2012年度

Vol.55 関東大震災当時の臨場感を伝える『松室文書』

2012年10月04日

2012年度

1923(大正12)年9月1日に発生した相模湾を震源とする関東大震災は、東京や神奈川の市街地に壊滅的な打撃を与えました。特に建物の倒壊や火災による被害が大きく、全半壊家屋・焼失家屋は約70万戸、死者・行方不明者は約14万人、罹災者は340万人にも上りました。この危機的状況に対応する政府や軍の活動内容や一般市民の生活ぶりを伝える資料が、法政大学の市ケ谷図書館に所蔵されています。

これらは関東大震災70周年に際して、1993年当時、松尾章一本学経済学部教授(現在名誉教授)が、図書館の地下に保管されていた資料群『関東大震災関係文書(松室文書)』を調査・整理し、目録作成やマイクロフィルム化などを行ったものです。震災当時にこれらの資料を収集したのが、本学が大学令により呼称を「法政大学」とした際に初代学長を務めた松室致だと伝えられています。

(右)『震災地付近地形及水深変化調査図』。地震が発生した翌10月に水深の測量調査の結果が発表された(左)相模灘の隆起・沈降した位置を赤と青で色分けした地形図

(右)『震災地付近地形及水深変化調査図』。地震が発生した翌10月に水深の測量調査の結果が発表された(左)相模灘の隆起・沈降した位置を赤と青で色分けした地形図

松室学長は第3次桂太郎内閣(1912年)や寺内正毅内閣(1916年)で司法大臣を務め、枢密院顧問官なども歴任した人物です。そのため、軍や政府の内部向け文書も集めることができたのではないかと推測されています。また、関東大震災における本学の被害は周辺の他大学に比べると比較的少なく、このことが一般市民向けに配られたビラなどの収集・保管を可能にした一因だと考えられます。

収集された資料の内容は多岐にわたり、陸・海軍や戒厳司令部などに関係する文書や日本赤十字社の救護活動関係の資料、さらには政府要人の交通手段であった自動車の運行を妨げないよう一般市民向けに掲示されたビラまでを網羅。当時の被災地での取り組みが臨場感を持って理解できる貴重な資料群です。

(右)当時の日本赤十字社がまとめた資料。震災後約1カ月間の活動状況が詳細に記されている(左)松室 致 学長(当時)(在任1913~31年)

(右)当時の日本赤十字社がまとめた資料。震災後約1カ月間の活動状況が詳細に記されている(左)松室 致 学長(当時)(在任1913~31年)

さらに電信電話線の復旧活動について市民への協力要請を呼びかけるビラや、震源地である相模湾の水深の変化を調査した地形図などは、2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興活動をほうふつとさせる部分もあります。

非常事態(戒厳)下にあった当時の日本を読み解く重要な資料であるとともに、今日の防災活動にも多くの教訓を伝える時代の遺産とも言えるでしょう。

関東戒厳司令部から一般市民に向けた告知ビラ

関東戒厳司令部から一般市民に向けた告知ビラ

(右)電信電話線の復旧活動や配給に関する通達(左)救護所の案内には朱色の文字が使用されている。救護所の数から震災の被害が広域に及んだことがうかがえる

(右)電信電話線の復旧活動や配給に関する通達(左)救護所の案内には朱色の文字が使用されている。救護所の数から震災の被害が広域に及んだことがうかがえる

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