2016年度

8月

2016年度

8月30日(火)

調布市が『凜として―市民がたどる調布の女性史』を刊行した。「それを市民の皆さんに知っていただくために講演会を開きたい」とのことで、調布市文化会館に出かけた。「歴史は、いまを考え、未来を見つめる手がかり」という演題で江戸・明治の女性の歴史を私が話し、その後、『凜として』の中でインフォーマントとして話した方々による本の紹介があった。戦争中の調布についても、初めて聞くことができた。生身の人間がそこでどう生きたか、という視点は歴史からこぼれ落ちるが、実はもっとも大切な視点なのである。

その中に呉文子(オ・ムンジャ)さんがいらした。本の中に調布における在日韓国朝鮮人のくだりがあり、自治体の出す本として珍しく貴重だと思っていたが、この方がいたからだと納得。私がその著書から朝鮮通信使について学んでいた李進熙(イ・ジンヒ)和光大学名誉教授のお連れ合いである。李進熙氏は『季刊三千里』や『季刊青丘』を編集なさった方でもある。今、調布でもっとも多い外国人は中国人だという。これからますます日本各地で外国人が増えていく。多様な人々との共存にあたっての人間としての心がけを、私たちは持たねばならない。

8月27日(土)

前日の夜遅く岡山に着き、後援会岡山県支部の20周年。こちらも、講演の時間からは校友会の方々がたくさん参加して下さった。岡山県は何度も足を運んでいる。学生時代には吉備津神社で釜鳴りの神事を見た。『雨月物語』「吉備津の釜」でおなじみの神社だ。桃太郎伝説でも知られていて、釜の下には、桃太郎(大和政権)が退治(征服)した鬼=温羅(製鉄技術を吉備へもたらした渡来人ウラ)の首が埋まっているとされる。まだ見るべきところがあるが、この日も夜に帰宅。

8月26日(金)

サントリー美術館で、「小田野直武と秋田蘭画」展(11月16日~)の記者発表のための鼎談をおこなった。大原美術館館長の高階秀爾さん、静嘉堂文庫美術館館長で京都美術工芸大学学長の河野元昭さんと3人。河野元昭さんは秋田県出身で前秋田県立近代美術館館長だった。高階さんは角館で疎開経験があり、現在は秋田県立美術館の顧問でもある。これほど展覧会に先んじた記者発表はサントリー美術館でも異例のこと。これも、私たち3人がなんとしてでも、小田野直武をスターにして秋田蘭画をもっと知ってもらおう、という情熱からなのだ。写真は向かって右から高階さん、私、河野さん。

終了後、私は新幹線で岡山へ、高階さんは飛行機で岡山へ、それぞれ出発した。倉敷の大原美術館は、法政大学大原社会問題研究所とともに、大原孫三郎が作ったところ。

8月20日(土)~21日(日)

長崎市で校友会九州ブロック会議を、その夜に佐賀に移って佐賀県後援会父母懇談会に出席。長崎は出島の関係で、佐賀は肥前磁器、鍋島段通、鍋島更紗などの関係で、何度も足を運んできた。アジア大陸やヨーロッパから、多くの技術導入をおこなっていた江戸時代の先進的な場所。まだまだ見たいところがあるが、どこにも行かれないまま、すぐに帰京。

今日から法政大学憲章を高校生・受験生に分かり易く理解してもらうためLINE LIVEを活用した番組が始まった。佐賀に移動中の列車の中で見る。先生方の研究が、今までとは別の角度から浮かび上がる。面白い!

8月16日(火)

今日は台風。しかし京都の五山送り火(大文字焼き)の日だ。NHK-BSの中継で見ると、どしゃ降りの雨のなかでも五山に文字がくっきり見える。盆は死者との対話の日々である。雨は盆にとても似合っていた。今年1月に長野のバス事故で亡くなった学生たちのことを想う。

8月15日(月)

今日、SEALDs(シールズ)が解散した。このことについては、江戸時代の「連」と結びつけながら、毎日新聞コラムでも書いた。9月14日に掲載される。私の学生時代は、学生たちが組織の利益を追求することで最悪の事態となり、運動は衰退した。だから解散は大賛成。「シールズ的なるものが言葉や行動として拡散深化し、政治意識を高めた人々が次第に増えていく社会として、国民投票の時代を迎えたい」とコラムを結んだ。

8月8日(月)

新聞の座談会用取材に応じるために、午後3時からの天皇会見を大学内で見る。毎日新聞8月24日のコラムでは、「戦後の憲法が定めた象徴の実質的な意味を自ら主体的に捉え直し、自ら行動し、それを自らの言葉で語られた」と書き、「主権を深く考える機会にしたい」と結んだ。社会の役割というものは単に与えられるものではなく、それを自ら捉え直し、意味づけをしなおし、主体的に生きるべきものだ。そのことを、天皇から学んだ。

8月7日(日)

長野県飯綱町で講演。この町は住民の意識を高めることに熱心で、町主催の講演会を開いている。飯綱町の議会には「町民政策サポーター制度」というものがあり、公募した住民と議員が政策研究に取り組んでいるのだ。「議会だよりモニター制度」というものもあって、一集落から一人モニターになり、提言を議会改革につなげているとか。このような活動に対し、2度に渡って「マニフェスト大賞」の中の優秀賞と特別賞を取った。

「マニフェスト大賞」とは、地方自治体の首長、議員、市民の活動実績を顕彰するものだが、飯綱町を訪れることで私は初めて、このような賞があることを知った。というわけで、私の講演は江戸時代の自治についてだった。江戸時代の村や町には村長、町長という「長」のつく人はおらず、「寄り合い」という議会にあたるものを中心に、3人のトップが寄り合いをまとめていた。どんな時代も、住民の意識の高さこそが、社会を良くしていくだろう。

8月4日(木)

今月から、文体を「ですます」体から「だ、である」体に変えた。今までは報告文体、これからはエッセイもしくはつぶやき文体というところか。あまり報告すべき事項がなくとも、さまざまな出来事について感じたこと、考えたことを書くには、この文体の方がふさわしい。これからも「ちょっと変化した総長日誌」をよろしく。

法政大学では、毎年、新聞や雑誌、そのほかのマスコミの記者の方々に声をおかけして、懇談会を実施している。今年は法政大学憲章とダイバーシティ宣言をパンフレットに編集して配布し、HOSEI 2030の策定、そのプロセス、「自由を生き抜く実践知」を発表した。今後は、実施日程を定めた具体的な施策を発表していきたい。いよいよ、法政大学の「自由を生き抜く実践知」ブランドが広まっていく。