2023年度

関東大震災後の社会を記録する ―大原社会問題研究所による『関東大震災写真集1923・9』の蒐集―

2023年度

関東大震災から100年が経過しました。各種メディアでの特集もあり、皆さんも一度は情報に接したことがあるかと思います。法政大学には、大原社会問題研究所が作成した『関東大震災写真集1923・9』(以下、写真集)(写真❶)が保管されています。これが100年の時を経て公開に至りました。

写真集にある286枚の写真は、1923年9月に所員が撮影・蒐集した10枚程度の写真と、1923年10〜12月に購入した写真で構成されます。その写真1枚毎に手書きのメモが記されていることが特徴です。このメモからは、震災時の建物被害や死者、震災後に避難する人びと、街の復興から慰霊など、写真だけではわからない情報を読み取ることができます。

実際にメモの内容を見てみましょう。こちらは一目で震災後の街と思えないかもしれませんが、「焼け太りの神楽坂通り」と書かれています(写真❷)。関東大震災は、地震による被害よりも火災による被害が圧倒的で、当時「大正大震火災」とも呼ばれました。

❶『関東大震災写真集1923・9』表紙

神楽坂が位置する牛込区(現在の新宿区の一部)は、多少の倒壊家屋がありながらも、延焼を免れたため、震災後も人の往来がありました。これを「焼け太り」と記録したと考えられます。また、洗濯をしている女性の写真(写真❸)に、「洗濯芝离宮にて」と書かれています。当時、芝離宮などの水辺がある場所が避難先に選ばれました。ここからは、避難先の場所を記しつつ、そこでの生活に注目していることがわかります。

  • ❷「焼け太りの神楽坂通り」

  • ❸「洗濯芝离宮にて」

では、なぜ写真集が作成され、保管されていたのでしょうか。その理由として大原社会問題研究所の活動目的が関係しています。大原社会問題研究所は、創立当初から社会問題についての学術研究調査を行い、その解決に資することを目的として掲げていました。
写真集は、当時の所員たちが、10万人を超える死者・行方不明者(虐殺という人災を含む)を出した関東大震災を社会問題と捉え、研究所の目的に即して記録を残したものと言えます。ここから、関東大震災という社会問題解決の第一歩として、さまざまな媒体で記録を残すことへの所員の強い関心を見ることができるでしょう。

 

HOSEIミュージアム ✖ 法政大学大原社会問題研究所
「社会を記録する」
2023年9月1日(金)~2024年4月27日(土)※期間中展示替えあり
HOSEIミュージアム ミュージアム・コア(九段北校舎1階)

制作協力:法政大学 HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『HOSEI』2023年12・1月号)