2021年度

ミュージアム・サテライト小金井竣工記念 法政理工系のあゆみ(後編) 〜念願のキャンパス〜

2021年度

工学部は1950(昭和25)年の発足から2年後、富士見校地(現・市ケ谷キャンパス)から港区の麻布校舎に移転しました。狭くて古い建物でしたが、活気に満ちた学び舎やでした。学生が自主的な学びの場として「技術連盟」を結成し、工学祭(現・小金井祭)を始めたのも麻布時代です。

1956年『経済白書』に「技術革新」という言葉が登場するなど、日本の経済成長を追い風に、入学志願者は年々増加。施設拡充が急務となった工学部は、「工学部施設委員会」を立ち上げ、大学院の設置など教育研究体制の確立も目指します。

ところが、空襲被害が大きかった本学は戦後、富士見校地の再建で手いっぱいの状態にあり、実験や実習に設備投資を要する工学部の拡充に関しては慎重でした。

そうした中、理工系教育の充実が国の発展の重要課題であると認識し、技術系学部の拡充に深い理解を示したのが、1959年に就任した有沢広巳総長です。有沢は大学創立85周年記念事業の筆頭に工学部新校舎建設を掲げ、工学部の施設問題が急速に進展しました。

有沢総長が、工学部用地として東京都小金井市の土地を提案。1960年に中央線の新駅(現・東小金井駅)設置が決まると、小金井キャンパス開設が正式に決定します。

工学部発展の功労者、有沢広巳総長(1980年)。小金井キャンパス西館1階には、初代工学部長・加茂正雄と有沢の胸像が並んでいる

工学部発展の功労者、有沢広巳総長(1980年)。小金井キャンパス西館1階には、初代工学部長・加茂正雄と有沢の胸像が並んでいる

「小金井校舎設計監理委員会」には、篠原三郎、岩下秀男、山田水城、青木繁といった工学部建設工学科の若手教員が参加。複数人による「協同設計」という新しい試みは建築界でも注目されました。

1964年開設の新校舎は、主に教室棟、研究室棟、管理棟で構成され、それぞれがブリッジ型の渡り廊下や地下部分のドライエリアで結ばれていました。従来の学校建築では学科別の独立棟が主流でしたが、学問分野を超えた交わりを意識し、機能別に分けた設計が特徴でした。

大学創立100 年を迎えた1980年には、イオンビーム工学研究所を設立。当時、イオンビームは半導体研究で学術的に注目を集め、工業上の応用に直結すると期待されていました。

1990年代からの約20年間、小金井キャンパスでは校舎建て替えが続き、その姿を変えました。学部編成としては、2000年に情報科学部、2007年にデザイン工学部(市ケ谷キャンパス田町校舎)、2008年に理工学部、生命科学部を設置し、現在に至っています。
(前編は2021年10月号に掲載)

  • 竣工時の小金井キャンパス(1964年)。教室や研究室の間仕切りには、学生数や使用目的に応じて自由に調節できる移動式パネルを採用

  • 『新建築』(第38巻第4号・1963年4月、第39巻9月号・1964年9月、新建築社)。本学若手教員らによる「協同設計」は、計画段階から建築界で注目され、建築専門誌でも掲載された

2021年度秋学期テーマ展示
「法政理工系のサステナビリティ研究」
ミュージアム・サテライト小金井の開設を記念し、法政理工系の歩み、理工系4学部の最新研究を紹介。

場所:市ケ谷キャンパス九段北校舎1階
期間:2021年10月~ 2022年4月
詳細:HOSEIミュージアムウェブサイト

新型コロナウイルス感染症の影響等により、日程や内容は変更になる可能性があります。
詳しくは上記ウェブサイトをご確認ください。

取材協力:HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『法政』2021年11・12月号)

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