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アニメ研究を通して社会課題や社会現象に新たな視点を与える (GIS スティービー・スアン 准教授)

  • 2024年02月09日
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「法政の研究ブランド」シリーズ

法政大学では、これからの社会・世界のフロントランナーたる、魅力的で刺激的な研究が日々生み出されています。
本シリーズは、そんな法政ブランドの研究ストーリーを、記事や動画でお伝えしていきます。

古典芸能の能楽に感じた「反復から生じる美学」がのちのアニメ研究につながる

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私の専門領域は「メディア論」と「パフォーマンス論」で、これらの理論を用いて、アニメ作品について研究しています。スリランカで生まれたのち、幼少時代をアメリカのニューヨーク市で過ごした私は、子どものころからアニメが好きでしたが、研究対象として関心を持ち始めたのは、大学4年生の時でした。ニューヨーク州立大学で映画と文化を専攻して学んでいたのですが、京都に1年間留学した際、近くにあった京都精華大学にアニメや漫画を研究する学部があることを知りました。帰国後、当時のアメリカでは、アニメは研究対象としてあまり知られていなかったため、指導教官に『パーフェクトブルー』というアニメ映画について研究する許可を得て、初めてアニメをテーマとした研究論文を執筆しました。

大学では、副専攻として日本学を選択していました。様々な授業を履修するなかで、特に関心を持ったのが、アジアの演劇で、特に日本の「能楽」でした。大学を卒業後一旦は就職したのですが、時間を見つけては、能楽や日本文化に関する本を読んでいました。こうして能への関心がますます高まった結果、仕事を辞め、京都精華大学で1年半研究生として、日本の伝統的な演劇と現代のメディアについて研究することに決めました。その後、能楽について著名な先生が在籍していたハワイ大学の修士課程に進みました。

私が能のパフォーマンスに興味を持ったのは、能の動きの「反復から生じる美学」です。能の動きには、厳格な「型」があり、1ミリでもその型から外れてはなりません。本当に細かく、何度も何度も同じことを繰り返して練習し、その型に従うことで上達します。ここに美学を感じるのです。ただその中で、各公演で複数の厳格な役割が一時的に組み合わさったことにより生じるパフォーマンスからは、個性を感じることもできます。このパラドックスも面白いと感じています。こうした興味から修士課程では、「能の中世美学とパフォーマンスとジェンダー」について研究しました。

博士課程では、同じテーマで研究を進めるか、アニメに戻るか迷っていたのですが、指導教員がリタイアし、さらにアニメの研究分野で日本の文部科学省の奨学金を受けられることになったため、研究生として過ごした京都精華大学の博士課程に籍を移し、アニメの研究に専念しました。

アニメーションを「コード化」することで「深夜アニメ」を分析

私がアニメ研究を行う際、対象としているのはいわゆる「深夜アニメ」です。アニメと言ってもそのジャンルは幅広いため、特に海外でも人気があり、今の日本の「Anime」として認識される、ハイティーンをターゲットとした、商業目的のアニメーションに特に注目しています。研究を始めた当初は、動画配信サービスなどはなく、文字通り、こうしたアニメーションの多くが深夜枠に放送されていたので、深夜アニメと呼ばれています。

それぞれのアニメ作品に「アニメらしさ」を感じる要素は、人、場所、時代によって異なっています。過去には「萌え系」と呼ばれ、目が大きなキャラクターにアニメらしさを感じた人も多かったと思います。サザエさんやちびまる子ちゃんを見て、アニメらしいと感じる人もいると思います。その中で、一般的な国内外のファン層は深夜アニメによりアニメらしさを感じているため、研究対象としているわけです。

能に厳格な型があると説明しましたが、深夜アニメにも、キャラクターデザインであったり、物語性だったり、喜怒哀楽の際の表情だったり、主人公の性格だったりと、繰り返されている共通の要素があり、それらが作品の中で認識性の高い表現要素として繰り返されることで深夜アニメとして成り立ち、認識されるのです。

こうしたアニメを構成する要素に着目していくことを、「コード化」、もしくは「記号化」すると言います。例えば複数の深夜アニメをコード化してみると、キャラクターの髪形や、表情などに共通点を見出すことができます。アニメを作る際のガイド、もしくは「お約束」と言ってもいいかもしれません。アニメの中のキャラクターの動きもこのようなコード化した表現であり、仕草に注目することは非常に興味深いと思っています。

アニメのグローバルな視点で分析することで研究の意義を深める

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2021年には『Anime's Identity: Performativity and Form Beyond Japan』という本を出版しました。幸いなことに、これまでの研究に対して一定の評価をいただき、この本は「日本アニメーション学会賞2023」を受賞しました。簡単に言えば、アニメのグローバル化について論じています。

アニメのグローバル化といった場合、まず海外で認められ人気になるという側面があります『鬼滅の刃』は、まさにその典型です。日本国内に大ヒットになり、国外には日本の現代文化の代表作品として捉えています。このように、世界中で「アニメ=日本文化」であると認識されています。​​​​​​しかし、アニメを安易に日本文化と解釈してしまってよいのでしょうか。アニメのエンドクレジットをよく見ると、そこには日本人だけではなく、多くの外国人の名前が掲載されていることがあります。これが示すように、現代社会においてアニメの制作はグローバル化されつつあるのです。アニメ研究をグローバルな視点でも行えるのではないかと考えたのが研究の発端でした。

ここで例として、現代の大人気ジャンルである「異世界アニメ」の『転生したらスライムだった件』を挙げたいと思います。この作品は東京を中央の起点とし、日本で制作した部分を含めて、ソウル(韓国)やマニラ(フィリピン)、ホーチミン(ベトナム)、上海(中国)などで分担して制作したものを東京で管理して完成させています。

さらに物語の内容を少し紹介しますが、この作品では日本人の主人公が、ファンタジーな異世界でリムルというスライムに転生し、冒険の途中で他民族の友達を作り、それらともに街づくりを行います。物語が進むと様々な国からきたキャラクターがリムルの街で多国籍な街を作っていきます。また、日本の伝統的な旅館を作り、日本の一部を再構築しているようにも読み取れます。この街は他の国と平和条約について交渉する中央ノード(結節点)として機能しており、アニメ制作のグローバル化を物語内でも実践していると考えることができるでしょう。

日本におけるアニメ制作の現場をとりまく状況は非常に厳しく、低賃金、長時間労働という課題を抱えています。一方で、例えばフィリピンなどでは、物価差もあるため、日本よりも労働環境は改善される可能性があります。さらに、日本国内には計画しているアニメを作るために、人材が足りず、国外のスタッフはますます必要になっています。このようにアニメのグローバル化は複雑な現象であります。

アニメをコード化して分析することは、アニメのグローバリズムにも貢献しています。コード化されているからこそ、そのコードを忠実に守ることで、様々な場所でアニメを作ることができます。実はこれは最近の話ではなく1960年代から続いていました。いわゆる日本のアニメのクオリティーは高く評価され、その担い手は日本人だと思われがちですが、例えば、人気アニメの『呪術廻戦』の監督の一人は韓国人です。そのためトランスナショナルと言いますか、国家横断的な文化生産の概念がアニメ研究をするうえでは重要だと考えられます。

アニメを分析することで見えてくる社会課題への新しい視点

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アニメと聞くと、テレビや映画でのコンテンツと思われがちですが、私たちの生活自体がアニメ化されているとも言えます。世界中のヒット映画の多くは、実際にはアニメーション化されたもの(例:『AVATAR』)またはアニメーション作品(例:ディズニー作品)となります。さらに、スマートフォンの中や、銀行などの操作パネルなどでもアニメーションのキャラクターが説明をしています。私たちはそうしたメディア環境に生きているわけです。

私のゼミでは、メディアを幅広い意味で捉え、どのようにアニメーション化されているかを考えています。なぜ今の時代に、TikTokなどにも散見されるアニメのキャラクターのようなパフォーマンスをする人が現れているのか、そうした現象について研究する学生もいます。

アニメ研究の歴史は長くないのですが、様々な可能性があると考えています。その一つとして、アニメが環境問題に与えうる新たな視点について触れておきます。キャラクターのパフォーマンスに注目しているという話は既にしましたが、さらに言及すると、アニメの中では、キャラクターのパフォーマンス、つまり動きによってそのキャラクター性や人格のようなものが変わっていきます。

人間中心的な個人主義の立場からは、人間が生み出した環境破壊や汚染は私たち人間の外側にある「モノ」と捉えます。その観点から、人間のみは行為者となり、モノとは殆ど行為できません。そのため、モノである環境問題と自己を切り離してしまいがちです。

ところが、アニメの中、例えば『ポケットモンスター』の世界の中では、主人公のサトシとポケモンのピカチュウは同じコード(両者の目がアーチ状の笑顔になるなど同じ表情)で描かれています。それにより、人間と人間以外のモノ(ポケモン、動物、ロボットなど)は同様な要素の組み合わせで自我を成り立っている。つまり、人間がポケモンなどの人間以外のモノと繋がることで、自我をより幅広いものにしていると考えられます。

研究対象とした『海獣の子供』というアニメの物語は、個人主義的な主人公の女の子が、海から来た少年たちと出会い、そして海の生物との不思議なイベントに参加します。その経験で、アニメの記号性の高いパフォーマンスによる外にあるコードを自分で繰り返すと同様に、主人公は外にあるモノを新しく取り入れることを受け入れ、よりエコロジカル的な自我を追求する主人公の成長過程が描かれていると分析しています。このように私たちも、外にあるモノと自分の内面と混ざり合うことを認めることで、環境問題の解決につながればと考えています。

  • ゼミの様子

  • ゼミで訪れた展示会「東京卍リベンジャーズ 描き下ろし新体験展 最後の世界線」での集合写真

GIS(グローバル教養学部)グローバル教養学科 スティービー・スアン(Stevie SUAN) 准教授

ハワイ大学マノア校アジア研究学部アジア研究日本専攻修士課程修了、京都精華大学マンガ研究科博士号取得。2019年より現職。専門はパフォーマンス論とメディア論。主な研究テーマは、「テレビアニメの美学とグローバル性」など。主な著作は、『Anime’s Identity: Performativity and Form Beyond Japan』(University of Minnesota Press)、「 アニメの『行為者』-アニメーションにおける体現的/修辞的パフォーマンスによる『自己』 」(日本アニメーション学会)など。2023年、日本アニメーション学会賞受賞。