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学部を卒業するみなさん、大学院で学位を取得されたみなさん、おめでとうございます。ご家族の皆さまにもお祝い申し上げます。法政大学における学びの課程を修め、今日、卒業、修了を迎えられ、次のステップに踏み出そうとされているみなさんの門出に、ひと言お祝いのことばを贈ります。
ほとんどのみなさんが法政大学に在学していた時期は2020年春から本格的に始まったコロナ禍の時期を含みます。そして、その時期をあらわすキーワードとして「想定外の変化」を掲げることに、多くの人は納得されるでしょう。未知のウィルスによるパンデミックの発生から、状況が安定していくまでの変化を、私たちは身をもって体験しました。また、国際紛争の発生など、当たり前に続いていくものと漠然と想定していた世界の構図を揺るがすような事態の発生を目撃してきました。激しい気候現象とそれが引き起こす過去に経験したことのないような災害も身近に起こっています。
悪いことだけではありません。以前は大学でほとんど使われていなかった道具が、あっという間に社会全体に普及して、自由に使えるようになりましたし、普及のおかげで、遠くにいる人を含めて多様な人々と簡単につながることができるようにもなりました。例えば、いまも時々Zoomでコミュニケーションをとる機会がある人は少なくないでしょう。レポートを書くための準備としてAIに相談してみる機会があった、という人もいるでしょう。AIの使い方についてはいろいろ議論のあるところではありますが、何よりも、大学入学前の時期に、そんな道具が気軽に誰でも使えるようになると想定していた人は、ほとんどいないのではないでしょうか? 良い面でも悪い面でも、しばしば「想定外」が現実になることに接する4年間だったのではないかと思います。
みなさんはそれらの変化を、時には当事者の一人として、あるいはマスメディアなどを通しての目撃者として、経験したり、見聞したりしてきたはずです。そして、大学入学までのみなさんの経験と、入学後のそれを今あらためて比べてみると、この4年間の変化は特に大きかったと実感できるのではないでしょうか。みなさんのような世代の人たちの実感ということにとどまらず、もっと人生経験が長い世代を含む多くの人が、現在の社会を、複雑で、流動性が高く、不確実な時代だと表現しています。そして、それが間もなく終わるだろうと想定している人はほとんど見かけません。多くの人が、これからはずっとそんな時期が続いていくと予想しています。そして、人はこれから生きていく中で、そんな急速で大きな変化に対応していかなければならない、と警鐘を鳴らしている人が少なくありません。
私たちはこれから、そんな世界にどのように向き合って行けば良いのでしょうか?
いまあらためて、大学時代の自分の経験を、俯瞰的な視点から振り返ることから、これからの世界に向き合って歩んでいくための大きなヒントが得られるのではないかと、私は思います。コロナ禍の経験は私たち全員を当事者にしました。この事象とまったく無縁に生きることができた人はほとんどいません。私たちはみな、その経験の「本人」としての実感をもってこの時期を過ごしたわけです。他方で、周囲にいる身近な人から、自分自身では特に交流はない遠くの人まで、多様な大勢の人もみんな、それぞれが当事者としてその時期を過ごしました。これだけ多くの人が、みんな少なくともその時には「自分ごと」として捉えた大きな現象はそう頻繁には起こりません。その意味でこれは貴重な機会です。自分を含むみんなが、自分自身の問題としてその時々の事態に必死で向き合い、対応してきました。自分の生の経験を振り返ると同時に、同じ状況の中に置かれた他の人が、そして広く社会全体がどう反応したのか、その全体の中で自分が選び取った行動がどんな特性をもっていて、客観的にはどう位置づけられ、評価されるようなものだったか。今の時点だからこそ、渦中にいたその時点よりも俯瞰的な視点からしっかりと振り返って見ることができるのだと思います。
今さら、コロナ禍とその中の自分のことを改めて振り返って見たいという気持ちは薄いかも知れません。もう事態は過去のものになりつつあるのだから、もうそんなに興味は持てない、という人がむしろ多数派なのかも知れません。ただ、いまこそ振り返って見ることが、貴重な学びの機会になるのではないかと、私は思うのです。まだ記憶がそれなりに鮮明に残っていながらも、事態はすでに次の段階に移っているので、少し引いた視点から、幅広く客観的な視野でこれまでを振り返ることがしやすい時期を迎えています。卒業、修了という節目にあたって、それを振り返りの機会としてみることをお奨めします。いま振り返らなければ、もう今後改めてしっかりとコロナ禍の時期の自分を振り返ることはないかも知れません。つまり今は、最後のチャンスというわけです。
振り返るとき、この時期の自分の行動を事実として確認することに加えて、周囲の人の行動や、さらに広く社会全体の動き、世界の動きなどとも比較しながら、自分のとった行動の特徴を確認してみてください。特に、自分自身が悩んで選択したことだけでなく、自分自身としては特に悩むまでもなく「当たり前」の感覚でとった行動を、他の人や社会全般との比較の中に位置づけてみてください。そこには、意識的な選択以上に、自分自身の特性が反映されているはずです。そして、危機的な緊急事態などに直面した時にあっても、意識するまでもなく選び取った傾向性というのは、あらためて振り返って見ない限り、自覚することなく一生続いていく自分の特性だ、ということです。この機会にその特性を確認した上で、それを自分としては大事にしたいと感じるか、失敗だったと思うのでこれからは修正していきたいと感じるのか、よく考えてみてください。
自分の特性を修正することは基本的に容易ではありません。しかし絶対に変えられないものではないと思います。いま振り返りのなかで、修正したいと感じた理由を忘れないようにしていれば、やがて修正できていく道が開けるのではないかと思います。変えるのではなくこれからも大事にしていきたいと感じた特性については、その特性が生きるようにするためには、どうすれば良いのかを粘り強く考えぬいてください。そして、自分がどうするか、ということだけでなく、自分とは違う特性をもつ人と、どんな風に協力したり、役割分担をしたりすれば有効なのかに知恵を絞っていってください。
また、振り返って見たなかで、自分自身は「当たり前にこのように選択していきたい」と選択した行動が、残念ながら周囲の人や、広く社会に受け入れられることがなく、残念だったというようなことに気づくかも知れません。それならば、どんな風にしていれば、もっと理解と共感を得て、社会全体にも多少なりとも反映させていくことができたのかを考えてみてください。自分のコミュニケーション力で何とかなる部分もあるかも知れません。社会全体の共通認識がないと伝わらなかったのは必然だったかも知れません。それならば状況をよく見てタイミングをはかることが大事になります。社会の共通認識をつくるためにできることもあるでしょう。自分にとっての「当たり前で望ましいこと」が、広げられなかったという事態は、「いつまでも変えられないものではないはずだということ」です。それならば、どうしていけば良いのか。どんな時期を待てば実現出来るのか。いろいろな努力や工夫、そして知恵が必要になると思います。それこそが、法政大学憲章のいう「自由を生き抜く実践知」に他なりません。
いま改めて、この4年を振り返ることによって、得られる学びの射程はそんな風に広がっています。この間学んできた学問は、そんな振り返りをする時に、あるいは直接的に、また、多くの場合は間接的に、自分の“生の”経験を、より広い文脈の中に置き、客観的に位置づけるために役立ってくれるものと思います。この振り返りの作業は、スピード感を伴うわけでもなく、直接的に課題解決に携わるものでもなく、少し遠回りに感じるかも知れません。しかし、そういう振り返りに機会を意識的にもつことによって、この間の経験はみなさんの糧となります。しかし、それをせずに忘れてしまえば、「学生時代に自分のやりたかったことができなくなってしまった残念な過去」として、特に何かを生み出すことなく風化していくことになります。
せっかくの貴重な機会を風化させないで、自分の糧にすること。それもまた「自由を生き抜く実践知」の一つの要素です。大学憲章の末尾は、「あまたの卒業生と力を合わせて、法政大学は持続可能な社会の未来に貢献します」と結ばれています。将来またみなさんと力を合わせて何か社会の課題を解決する日が来ることを期待しています。そんな日を待ちながら、まずはこれからのみなさんのご研鑽とご活躍を祈り、祝辞と致します。