PickUP

地球への負荷をさらに軽減する21世紀農業における病害虫防除(生命科学部応用植物科学科 津田 新哉 教授)

  • 2022年01月07日
  • 教員
PickUP

生命科学部応用植物科学科
津田 新哉 教授


ESSAYでは、15学部の教員たちが、研究の世界をエッセー形式でご紹介します。

植物は、さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びて、土の中の水分と養分を吸収しながら生きています。人間を含む動物は、直接的あるいは間接的にその植物を食料として受け取っています。その命をつなぐ食料の生産活動を産業にしたのが農業です。近代農業では、作物の品種育成や栽培技術などの発展により、十分に食料を生産できるようになりました。しかし、大地に根を下ろして生きている植物は身動きができないので、環境の大きな変化には耐えられません。特に、作物の減産に直結する病害虫の発生は食料の安定生産を脅かし、人々の生活を不安に陥れます。歴史上では、病害虫被害に端を発した大飢饉(ききん)により、大陸間で民族の大移動が起こったこともあるほどです。その深刻な問題を克服するため、人類は19世紀末に革新的な技術「化学農薬」を発明しました。

作物の安定生産を実現する化学農薬の明と暗

病害虫を効果的に防除する化学農薬の発明は、世界の食料生産レベルを飛躍的に高めました。特に、温暖多雨な気候により病害虫が多発するわが国の農業では、均質な作物の多収栽培の実現など、化学農薬の多大な恩恵に浴しています。しかし、絶大な効果を発揮する農薬ほど、時に自然界から強烈なしっぺ返しを受けることがあります。ある種の化学農薬は、用法・用量を守っても、長期間の使用により病害虫の薬剤抵抗性の発達を助長しました。また、別の農薬では、周年栽培で起こる連作障害を巧妙に制御しましたが、ガス化した成分が宇宙紫外線の侵入を防ぐ地球のオゾン層を破壊していました。適応内処方とはいえ、耕作面積当たりの使用量が世界で上位にあるわが国では、これまでと同じような使い方をしていては、地球に予期せぬ負荷をかけてしまうことが危惧されます。先進国の一員としてそれを未然に防ぐためにも、農薬の使用量をできるだけ削減しなければなりません。作物の安定生産を維持しつつ、環境にも配慮した農業を持続的に展開するためには、化学農薬だけに頼った病害虫防除から軸足を動かす必要があります。

近年、生き物が持つ特性に着目した、病害虫の新たな防除技術が開発されています。害虫の生体反応を逆手に取って耕作地に近寄らせない技術や、微生物間の勢力争いの仕組みを応用して病原菌の増殖を抑制する技術などがその一例です。防除技術は、化学農薬による「殺虫・殺菌」の一辺倒から、自然の摂理を利用した「制虫・制菌」を理念とするものへと発展しようとしています。

生き物の活動を制御する物理的防除技術

病害虫に影響を与える物理的因子として、光・色(波長)、音(振動)、温度などが注目されています。光・色を使った技術では、害虫が嫌う特定波長のLED光線を用いて害虫を作物から遠ざける技術や、害虫の視認効果を増強して捕殺率を向上させた色彩粘着板などが開発されています。
また、作物のカビの病気に対しては、紫外線照射装置と反射シートを組み合わせた技術の有効性が示されています。音を利用した技術では、害虫を捕食する動物が発する超音波を擬似的に再生させる装置を開発し、それを害虫の活動が旺盛になる夜間に稼働させることで、栽培地から害虫を忌避させる新たな技術も創出されました。温度では土壌病原菌を対象に、その菌は死滅するが植物は耐えられる温度のお湯を畑に潅かんちゅう注することで、果樹の土壌病害を治療する技術も生まれています。

生き物の均衡を利用した生物防除技術

生き物の勢力争いを利用した防除技術では、害虫のアブラムシ類を捕食する天敵のナミテントウを利用した技術が世間の耳目を集めています。最近では、カメムシ類やアザミウマ類、さらにはカブリダニ類に至るまで多くの虫が天敵として開発され、生物農薬として農林水産省に登録されています。また、植物病原菌の感染拡大を抑制する善玉菌のカビ、細菌、さらにウイルスなどの微生物も生物農薬として開発されています。

人間が新型コロナウイルスに悩まされているように植物にもウイルスの病気がありますが、それを防除する化学農薬はまだありません。しかし、植物ウイルスが示す不思議な現象を利用した防除技術が知られています。あるウイルスが感染した植物は、後から侵入する同種や近縁ウイルスの感染を防ぐ「干渉作用」という現象を示します。強毒性を示す病原ウイルスが複製する時に高温や低温などの環境ストレスをかけると、植物への毒性を失った弱毒株に変異することがあります。その弱毒株をあらかじめ植物に接種しておくと、干渉作用の働きで後から来る病原ウイルスの感染を防ぐことができます。このような弱毒株を「植物ウイルスワクチン」といいます。一例として、ピーマンのモザイク病を予防するワクチンがあります。そのワクチンを予防接種したピーマンは、病原ウイルスに対して高い防除効果を示します(写真)。さらに、そのピーマンから収穫される果実は品質および収量とも標準の範囲内です。このワクチンは、ピーマンを3割以上減収させるモザイク病の感染を防ぎ、農家の経営を支援する強力な技術になります。

ピーマンに接種したワクチンの予防効果

21世紀農業のあるべき姿

20 世紀の農業は、化学工業由来の肥料や農薬などに強く依存した生産体系でした。しかし、いくら品質の良い作物を大量に生産できるとしても、地球環境に負荷をかける体系では長続きはしません。21世紀に展開する病害虫防除は、化学、物理および生物など作用点の異なる複数の技術をバランス良く組み合わせ、農家の経営も成り立つ総合防除体系の「総合的病害虫・雑草管理(Integrated Pest Management;IPM)」へ進化していかなければなりません。農業の持つ物質循環機能を生かし、生産性との調和に留意しつつ環境負荷の軽減に配慮したIPM体系を多くの産地に実装する必要があります。関係者の英知を結集し、産地に最適となるIPM体系を地球規模で実践していくことこそが、作物の持続的安定生産を実現する21世紀農業の基本になると確信しています。

(初出:広報誌『法政』2022年1・2月号)

法政大学生命科学部応用植物科学科

津田 新哉 教授(Tsuda Shinya)

主な研究は、野菜類に発生する植物ウイルス病の感染メカニズムおよび伝染環の解明、ウイルス病診断技術および防除技術の開発など。2018年から現職。前職は、(国研)農業・食品産業技術総合研究機構の病害研究領域長。2008〜2010年に「モントリオール議定書」締約国会合日本政府代表団技術顧問を務めるなど、日本の環境保全型農業技術開発を率先する研究者の一人。2019年度に「日本植物病理学会学会賞」を受賞。