2016年度

11月

2016年度

11月30日(水)

夜は、総長や理事が、保護者の会である後援会の役員の方々からの質問に答える会合であった。保護者の方々に大学の方針と現状をお伝えするのはとても大事なことで、いくら時間があっても足りないくらいだ。皆さんの熱心な姿勢に、とことん答えたいと思う。

11月27日(日)

六本木・東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で「日本文化にとっての小田野直武」を講演した。1月9日まで「小田野直武と秋田蘭画」展を開催しており、その一環であった。小田野直武は『解体新書』の挿絵を描いただけでなく、オランダ絵画の風景画を取り入れて空と水を描き山水画の枠を超えた。江戸文化は、ヨーロッパとアジアの文化・技術を出会わせ、高度な編集性をもって作り直した文化だ。小田野直武は、江戸文化のその特性を代表する絵師なのである。

11月26日(土)

共同通信社主催で、新年1月1日に各地方新聞に配信される、新年大型対談「私たちの明日へ」の対談がおこなわれた。文芸評論家で早稲田大学名誉教授の加藤典洋さんとの対談である。対談で共有したのは、ひとつはトランプ当選後、対米従属からどう脱却するのか、という問題である。何度も折り返し点に立ちながらも、真剣には考えて来なかったこの究極の状況で、選択肢は2つになった。ひとつは、憲法を改正し戦前と同様の軍事化によって自立を果たす道。もうひとつは、九条の精神を軸に、世界に対して平和主義を貫くことで自立を果たす道。詳しくは新聞で読んでいただきたい。そして、一緒に考えて欲しい。

午後から「法政士業の会」の発足会が開催された。弁護士など法曹界で働く卒業生の集まりである「法曹会」、公認会計士法友会、税理士の集まりである法政会計人会、不動産鑑定士橙法会、行政書士オレンジ会が連合して作った会である。新入生への説明や冠講座の方法で、学生に資格取得への道を示してくれる計画もあり、たいへんありがたい発足であった。

夜は重量挙部主催で、三宅宏実選手の銅メダルと、三宅義行氏のウェイトリフティング協会会長就任と、三宅義信氏の名誉都民顕彰を祝う会が盛大におこなわれた。読書家で知られる三宅宏実選手は、東京オリンピックを目指す一方で「勉強したい」という意欲が強く、本学のスポーツ健康学研究科(大学院)にたいへん関心をもっておられた。選手としてだけでなく、人として充実した時間をもっている三宅宏実選手は、在学生たちにとっても大切なロール・モデルであろう。

11月25日(金)

お隣にある三輪田学園高校で講演した。じきに創立130年を迎える、伝統のある女子高校である。「自由を生き抜く実践知」と題して、本学の理念、教育への考え方だけでなく、グローバル化と江戸時代の対応方法についてもお話しした。高校3年を中心に、1、2年生も保護者の方も参加して下さり、たいへん熱心に聞いて下さった。

驚いたのが、質疑応答の時間である。「グローバル化が大切とよく言われますが、私はときどき、日本だけが無事でいられれば良いのではないかと思ってしまいます。排除の気持ちが芽生えるのではないかと心配になります。どうしたらよいのでしょうか?」「途上国の人々のことが気になってしかたありません。彼らが良い社会で生きられるようになるために、私は何をしたらよいのでしょうか?どういう仕事が、助けになるのでしょうか?」「貧困によって、大学に行かれない人もいます。そうすると、貧困の連鎖が生まれます。なぜそういうことが起きていて、その人たちはどうすればよいのでしょうか?」「偏差値的順位とは別の基本的な自己肯定が必要とおっしゃいましたが、受験を目前にしてやはり順位が気になります。それをどう考えたらよいのでしょうか?」――ひとつひとつに丁寧に答え、予定の時間を大幅に超えてしまったが、私は彼女たちの問題意識の高さ、率直さ、表現の豊かさに接した充実感でいっぱいだった。三輪田学園高校は、「考える」ことの教育に成功している学校である、という印象をもった。

11月24日(木)

法政大学出身の自民党議員は、自民党法友会という組織をつくっていて、年に1、2度の懇親会を開催する。この日私は、常務理事をつとめる日本私立大学連盟が出した、私立大学等の経常費補助金を「私立学校振興助成法」がめざした割合にするよう要望する要望書をもって出かけ、国会議員にお渡しした。

11月22日(火)

バドミントン部女子選手が訪問して下さった。全日本で優勝し、メダルを見せに来て下さったのである。法政大学では「女子スポーツも強くなっている」

英字新聞JapanTimesのインタビューがあった。テーマはやはりグローバル&ダイバーシティ。インタビュアーの学生たちが面白い。かなり本質的な質問をしてくるので、たいへん充実した時間となった。

11月21日(月)

日本経済新聞社主催の「大学の約束~トップメッセージフォーラム2016」が日経ホールで開催された。終日、3つのセッションをおこなう大きな会合である。私は第一セッション。女性科学研究者を手厚くサポートしている芝浦工業大学の村上雅人学長、グローバル化が早くから進んでいる南山大学のミカエル・カルマノ学長とともに、「グローバル&ダイバーシティ 社会を担う人材育成」に出演した。グローバル化というと英語第一主義で米国化すること、と考える傾向があるが、そうなってはならない。そこで「ダイバーシティ」の実現が必要なのだ。グローバル&ダイバーシティを一体として考える。その方向でおこなったディスカッションは、12月中旬ごろ日経新聞に掲載される。

11月19日(土)

「世界平和アピール七人会」の定例講演会が、本学で開催された。この会は、日本の第五福竜丸が被爆した1954年の米国のビキニ環礁水爆実験の後、平塚らいてうや湯川秀樹や平凡社創業者の下中弥三郎が、世界に平和を呼びかけるためにつくった組織である。その後、川端康成や朝永振一郎や井上ひさしも、歴代のメンバーになっている。科学者が必ずメンバーに入っているのが特徴だ。最新のアピールは南スーダンの駆けつけ警護に関するもので、122番目のアピールである。

この日は沖縄をテーマとして、本学の沖縄文化研究所と共催でおこなった。残念なことに私は次の会で講演をすることになっており、写真家、大石芳野さんの講演の途中で中座せねばならなかった。

例年の卒業生教員懇談会が開催された。全国から、中学高校の教員たちが集まって下さる。「自由を生き抜く実践知」について話した後、佐貫浩キャリアデザイン学部教授から、アクティブ・ラーニングについての深い洞察に基づいた講演があった。そして、教育学が専門の平塚眞樹社会学部教授・総長室長の司会で、卒業生教員と教員志望の在学生によるディスカッションがあった。卒業生教員の方からは、法政大学在学中に学んだこと経験したことが、深く浸透し自分の基本になっている、という話を伺った。その上で「自由を生き抜く実践知」が腑に落ちるという言葉には、たいへん力づけられた。これからもぜひ続けたい会である。

応援団OB・OG六旗会が開催されていて、挨拶にかけつけた。東京六大学の応援大OBOGが集まる壮大な会合である。持ち回りで開催しており、今回は本学が会場となったのだ。長らく応援団部長をして下さっていた山根恵子名誉教授が参加して下さり、久々に旧交を温めた。11月29日から東京国立近代美術館フィルムセンターで始まる『知られざる東ドイツ映画』の企画でたいへんな忙しさだとのこと。専門家としてのお仕事に集中していらっしゃるお姿が嬉しかった。

11月18日(金)

今年度で3年の任期が終わる。この日、次期の総長選挙が行われ、再選された。本学は総長を全教職員による選挙で選ぶ体制を維持している。選挙はいかなる場合も個々の選択権を行使しなければならないので、自らの属する国や自治体や組織について学ぶ稀有な機会となる。それが民主主義の重要な点だと私は思っている。民主主義の実現には、学び考え決断することが必須だが、手間もかかる。その価値を支えてくれている教職員に感謝したい。

卒業生の経営者たちが中心になっている組織「財界人倶楽部」の集まりがあった。卒業生は、実に多様な企業の社長、会長、取締役になっている。自ら起業した人もいる。卒業生が職種を超えて助け合い、良い企業に育てていくことで、社会を方向付けて欲しい。

11月16日(水)

札幌にある北星学園大学の学長田村信一さんが、総長室を訪問して下さった。田村信一さんは法政大学経済学部を卒業なさった社会思想史学者である。2014年、ある兼任講師を「やめさせろ」という脅迫事件が起こった。大学を爆破するという脅しまであったこの事件によって言論の自由、大学の自治が暴力によって脅かされることになり、多くの大学に衝撃を与えた。そのとき田村さんは、「抑圧や偏見から解放された広い学問的視野のもとに、異質なものを重んじ、内外のあらゆる人を隣人と見る開かれた人間」を育てることが建学の精神であること、「学問の自由・思想信条の自由は教育機関において最も守られるべきもの」で、「本学に対するあらゆる攻撃は大学の自治を侵害する卑劣な行為であり、毅然として対処する」という、姿勢を示された。私はそのとき、面識のなかった田村さんに書状を送ったのである。田村さんはその後、学長として再選され、今回、おめにかかる機会を得た。

大学にはさまざまな課題がふりかかるが、そのときこそ、大学憲章に依拠し、基本に戻って姿勢を維持することができる。そのことを示して下さった出来事だった。今後も、多くの学長たち、卒業生大学教員たちと交流し学び、連携したい。

11月12日(土)

毎年おこなわれる「全国卒業生の集い」京都大会の日だ。約7時間。長い一日だった。山田京都府知事、門川京都市長も駆けつけて下さった。93歳になる千玄室さんの講演は、彼自身が経験した学徒動員の話から始まった。学生たちは戦場でも本を携え、時間があれば読んでいたという。命に限りがあるからこそ、この世にあふれる優れた知性のたとえ一片でも、その身に入れたかったろう。その中には法政大学の学生もいた。彼らの思いが伝わってきて、動揺する。

千玄室さんとは、彼が千宗室さんだったころ雑誌で対談し、裏千家のハワイ大会にも招かれた。決して儀式的ではなく、むしろ内省と対話の場として、茶の湯を世界中に広めた功績は大きい。私自身も裏千家の稽古をして許状をもつ一人である。かつての教育の基本である仁義礼智信忠孝悌についても話して下さった。法政大学の教育理念は内容としてはそれと異なるが、人が人として生きていくその根幹となる価値観を提示し対話することこそ、教育の現場である。「本学ではそれができているだろうか」と、幾度も自分に問いかけながら、私自身の講演が始まった。

金剛流二十六世宗家、金剛永謹氏ほかの方々が、能「石橋(しゃっきょう)」の後半を、迫力あふれる二体の獅子で見せて下さった。能でも日本舞踊でも花札でも彫り物でもおなじみの「唐獅子牡丹」である。私は『江戸百夢』という著書で曾我蕭白の「石橋」を取り上げた。そこには百体の獅子がひしめいている。狭隘で滑りやすい石橋ははるか上空にそびえ、獅子たちはそこを渡ろうとして次々と落下している。獅子は文殊菩薩の化身(そして乗り物)なのだが、そこでは文殊の世界をめざして石橋を渡ろうとする衆生の、煉獄のごときシーンが展開する。そこで私は石橋の華やかな舞台でもたいてい悪夢を見る。「石橋」は時代によって変わる奥深い物語だ。

次は京都の祇園甲部の芸妓・舞妓約20人による手打ちと舞が披露された。芸能化された手打ちを見ることができた。「手打ち」とは江戸時代の、江戸と京都の劇場で、旧暦11月1日に始まる顔見せ狂言の最初の日におこなわれた行事である。「贔屓連中」「手打連中」と呼ばれる人々が役者の手ぬぐいをかぶり、弓張提灯をさげて「アリャアリャアリャ」「ヨイヨイヨイ」と手を打つ祭だ。その音は「一晩のうちに出現した琵琶湖の浪の音のよう」と表現された。旧暦11月1日は歌舞伎発祥の「一陽来復」の日、つまり冬至の祝いの日である。アマテラスが天の岩屋戸に隠れ、それをアメノウズメ(かぶきの象徴)が踊りで誘い出すことで、再びアマテラスが登場した(来復の象徴)からとされる。手打ちはその意味で、最高の祝福の演し物なのである。法政大学の名を入れ込んで祝福して下さった祇園甲部の芸妓・舞妓さんたちに、深く感謝する。

次は藤田卓也さん、クォン・ジェヒさん、ユン・ビョンギルさんの3人による、「三大テノール」の競演だった。三大テノールとはルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスが1990年代に展開したコンサートのことだが、きっと、この企画のフォーマットはそれである。オペラ好きの私はオペラそのものの方が好みだが、歌のみでもストーリーが浮かび、とても楽しめる。

その後、懇親会に入った。お忙しい折に立ち寄って下さり、秋田から法政へ、そこから横浜市西区での政治家の出発を話して下さった校友の菅義偉官房長官に、心から感謝する。私は菅さんと会うと、菅さんが演説したという西区の久保町会館と、その隣にあった私の家を思い出す。皆、貧しさとささやかな生活から出発したのである。

今回の壮大な催し物が実施できたのは、ひとえに、多大な支援をして下さった校友で「マルハン」会長の韓昌祐さんのおかげである。そして京都府校友会の皆さん、校友会をここまで育てて下さった桑野会長と岡田副会長に感謝する。皆様、お疲れ様でした。

11月11日(金)

京都で染織文化セミナーの講演があった。久々に布の話をした。自然と人間の関係の話でもある。しかし京都のものづくりが危機に瀕していることは、この日の質疑応答でもひしひしと感じた。

11月10日(木)

ベトナムで第2回目の日本語スピーチコンテストが開催されることになり、皆さんへのご挨拶のためのDVDを撮った。優勝者は法政大学に招待する。幾度も足を運んだベトナムだが、今は総長としての公務の多さから、海外には滅多に行けないのが残念だ。

11月9日(水)

総長選挙のための、2回目の立会演説会を開催した。冒頭、「驚くような選挙結果が世界中を駆け巡っているこの日に、この盛り上がらない信任投票のためにお集まり下さって、ありがとうございました」と述べた。今回の総長選挙は対立候補がおらず、信任投票となったのである。ルール通り、25分の所信表明をおこなった。選挙管理委員会の皆様、お疲れ様でした。この日、教職員組合(全法政)からの質問に真摯にお答えしたニュースも発行された。

「驚くような選挙結果」とはもちろん、トランプ勝利がこの日の午後に確定したこと。