法政大学エピソード

大内兵衞総長

法政大学エピソード

大内兵衞が総長に就任した、翌1951年に法政大学は私立学校法により財団法人から学校法人となりました。そして、これを契機に本学は戦後の発展期を迎えることになります。この発展期を支えた大内が指針として与えた言葉として、「独立自由な人格」を作ること(つまり、「自由」)、「空理を語らず、日本人の生活向上発展のために、たとえ一石一木でも必ず加えるような有用な人物」を作ること(つまり、「進歩」)、が残されています(大内兵衞「法政大学についての私の願い」)。

大内 兵衞総長 (在任1950.6.16~1959.4.8)

大内山庭園と論語

55年館ホールの正面に掲げられた「学而不思則罔 思而不学則殆」(「論語」巻一、為政第二)-学んで思わざればすなわち罔(くら)し、思って学ばざればすなわち殆(あやう)し-は大内兵衞元総長の筆になるもので、学問の府としての法政大学の根本理念をよく表し、その目標を指し示しています(『法政大学80年史』より)。

学而不思則罔 思而不学則殆

大内総長の時代、校舎の整備では、53年館(現在はボアソナード・タワーになっています)・55年館・58年館が完成。58年館に面して庭園も造られました。(庭園内の築山が「大内山」と呼ばれるゆえんです。現在はウッドデッキが置かれ、学生の憩いの場として利用されています。)大内総長時代は、他にもさまざまな整備がなされ戦後における「大学の飛躍的発展」(『法政大学百年史』)と位置付けられています。

庭園

これら校舎の建設の設計は、当時工学部の教授であった大江宏先生によるものです。大江先生の建築は、かねてから自由で新しい設計、適切な構法表現で、学校建築に今までにない方法を打ち出したとして注目され、校舎建築の持つ機能や合理性を最高度に発揮。能率的な設計、衛生的で環境の良さを考慮した構築は、建築界でも高く評価されていました。
この一連の建設により大江先生は、1958(昭和33)年度第9回芸術選奨・文部大臣賞を受賞、また同年度建築学会賞を受賞されています。

校舎