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卒業生インタビュー:株式会社西武ライオンズ広報部リーダー 服部 友一さん

  • 2022年03月29日
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プロフィール

服部 友一(Hattori Yuichi)さん

1988年千葉県生まれ。2007年社会学部メディア社会学科に入学。2011年、アナウンサーとして株式会社鹿児島読売テレビ(KYT)に入社。2013年3月、NNSアナウンス大賞新人賞を受賞。その後、PR会社などを経て2019年10月、株式会社西武ライオンズに入社。

キャリア探しは卒業後も続く 成長するためには、変化も必要

大学ではメディアについて学び、念願のアナウンサーとして就職。テレビ局での仕事を通じて、メディア発信にもいろいろな形があると知り、違う形で自分の力を試したくなったという服部友一さん。就職はゴールではない、仕事をするうちに見えてくること、分かってくることもあると言います。

事業体としての球団の戦略や取り組みを発信

2019年10月から西武ライオンズの広報を担当しています。球団の広報はチームや選手への取材の対応というイメージが強いと思いますが、私の担当は事業広報で、イベントや事業活動に関する情報発信を通じて、会社の戦略や球団の魅力をPRしています。

2021年のシーズンの開幕前、3年がかりの改修工事が終わり新しいドーム球場になりました。その前のシーズンはコロナ禍の影響で、開幕が延期された上に無観客で開催となったため、ぜひファンの方に観戦していただきたくて、スポーツメディアだけでなく、情報・報道番組の関係者にも働きかけて取材を誘致したのです。ちょうどオリンピックの観客の有無が議論されていた頃で、多くの新聞やテレビ番組でドームの感染対策や安全性を報道してもらえました。情報を適時に大々的に発信し、自分の意図した文脈で世に伝えるという広報の責任を果たせ、大きな達成感を味わいました。

ドーム改修工事完了後のメディア内覧会。服部さんは150人の報道陣の対応を担当

ドーム改修工事完了後のメディア内覧会。服部さんは150人の報道陣の対応を担当

プロ野球球団は、主な収益源であったチケット販売や売店での販売など試合興行に関する売り上げなどが伸び悩み、これまでの事業方針からの転換期にあります。西武ライオンズでも、コンサートや展示会の招致の他、選手プロデュースの弁当や地元野菜を使ったレストランメニュー開発などグルメやグッズの分野でも新たな戦略を展開しています。それには野球とは違う形、違う相手へのPRが求められるので、広報の腕の見せどころだと思っています。

アナウンサーを目指して法政の社会学部と自主マスへ

高校2年生の時に、地元テレビ局で高校野球応援番組の収録に参加する機会があり、司会者が進行を仕切る様子が格好よくて、「アナウンサーを目指す」と決めました。そのためにも大学ではメディアについて学ぼうと考え、法政大学社会学部に入学したのです。

1年次から、マスコミ就職を支援してくれる自主マスコミ講座に参加し、週1回の講座の日以外も、多摩キャンパスで昼休みに仲間と発声やニュース読み、面接の練習に励んでいました。

アナウンサー時代は、昼のニュースや夕方の情報番組などを担当した 提供:株式会社鹿児島読売テレビ

アナウンサー時代は、昼のニュースや夕方の情報番組などを担当した 提供:株式会社鹿児島読売テレビ

社会学部の授業では、まだそれほど普及していなかったSNSなど、メディアの最先端を学べたおかげで、社会人になってそれらが台頭してきた時に、スムーズに対応できました。また、田中優子教授(現 名誉教授)のゼミで江戸文化にも触れました。テレビ局時代は史跡を取材する機会も多く、大学時代に歴史の知識を身に付けていたことが役に立ちました。

就職活動ではひたすらテレビ局を受け続け、ほぼ100社目でようやく内定を頂けました。あの時のうれしさは今でも忘れられません。

アナウンサーを通じて知ったマスコミ以外のメディア業務

アナウンサー4年目に情報番組の担当になり、取材の機会が増えました。ある焼酎メーカーの広報担当者が「日本中に自社の焼酎を広めるのが夢」と熱心に語っている姿がとても印象的でした。取材先の皆さんの熱い思いに日々接するうちに、自分もビジネスに直結する仕事をしたいという思いが強くなっていきました。今後数十年のキャリアのためにも、できることを増やして成長したいと考え、悩んだ末に、第三者としてではなく当事者として情報を発信する道を選び、テレビ局を辞めました。

その後、ショッピングモールのマーケティングや広報、PR会社のコンサルティング営業を経験して、これが自分のやりたいことだと確信でき、やるからには広報のプロフェッショナルを目指そうと思うようになりました。

業界や業務の枠に収まらず、自分の軸とつながるものを見つける

テレビ局、ショッピングモール、PR会社、プロ野球球団と業界は異なりますが、大学でメディアについて学び、マスコミや企業でメディアの仕事をしているので、私の中では芯が通っています。「生涯一社」という時代ではないし、自分自身の軸がブレていないのなら、何回転職しても、業種が変わっても問題ないと思っています。

スポーツは、どの業界ともつながれるため、新ビジネスの種の宝庫といえます。私自身、テクノロジーを生かした施策や商品のほか、新ドームでの映像や音響、照明を活用した演出など、スポーツとは直接関係のない最新の知見やナレッジに触れる機会が多く、それを生かしてアウトプットのバリエーションを広げていきたいと思っています。現在は広報としてアウトプット部分を担当するケースが中心ですが、それ以前の企画段階や経営戦略立案の段階から関わる機会を増やしていき、上流工程からの関わりをアウトプットに反映させることを目指しています。

社会に出て仕事をしていくと、学生時代には見えなかったもの、気付かなかったことが出てくるものです。社会の変化は大きくかつ速くなり、業界や業務の壁もなくなりつつあります。就職をゴールと捉えて腰を落ち着けてしまわず、いろいろなことに挑戦して、ぜひ自分の幅を広げていってください。きっと、その中に自分の軸とつながるものがあるはずです。

 

(初出:広報誌『法政』2022年3月号)