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2022年入学式 廣瀬克哉総長 式辞

  • 2022年04月03日
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新入生のみなさん、法政大学へようこそ。総長の廣瀬克哉です。ご入学おめでとうございます。

新型コロナウィルス感染症予防のため、入学式場には新入生だけの入場という形になりますが、多くのご家族のみなさんが、オンライン中継などで見守ってくださっていると思います。その皆様にも、心よりお祝いを申し上げます。

2022年度は、コロナ下の入学も3年目となります。今年度の大学では、コロナ前の大学生活を経験している学年は4年生だけとなります。また、この春、高等学校を卒業した新入生のみなさんは、高校3年間のうち、2年間がコロナ禍のなかにあった学年です。高校1年生の時に思い描いていた高校生活を存分に送ることができたという人はいないのではないかと思います。そんな制約の多い環境の中で進路を選択し、いま法政大学に入学する機会を獲得された皆さんに敬意を表するとともに、心から歓迎したいと思います。

大学生活も、少なくともまだしばらくの間は、さまざまな制約をともなうことと思います。2年間の経験の中で、どんな行動が実際に感染リスクを伴うものなのか。どういう活動を、どのように注意を払いながらであれば、ほぼ感染を防ぐことができるのかが、かなり分かってきました。教室での授業によって直接感染が広がるリスクは極めて小さいことが確認できました。他方で、課外活動においては、スポーツや文化芸術活動について、それぞれの団体が示しているガイドラインを、よく理解し、少し大げさなくらいに徹底して守っていれば、ほぼ感染が広がることはない一方、そこまで厳密に守らなくても良いだろう、といい加減な対応で行った活動の場では、集団感染が発生してしまう例がありました。ある程度「コロナ慣れ」しなければやっていけないというのがホンネかも知れませんが、大学入学という節目にあたって、改めて守るべきルールを守ることの大事さを再確認してください。大学という場は、高校までに比べて、遥かに大勢の人が、広い範囲から通い、集う場です。そこには、対面でなければ得られないことがたくさんあります。互いにじゅうぶん注意深く行動することによってはじめて、感染リスクを抑えながら対面で人と知り合い、共同作業を通して成長していく機会を確保していくことが可能になります。大学の構成員全員が、ガイドラインを守って活動することが求められているのです。

いずれにしても、こういう行動はできない。こういう行事は見合わせる、といったことが、今年度もゼロにはできません。コロナ前に思い描いたであろう、大学生になったらこういうことをやりたい、と思っていたことのうち、できないことが少なくとも当面は相当残らざるを得ません。また、コロナ禍だけではなく、ロシアによるウクライナ侵攻に起因する国際情勢の危機もまた、留学を含む大学生の活動に、否応なく影響するものと思います。病原性をもったウィルスの流行や、国際情勢の変化は、私たち一人ひとりの努力で解決することのできない問題です。自分の力ではどうすることもできない要因によって、みなさんの大学生活は制約を受けざるを得ない。みなさんの大学生としての活動の自由に対しては、スタートの時点でいかんともし難い制約要因が待ち受けているわけです。少なくとも、コロナ前の例年の環境の中ではとくに意識することなくキャンパスで学生生活を送っていれば、「自然に」できたこと、ロシアを含む各国に存在する海外の連携校との交換留学や交流行事への参加などが、今の環境の下では、少なくとも「自然に」はできません。しかし、実際に足を運んで、直接会ってともに活動することができなくても、今はさまざまなコミュニケーションの手段があります。現在の環境の下でも使うことが出来る手段を最大限活用して、何らかの形で「やりたかったこと」の目的を達成することはできるのではないか。知恵を絞り、工夫しながら、もともと思い描いていたものとは少し違うかも知れないけれども、目指していたことのなかの、一番大事な何かは実現する。そういう姿勢がいま求められています。そして、そういう姿勢、考え方こそが、法政大学憲章に謳う「自由を生き抜く実践知」を養っていくことに他なりません。

いま「制約」をもたらす要因として言及した感染症や国際危機は、いうまでもなく、それらがない方が良いことです。しかし、それが現に今存在しているという事実に直面した時、それなしには得られないような深い学びを得る機会でもあります。実際に感染症にかかってしまうリスクがあるという環境のなかで生活することからは、一定の確率で避けることができないようなリスクに、人はどう向き合えば良いのかということを、真剣に考えざるを得ません。これまでの国際社会で確かなことだと思っていたこと、たとえば領土や主権の尊重といった大原則が、あっけなく侵害されてしまった現実に直面している今、そしてその現実が否応なしに何らかの影響を自分の暮らしや生き方に及ぼしているなかで、社会における制度や理念といったもののもっている価値や、それはいつも自然にそこにあり続けるものではなく、人々が意識的に守っていこうとしたときに初めて持続するものなのだということが、普段に増して切実に、意識に刻み込まれることだろうと思います。こういうことは、平常時にも理念的には語られるものです。法政大学の授業の中で、そのようなことは以前から語られることは多かったと思います。しかし、リクツの上で理解することと、実感をもって「自分ごと」として受け止めることの間には大きな差があります。いま、この環境のなかで大学生活を始めようとしているみなさんは、その点で、否応なしに自分ごととして学び、それゆえにより深く学ぶ機会を手にしているということを意識して欲しいと思います。

さて、これから始まるみなさんの大学生活のなかで、ポストコロナ、という言葉を耳にする機会がこれから徐々に増えていくだろうと思います。歴史が教えてくれていることは、感染症の流行も、戦争も、何らかの形でいずれ必ず終わるということです。その先を、私たちは展望していかなければなりません。経験した、これまでの社会のあり方に大きな変化を迫るようなものであったからこそ、その先のあり方は、単純に危機の前に戻るということにはならないはずです。そして、危機の経験が厳しいものであった分だけ、それを乗り越えた先の社会のあり方を、危機の発生する前よりも、さらに良いものに、より望ましいものに再構築していくことを目指したいと強く願います。

その社会のあり方を、私たちはまだ知りません。まだ、一人ひとりの人が、それぞれが期待したり、希望したりしていることが、漠然と存在している段階だと思います。社会のあり方というものは、一人の力では創ることができないものです。大勢の、さまざまな人の共同作業によって、社会のさまざまな場所で、まずはそれぞれに新しいあり方が創られていく。それが集積し、互いに影響を与え合うことによって、社会全体のあり方になっていく。そういうプロセスがこれから本格的に始まっていきます。

まずは大学において、これからの大学のあるべき姿を創っていく。法政大学でもそういう作業が始まります。学生のみなさんだけではなく、教職員もまだ知らない大学を、より良いもの、より魅力的なもの、より実りあるものへと創っていくのです。その活動の仲間として、いまここに皆さんを迎え、これからの法政大学の活動をともに展開して行くことを、心から楽しみにしています。