2017年度

2月

2017年度

2月28日(水)

常務理事会、中期経営計画特設部会を開催した。

2月27日(火)

4人の本学監事たちと意見交換の会議をもった。たいへん意味のある意見交換となった。
その後、大学基準協会の理事会。

2月25日(日)

杵築市には、広大な伝統的建造物群保存地区が広がる。市長自らのご案内で、まず杵築城に行った。城のあしもとに本学の創設者、金丸鉄(まがね)、伊藤修の立派な碑が立っているのだ。そこから間もなくのところにある南台、北台と呼ばれる保存地区は、今まで見たことのないような独特の坂の町である。「きつき城下町資料館」にも案内していただき、そこにある1640年ごろのジオラマで、金丸家と伊藤家の場所を知ることができた。両家とも、江戸時代当時、私塾を開いていたという。

法政大学の前身である東京法学社を作った金丸鉄と伊藤修は、江戸時代に生まれ育った。その二人が東京で法律の学校を作った背景には、3つの重要な点があった。1つは、「素読・講義・会読」の仕組みをもった藩校と私塾に通っていて、議論の能力をもっていたことだ。2つめには、東京法学社が作られた1880年に、自由民権運動の結社が全国で約2000も作られていて、日本は議論で沸き立っていたことだ。そしてもうひとつは、すでに杵築の藩校で、フランス語を学んでいたことである。フランス語の学習については、佐野雋達(しゅんたつ)、法律の学習については、元田直(なおし)という人たちが杵築にいた。この、江戸時代から明治に至る、たいへん流動性に満ちた日本の動きについては、改めてまとめ、皆さんに伝えようと思う。とにかく、杵築に行き、法政大学の建学について多くのことを、江戸時代とのつながりで、知ることができた。

この後、永松悟市長と法政大学の協定締結式と記者会見をおこなった。

午後は、図書館を作る会と杵築市の主催による講演会があった。すでに図書館はほぼできあがっている。森を散策するようなデザインの素敵な図書館だ。それを記念して、「本から見た江戸文化」という演題で講演をおこなった。

夜は大学に戻って、本学の私大研究ブランディング事業として設置された、江戸東京研究センター設立記念国際シンポジウム「新・江戸東京研究〜近代を相対化する都市の未来〜」にかけつけ、ご挨拶をした。

2月24日(土)

空路で大分へ。午後、日田市民文化会館で「咸宜園(かんぎえん)開塾200年記念式典」に出席し、その後、講演をおこなった。咸宜園は、思想家で漢詩人の廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう)が江戸時代に開いた塾で、総計約5000人の弟子を排出した日本最大の私塾である。東北を含め日本全国から集まっていた。

私は「江戸時代の人々にとっての学び」という演題で、手習い(寺子屋)、藩校、私塾の「学びの方法」について話した。「課書」と呼ばれるテキストを、まず声を出して読みながら覚える「素読」という過程があった。教師が文字を指しながら声を出し、生徒も声を出しながら記憶するのだ。次の段階では、身体にすりこまれたそれらの言葉の意味を掘り下げた「講義」をおこなう。そして最後に、学生が交代で自ら講義し、それに対して学友たちとの質疑と議論がある。この過程を「会読」という。この議論が激論になることもあれば、柔軟におこなわれることもあり、それも私塾というものの特徴だった。とりわけ「会読」というディスカッションが、考える力をつける重要な役割を果たしたのだ。

講演終了後、文化会館から咸宜園に移動し、咸宜園の研究をしている別府大学名誉教授の後藤宗俊氏の説明を聞きながら、江戸時代の咸宜園に思いを馳せる。廣瀬淡窓の伯父は俳諧をよくし、後に咸宜園となったその家で、俳諧の座を巻いたという。人が出入りするその空気のなかで、交流し議論する習慣が自然に育っていったと思われる。

その後、咸宜園門下生の子孫たちの集まりで、後藤宗俊先生と対談した。後藤先生は仏教を中心とする古代史・考古学の専門家だが、生まれ故郷の縁で廣瀬淡窓と咸宜園の研究もしておられるのだという。対談では、江戸時代の「連」の話が中心となった。学問の方法も、俳諧の座や「連」「社」「会」のような小組織の展開を背景にしているのではないか、という話になった。後藤先生は視野が広く発想が柔軟なかたで、たいへんに興味深い対談になった。
夜、車で杵築市に移動した。杵築市長・永松悟さんと役所の方々が待っていてくださった。

2月23日(金)

学校長会議が開催された。
ボアソナード・タワーの教室内で、新入生へのメッセージの動画収録と、専任職員募集時に利用する就職情報サイトの動画収録がおこなわれた。法政大学が求める職員像をお話しした。職員就職情報サイトに登場するのは初めてだ。良い職員に来て欲しい。
ベトナムの日越大学の古田元夫学長がおみえになり、今後の協力関係について話し合う。

2月22日(木)

学部長会議が開催された。HOSEI2030推進本部会議の打ち合わせ会がおこなわれた。

2月21日(水)

常務理事会、理事会、評議員会が開催された。

2月20日(火)

東京2020開会式・閉会式4式典総合プランニングチームが、ヒアリングに来て下さった。なかなか会議に出られないからだ。
中期経営計画特設部会、ミュージアム開設準備委員会が開催された。

夜はNHKで「視点論点」の収録。「残しておきたい日本の美」というテーマで語った。
2006年に監修した『残したい日本の美201』という本があり、それを題材に話して欲しいという依頼だった。その本を長い間忘れていたが、読み返してみると、200以上のテーマに写真をつけたわかりやすい本だ。改めてさまざま考えることができた。

2月17日(土)

本学付属高校の生徒たちが参加する第2回「総長杯・英語プレゼンテーション大会」がおこなわれた。審査に時間がかかった前回の反省で、インターネットを使った新たな審査方法を、付属校連携室が考案してくれた。これが大成功。すみやかに順調に審査が進み、法政女子高校の生徒に最優秀賞を差し上げた。全体にレベルが上がり、これからがますます楽しみだ。

2月15日(木)

HOSEI2030推進本部の運営会議が開催された。その後、朝日新聞「一語一会」の取材があった。このコーナーは、人生を変えた言葉や、影響を与えた言葉について語るというもので、私は、父の言った「自分のやりたいことから遠ざかることなく、いつもそのそばにいるようにしなさい」という言葉について語った。生涯これをやりたい、と思うことがあっても、それで生活できる可能性は低い。しかし、そのそばにいることや、手放さないでいることはできる。「それでいい」と思えたことで、救われた。

2月14日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会、中期経営計画特設部会、と続く。

2月13日(火)

HOSEI ONLINEで、自主マスコミ講座を主催する社会学部教授・稲増龍夫先生と対談した。自主マスコミ講座は今年度創設した「自由を生き抜く実践知大賞」の第一回大賞を獲得した。30年にわたって卒業生と在学生を結びつけ、大学の看板となった自主講座はどう作られ、どう運営されてきたのか、たいへん興味深い話だった。
日本私立大学連盟の常務理事会、理事会があった。

2月8日(木)

江戸東京研究センター長(デザイン工学部教授)の陣内秀信先生と対談をした。NewsPicks内のAsahi Biz Stationで、「江戸東京研究センター」の紹介をするためだ。とても楽しい対談になった。江戸東京研究センターは本学のブランディングのために発足した研究機関である。2月25日には、国際シンポジウムを開催する。 法政大学の歴史を受け止めながら新しい研究を世界に向けてスタートする姿を、このシンポジウムで、ぜひ多くのかたに見ていただきたい。

2月7日(水)

常務理事会、常務理事会懇談会、理事会、理事会懇談会と続く。

2月6日(火)

朝日新聞の『大学ランキング』は、たくさんの方が参考にする雑誌である。今日はそのインタビューを受けた。
最終の志願者数の報告があった。昨年よりさらに多くなり、12万2千人を超えた。

2月2日(金)

「教育と探求社」による、DVDの収録があった。大学進学志望者に見ていただくためのDVDである。大学の案内ではなく、私自身の子供時代、高校生のころ、大学での経験などをインタビューされた。もちろん、目下の仕事である「総長という仕事」や、熱中している「自由を生き抜く実践知」を教育現場へ、という話もした。

江戸東京研究センターは、1月20日に最初のシンポジウムをおこなった。2月25日には、大きな国際シンポジウムが開催される。そして新年度に入って4月21日に、「日本問答・江戸問答」という題名の講演・対談を開催する。松岡正剛・田中優子『日本問答』(岩波新書)を背景に、陣内秀信センター長をまじえて、江戸文化と江戸・東京について語る催しである。この催し物のために、岩波書店の担当者、松岡事務所のスタッフとともに、さったホールその他の会場候補を見学し、打ち合わせをおこなった。

2月1日(木)

研究所長会議、研究総合本部会議、学部長懇談会(中期経営計画について)、学部長会議が続いた。