2017年度

12月

2017年度

12月22日(金)

HOSEI2030推進本部会議の運営委員会、スケジュール会議、企画戦略本部会議など。もうひとつ、ボクシング部の森脇唯人さんが、総長室を表敬訪問して下さった。ミドル級で優勝し、日本一となったのである。オリンピックをめざしている。おめでとう。

12月21日(木)

大学院の自己点検懇談会が開催された。大学院への入学者は多様化している。研究者になろうとする学生だけでなく、修士号をとって就職していく学生たちもいる。留学生も多くなった。そのなかで、日本での就職を望む留学生たちがいる。社会人学生は、キャリアアップを望む社会人もいれば、仕事以外の広い知識を身につけて博士号を獲得する社会人もいる。大学院生の多様化に、必ずしも対応しきれてはいない。その課題を議論するなかで、横断的なプログラムの必要性が論じられた。
3キャンパスをつなげて、ブランディング推進チームが主催するブランディング・ワークショップが開催された。現代福祉学部・湯浅誠教授がファシリテートされた「私にとっての『自由を生き抜く実践知』~誰でも持っている「私の実践知」をコトバに~」は、素晴らしかった。大事なことに気づかされた。憲章というものは作っておしまいになりがちだが、それを活かしていくのでなければ意味がない。それではどう活かすのか?今までは、とにかく皆さんに分かっていただこうと説明を尽くしてきたが、それだけでは足りなかった。「説明」は、意味はわかっても心に入っていかないのである。湯浅先生はまず自ら、これが自分の実践知だった、という体験を話された。そして次に、現代福祉学部の職員が、「自分の言葉」で語ることができるまでの過程を、私たちの前に見せてくれた。よくやって下さった。勇気の要ることだったと思う。その気概を受け取って、今度はそれぞれがグループを組んでおこなった。ただ自分で語るだけでなく、語った後にファシリテーター役が質問を重ねていくことで、説明モードから脱出し、自分の内側の体験として語るようになる。全員がおこなう時間はなかったが、多くの人が、「自分にとっての実践知の体験」を、記憶の中に探したであろう。私もそうだった。機会をみつけて語りたい。湯浅誠先生に感謝。

続いて。「自由を生き抜く実践知大賞」の表彰式をおこなった。78件の応募から18件をノミネートし、その方々にもご出席いただいた。そして会場で教員部門、職員部門、学生部門それぞれの優秀賞、特別賞、そして、ファンファーレとともに大賞を発表した。受賞者には賞状と副賞として記念品をお渡しした。記念品は、「硬い石をも貫き成長する植物」のイメージを形にしたもので、デザイン工学部教育技術員の柚木恵介さんがデザインし、小金井キャンパスのワークショップで技術員の方々が制作下さった。
教員部門優秀賞は、現代福祉学部福祉コミュニティ学科・宮城孝教授の「陸前高田地域再生支援研究プロジェクト」、職員部門優秀賞は学務部若手職員による「大学職員のためのとっさのひとこと英会話」、学生部門優秀賞は「オープンキャンパス学生スタッフ(市ケ谷・多摩・小金井)」、特別賞・進取の気象賞は理工学部機械工学科石井千春教授の「医療・福祉ロボット開発」、特別賞・社会の未来賞は、法政大学第二高等学校の「缶サット甲子園」、そして大賞は、「自主マスコミ講座」に決まった。

この後にマスコミ関係者との懇談会が続いた。マスコミで働く卒業生たち、新聞社の教育分野の記者、ビジネス誌、教育関係の雑誌社、法政大学や総長の取材をしてきて下さった方々、新聞の連載担当者、予備校関係者たちが50名ほど集まって下さった。私から「自由を生き抜く実践知大賞」と本学のブランディング・プロセスをお話しし、デザイン工学部教授の陣内秀信先生が、このほど採択された「私大研究ブランディング事業・江戸東京研究の先端的・学際的拠点形成」を、皆さんに紹介して下さった。豊かな一日だった。

12月20日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会、役員ミーティング、中期経営計画特設部会の、それぞれの会議が続いた。
卒業生の鈴木勝喜氏が、冠奨学金を設立して下さった。総長室でお礼を申し上げた。IT業界で早くから世界に挑戦してきたかただ。ゆっくりお話を伺い、皆さんにもっとよく知っていただく機会を持ちたい。

人文科学研究科教授会において博士論文審査会がおこなわれた。指導してきた留学生の主査として、研究の概要を皆さんの前でお話しした。

12月19日(火)

朝日新聞神奈川県版のインタビューがあった。テーマは私の出身中学高校である。

12月16日(土)

編集工学研究所・ISIS(Interactive System of Inter Scores)編集学校の集まりがあった。インターネット上で展開する学校で、古今東西の人文科学、社会科学、自然科学をカバーする、広大な読書体系を基本に据えた学校だ。ここのコースは、「守」「破」「離」という、日本の古典芸能や職人世界で使う学習段階をもつ。私は、インターネット上の学校が漫然と講義を聞く方法ではなく、激しいインタラクティブな仕組みでどう学べるかに関心があり、以前からこの学習を実践している。今は「離」というコースで、いわば「学びの研究」をしながら学んでいる。大学に導入できるかどうかという問題より前に、大学教育の基本には何が必要なのか考えるために、とても貴重で希少な体験をしている。1コースで2回の集まりがあるが、この日はその1回目だった。インターネット上の指導には多くの優秀なチューターがいて、面談指導も厳しい。

12月15日(金)

学校長会議のあと、学外の企業の取締役会に出席した。

12月14日(木)

築地市場の活用に関する東京都のヒアリングがあった。東京都は築地市場の豊洲移転を決定し、今は、オリンピックの後に築地市場跡地を活用する方法を構築しはじめている。私は、江戸時代の日本橋市場を含めた、江戸東京の市場の変遷と特徴を見られるようにして江戸東京全体を見渡せる場所にすることを提案した。また、豊洲では失われるかも知れない日本橋市場や築地市場の喧噪と活気を実現することも提案した。本学に作られる「江戸東京研究センター」につながる、「これからの東京」を考える機会でもあった。

本学のブランディング推進チームが制作している、法政大学憲章「自由を生き抜く実践知」をテーマにしたDVDの動画撮影がおこなわれた。大変北風の強い寒い日で、外での撮影もあった。できるだけ寒そうな顔をしないよう努力したが、出来上がりはどうか? その後、定例の学部長会議。

12月13日(水)

常務理事会、理事会、評議員会と続いた。来年度の予算編成を理事会から評議員会に提案し、意見をいただく日であった。

12月12日(火)

私立大学連盟の総合政策センター企画会議、私立大学連盟の常務理事会と続き、私立大学連盟常務理事会懇親会がおこなわれた。8日に閣議決定された「新しい経済政策パッケージ」の説明を文科省から聞き、いささか激しい質疑応答となった。

12月11日(月)

文科省で大学設置分科会の会議。
出席できなかったオリンピックパラリンピック東京2020有識者懇談会の報告に来て下さった。

12月9日(土)

法学部・岸井大太郎先生の「岸井大太郎さんを偲ぶ会」が開かれた。経済法学の専門家として在職中でいらしたが、8月に急逝なさったのである。私より年下の63歳でいらした。会場には約200名の方が集まり、多くのかたが慕っていたことを痛感した。大学のありかたにも積極的に発言して下さった。私は「大事な助言者を失った」と、挨拶した。惜しい方を亡くした。

この日、病をおして、叔父様である毎日新聞の岸井成格さんが奥様とともにいらして下さった。TBS「サンデーモーニング」で、長い間、お世話になっている。

12月8日(金)

大学史委員会主催の「法政大学と出陣学徒」最終報告会が開催された。現代福祉学部教授・馬場憲一委員長による調査概要と取り組みの報告ののち、人間環境学部教授・根崎光男副委員長、文学部教授・小林ふみ子委員、元社会学部教授・奥武則元委員、大学史センター専門嘱託・古俣達郎氏、社会学部准教授・鈴木智道委員による座談会がおこなわれた。

この座談会では、学徒出陣のときに学生たちを送り出した竹内賀久治総長は、1933年の法政騒動の時に法政に入られたかたであったこと、文部省から報国隊の編成を命じられたことなど、当時の状況も語られたが、それだけではなかった。聞き取りをした44名の出陣した方々の話の一部を、委員たちが紹介したのである。たとえば、議論していただけで警察に連行され、一日中調べられ殴られたこと。飯盒で米を炊いたが「敵がチフス菌をばらまいた」という想定で、食べないで我慢する訓練をさせられたこと。軍隊におけるさまざまな暴力。日本の戦闘機のエンジンを作るのにアメリカから輸入した機械を使っているのを目撃して 「日本は負ける」と思ったこと。戦友が特攻に出るのを知って「負ける」と思ったこと。スパイの訓練を受けた者たちが終戦前日の8月14日に集められ、陛下の敗戦宣言は無理やり言わされている、と聞かされたこと等――手元には、44名の名前入りの表が配布されている。委員たちが一人一人の名前を挙げ、ヒアリング時に聞いた話を紹介してくれたことで、実に生々しく、戦争の日々が肌で感じられる。2018年3月には事業報告書の下巻が刊行され全ての報告が出揃うわけだが、この座談会は文字で読む以上に、実際の声を聞いた委員たちの言葉が深く心に残った。小林ふみ子委員は、「直接自分が聞いたことを学生に伝えることで、学生は同じキャンパスで同じ年代の学生たちが経験したこととして受け止め、自分事として考えるようになった」と語った。過去のことではない。これからも起こり得ることとして受け止めねばならない。

12月7日(木)

法政大学出版局の評議員会がおこなわれた。大学出版局の中でも特別な名声をもっている出版局だ。株式会社ではなく一般社団法人で、理事の半分以上は教員、評議員も監事も教員だ。理事長は現在、国際文化学部の大中一彌先生である。

本学OBでオリンピック金メダリストの三宅義信さんが来訪して下さった。文化功労者となられ、お祝いを申し上げたかった。少しのあいだお話ししたが、日本文学科のご出身で、能楽の故・表章(おもて・あきら)先生のもとで、『古今集』と『新古今集』の違いについて卒業論文をまとめられたという。たいへん勉強熱心でいらしたことも知った。

12月6日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会、企画戦略本部会議などを開催。

12月5日(火)

前文科大臣で、現在自民党の政務調査会会長代理をつとめておられる松野博一議員を、衆議院議員会館に訪ねた。私大連の鎌田薫会長や私大連常務理事と一緒である。今週中に閣議決定されるといわれている「高等教育の機会均等」に関する要望書をお渡しするためであった。高等教育の経済的軽減のスキームを構築する際には、現在の大きな国私間格差を縮小させたうえで、学生一人ひとりの能力と経済状況に応じた、きめ細かい支援体制を構築するよう、要請したのである。

12月2日(土)

SGU・FD合同シンポジウム「大学の持続可能な成長は可能か?~大学教員の専門職としての学習を軸に~」を開催した。ゲストに、ロンドン大学バークベックカレッジのMiriam Zukas教授をお迎えし、講演をしていただいた。バークベックカレッジは昨年訪問し、たいへん強い印象を受けた。夜間のみ開講している、働く人々に特化した大学なのである。しかも法政大学よりずっと古く、労働者たちの要望によって1823年に開いている。Zukas教授は、訪問時にはお目にかかれなかったが、社会学部の平塚眞樹教授が研究者として長く交流を続けて来られたかたで、今回のシンポジウムの企画も、そのご縁で実現できた。バークベック大学とは昨年一般協定を結び、今年、学生交流の協定を結んだ。   
この日はZukas教授のPractice theoryを伺いながら、法政大学独自の実践知教育を確立していく方法を考えていた。Practice theoryは、学びが関係のなかで実現されていく。「現場」の状況のなかで「関係」を作りながら「実践」する学びである。その場合「現場」とはまず「教室」であろうが、教育、学習、研究が混在した「学部」でもあり、学問領域ごとの「分野」でもある。現場が重要な要素であるなら、現場が変化したとき、カリキュラムもシラバスも教育方法も変えねばならない。バークベックカレッジでは、学生の年齢層が変わったとき、教員と職員がともに考え、歴史の授業を時系列的学習からテーマ学習へ変えたという。現場では、分野によって新しいツールの使い方、あるいは使わない方法なども検討することになる。それもこれも、各教員にまかせておけばよいということでなく、教職員の意見交換や議論の活性化によって実現する。100分授業の開始は、その議論を始める良い機会だ。多くのことに気付かされた。このシンポジウムでもっとも収穫を得たのは私かも知れない。

12月1日(金)

日経新聞が日曜に出しているThe STYLEという版がある。その中のMy Storyの取材があった。長時間のインタビューののち、図書館の地下3階と833教室で撮影をした。図書館の地下書庫は、私にとって魔窟である。入ったら出たくなくなるのだ。なつかしい匂い。手を伸ばしたくなる本の数々。インタビューでは、子供のころからの古本屋通いの話など、本の話、言葉の話が中心になっただけに、本にひたる生活と今との乖離を感じる。図書館にも一人では来られない。本は指定して借りてきてもらう。背表紙を見ながらでないと発見できないことがたくさんあるのだが。
たまたまこの日、日経のインタビューが重なった。「日経ビジネス」が教育特集をするということで取材を受ける。大学生や中高生保護者たちへの助言、といった内容。