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2024年入学式 廣瀬克哉総長 式辞

  • 2024年04月03日
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新入生のみなさん、法政大学へようこそ。ご入学おめでとうございます。総長の廣瀬克哉です。ご家族の皆様にも心よりお祝い申し上げます。

大学生活が始まろうとしている今、みなさんはどんな気持ちでいるでしょうか。大勢の入学者の中にほとんど知り合いはいないという人も少なくないでしょう。新入生のほとんどは大学生活というものがはじめてだろうと思います。自分にとって何か新しいことを始めるとき、そこには必ず一定の緊張感や不安感と、新しい道に踏み出していくことへの高揚感がともないます。そして、必死になって夢中で歩んでいった先に、何らかの達成感と充実感が待っています。緊張や不安も含めて、いまの気持ちを大切にしながら、大学生活への歩みを進めていって欲しいと思います。

今年法政大学は創立144年を迎えます。1880年の春、当時20代だった3人の若者が始めた、日本で最初の私立法律学校がこの大学のルーツです。大学はおろか、小学校の仕組みもまだ確立されていませんでした。そんな状況の中で、これからの日本社会には近代的な法律学を身に付けた人が必要だと考えた若者たちが、自分たちの手で法律学校をつくったのです。日本社会の近代化と、近代的な意味での人々の権利の確立のためには、法学が社会に根付かなければならない。そんな問題意識を持った若者たちが、今のことばを使うならば、社会の課題を解決するためのベンチャーとして法律学校をつくったのでした。創立の初期には経営面でもかなり苦しかった時期があったことが伝わっていますが、講義録を出版して売り出したところ、大好評で、経営危機を脱することができました。当時の社会のなかに、法律学の知識を求めている人が大勢いたのです。そんな、最先端の知識を求める人々の必要に応えたことで、若者たちのベンチャーは潰れることなく発展し、やがて大規模な総合大学になりました。

さて、明治初期から今日に至る法政大学の歴史の中には、さまざまな激動の時期がありましたが、常にその基礎にあったのが「自由」という理念でした。力のあるものが自分のやりたい放題をする、ということが自由なのではなく、誰もが「力」によらなくても自由という権利を認められる社会が必要だ。つまり法律が権利を保障する文明社会をつくっていかなければならない。そのために法律学を学ぶ小さな学校が創立されました。やがて法律だけを学ぶ専門学校から、広く総合的に学ぶことが出来る大学へと発展していくなかで、夏目漱石門下の教員たちが集まり、自由な学風が形成されました。そんな法政大学の在り方は、長年の間「自由と進歩」ということばで表現されてきましたが、創立150周年を迎える2030年が近づいてくるなかで、あらためて法政大学のアイデンティティーを言葉としてあらわすことに取り組みました。それによって、「法政大学とはこんな大学です、こんな人たちを育て、こんな研究成果を生み出していきます」という、社会との約束を明文化した法政大学憲章「自由を生き抜く実践知」が2016年に制定されました。1ページに収まる短いものですが、法政大学の歴史のエッセンスを簡潔に表現し、未来に向けてどんな大学でありたいかと述べた文章です。さまざまな場所に示されている文章です、入学にあたって、自分たちのことだという意識で、ぜひあらためて目を通して欲しいと思います。

さて、自由であることの大事な要素は、まず自分が望まない制約を受けないことです。誰か自分以外の人から、いわれのない制約を受ける事がないようにすることは、確かに自由の重要な要素です。しかし、自由を奪うのはそれだけではありません。自分自身が、無意識のうちに自分の自由を制約してしまうことがあるのです。思いこみや偏見によって、客観的な事実を認めることが出来ない状態。それは、誰にでも起こり得ることです。それによって、知らず知らずのうちに、自分に対して大きな制約を課してしまうということが、起こりがちな現実なのです。

自分自身による無意識の制約というのは、目に見えないだけにそれを克服することはかえって難しいことです。この制約を乗り越えるためには、学ぶしかありません。学問は、こういう場面でもっとも深いところで力を発揮します。さまざまな人々による真理探究の成果を、また別の人たちが真剣に検証してみた結果の集積が学問の蓄積です。それを学び、真摯に受け止めることは、自分がいつの間にか囚われてしまっていて疑問をいだくことが出来なくなってしまっていた思いこみから、自分自身を自由にしてくれます。そんな風にして自分が自由になることは、とても刺激的な経験です。大学には、そんな刺激を得られる機会が豊富に存在しているのです。ただ、与えられた知識を暗記して再現するだけの学びからは、自由を獲得するような体験は生まれてきません。その知識を生み出した人たちは、どんな課題をかかえながら、どんな経過を経てそれにたどり着いたのだろうかということに、想像力を働かせながら、自分自身も手を動かしながら、いわば自分ごととして知識を獲得していくような学びができた時に初めて、自分をより自由にしてくれるような機会が得られるのです。単位を取得し、学位を得ることは、それ自体が目標なのではなく、自分をより自由にするための手段なのです。本気で学ぶこと、自分ごととして深く学ぶことは、それ自体が「自由を生き抜く実践知」としての意義をもっているのです。また、学ぶことができるのは、卒業所要単位を取得できるいわゆる正課教育を通してだけではありません。課外活動や遊びにもたくさんの学びの機会があります。何もやる気が起きずに、徹底して何もしない時間をもつことが、自分を解放してくれるような発見をもたらしてくれる学びの場面になるかも知れません。

さて、そんなふうに自分を解放していくような学びの過程で、さまざまな人に出会う機会が大学にはあります。その時、ぜひ心がけて欲しいのは、「自分とは違うなぁ」と思う人とも知り合いになり、仲間になるということです。自分と共通点がある人と友人になることは、それほど意識していなくても実現出来ることです。それももちろん大切なことなのですが、自分とは共通点が少ない人と仲間になることは、かけがえのない価値をもっています。意識していないとなかなか実現出来ないけれども、実現出来れば自分の人生の幅が広がり、できることの範囲が大きくなります。法政大学は人文科学、社会科学、自然科学の3分野にわたって、15の学部があり、またそのほとんどの分野で大学院ももっている総合大学です。さまざまな関心や得意な分野をもつ人たちが、いろいろな専門領域を学び、研究しています。全国各地、世界各国から来た多様な学生たちがいます。関心や得意なことが違うから、学ぶ専門も異なるわけですが、ぜひ自分とは異なる分野の人と交流できる機会を積極的につかまえて、知り合いになってください。学生同士に限定する必要はありません。教員や職員など、学生のみなさんとは年齢も経験も違う、さまざまな人が法政大学を構成しています。みなさんとともに、一緒に何かに取り組むことを、自分のミッションだと考え、自分の楽しみとしている人たちです。立場は違いますが、遠慮なく、共通の事柄に取り組む仲間だと思ってください。

自分とは「目の付けどころ」が違う人との交流は、とても刺激的だし、発見と学びに満ちています。自分一人では気づかなかったことを見つけられたり、一人では出来ないことが実現出来たりします。ただし、最初から意図して、自分ができないことができるパートナーを見つける、といったことではないだろうと思います。自分にはない個性、自分にはできないことができる才能、自分から進んではとても取り組む気になれそうにないことに本気で打ち込んでいる行動、偶々出会ったそんなことへの驚きや呆れから知り合いになり、やがて別の場面で協力して何かに取り組むことになり、結果的に大きな成果が得られた。多くの場合、現実はそういうものです。

法政大学で、みなさんがそんな経験を重ねながら、本気で学んだ結果としてより自由になっていくこと、それがひいては卒業後にも失われることのない「自由を生き抜く実践知」につながっていくことを期待します。実りある学生生活を祈ります。

(以上)