多摩地域交流センター長の図司直也現代福祉学部教授と、平塚眞樹総長室長(初代多摩地域交流センター長)と、ディスカッションになった。

多摩キャンパスの立地する地域は、その歴史がそのまま日本の歩みにつながっているたいへん面白い地域なのだ。交通の便の問題ばかりがクローズアップされるが、過去と未来について多くを学ぶことのできる地域という認識も、教職員、学生にもってもらいたい。