2024年度

3キャンパス時代の幕開けと中村哲総長

2024年度

2024年、法政大学は小金井キャンパス開設60周年、多摩キャンパス開設40周年を迎えます。市ケ谷を加えた3キャンパス時代の到来は1968~83年の長きにわたり総長を務めた中村哲の下で準備されたものでした。

中村は1912年、東京生まれ。江戸時代の文人画家・浦上玉堂の血を引き、幼い頃より父親から毎日絵を描くように言われていました(❶)。自分の眼で見たものを感じたままに描き、画家としての才能にあふれ、総長として多忙な日々の中でも出張先の街角でスケッチブックを広げました(❷)。

現在の東京大学法学部を卒業した後、南原繁に請われて研究室に残り、美濃部達吉にも師事するなど研さんを積みました。戦時中は台湾の台北帝国大学で憲法講座を担当。敗戦後に法政大学へ就職したことについては後年、「自ら選んで、戦前から進歩の伝統ある法政大学に就職」したと振り返っています。

❶中村総長の絵(法政大学沖縄文化研究所所蔵)

56歳という若さで中村が総長に就任した1968年は世界的に学生運動が活発化した年でした。日本の大学進学率が急上昇し、1950年に約6千人だった法政大学の学生数は1970年に3万人近くに急膨張。施設の整備が追いつかず、「籍があっても席がない」状況でした。学生たちの間で、大量生産を意味する「マスプロ授業」への不満や、学費の値上げを続ける大学に対する批判の波が大きくなっていきます。中村はこうした「大学の危機」を「大学の大衆社会状況と、それに対する根本的対策」の欠如にあると認識し、一部の学生により大学全体が授業停止に追い込まれた際には、全学生に直接説明し対話することで解決の糸口を模索するなど、真剣に対峙(たいじ)し続けました(❸)

一方で中村は、「大学の大衆化」に対応するには教育環境の整備も必要であり、そのためには広大なキャンパス空間を確保しなければならないと考え、かねて大学が土地を取得していた「町田校地」の開発に本格的に取り組みました(❹)。同地が「多摩キャンパス」として開設されたのは総長退任の翌年。中村の理念の下に達成された3キャンパス時代が今に続いているのです。

❷出張先でスケッチする中村総長(1979年、沖縄にて)

  • ❸総長会見時の中村総長(1973年)

  • ❹建設中の多摩キャンパス(1983年)

*中村総長時代を含む映像シリーズ「法政大学の歴史・個性・文化」は、2024年4月よりHOSEIミュージアムYouTubeチャンネルで新規公開を開始しています。

HOSEIミュージアム 2024年度春学期企画展示
大学への「問い」/学生との「対話」
2024年5月10日(金)~8月9日(金)(予定)
HOSEIミュージアム ミュージアム・コア(市ケ谷キャンパス 九段北校舎1階)