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卒業生インタビュー:株式会社オリエンタルランド代表取締役社長兼COO 吉田 謙次さん

  • 2022年09月28日
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プロフィール

吉田 謙次(Yoshida Kenji)さん

1960年神奈川県生まれ。1984年経済学部を卒業後、株式会社オリエンタルランド入社。同社の子会社・株式会社アールシー・ジャパンへの出向を経験し、経理部長、フード本部長、第8テーマポート推進本部長などを歴任。2021年6月代表取締役社長兼COOに就任。

大切なのは、苦しいときの「あと一歩」 その積み重ねが道を開く

開園間もない東京ディズニーランドに魅了され、先の見えない中に未知の可能性を感じて、「あのテーマパークを支える仕事をしたい」とオリエンタルランドに入社した吉田謙次さん。会社を支える立場になるまでには、どんな時もあきらめない、「あと一歩」の積み重ねがあったと言います。

パークと会社に新しい風を吹かせる

緊急事態宣言による100日以上の休園もあり、上場後初の赤字という厳しい状況の中、入社37年目にオリエンタルランドの社長に就任しました。

故事「治に居て乱を忘れず」になぞらえれば、コロナ禍はまさに乱世。多くの制限を経験して、人と人との関わりの大切さが再認識された今、治世に向けて、守るだけでなく、攻める意識も大切だと考えています。

オリエンタルランドが運営する二つのテーマパーク、東京ディズニーランドⓇと東京ディズニーシーⓇの価値は、人と人の触れ合いを通じて得られる体験にあります。2023年度オープン予定の新エリア「ファンタジースプリングス」は、社長就任前から携わってきた一大プロジェクトです。訪れたゲストの皆さんに今までとは違った新しい体験をしていただくことで、会社にもいい風が吹く、そう信じています。

入社後4年半は、パーク内のレストランでゲストの対応を担当した(写真は入社1年目の1984年)

入社後4年半は、パーク内のレストランでゲストの対応を担当した(写真は入社1年目の1984年)

1行の文章にも複数の解釈、ゼミで培った「考え抜く」姿勢

大学受験で人生初めての挫折を味わいました。「人生は真剣に立ち向かわないと失敗する」と気付くことができたので、一浪したことも私にとっては意味があったと思います。

経済学部に入ったからには、学問的な視点で資本主義を学んでおきたいと考え、3年次にマルクス経済学を研究するゼミに入りました。全員で1冊の本を読み進め、1行の文章を何時間もかけて深掘りする。次回に同じ文章を読むと、また違う解釈が出てくる。このゼミを通じて、「一つのことを考え抜く」姿勢が身に付きました。今でも、決断が必要なときは、深く、多方面から考えることを意識しています。

大学3年生の時に仲間と海に旅行に出かけたときの写真

大学3年生の時に仲間と海に旅行に出かけたときの写真

夢のある「不確実」な世界に未知の可能性を感じて

大学4年の5月に開園間もない東京ディズニーランドへ初めて行きました。非日常的な世界に驚き、帰り際に目にした夕日に染まるパークの美しい景色に感動したのを今でも覚えています。

就職活動では金融業界を目指し、証券会社から内定をいただきました。ところがある日、大学の就職センターでオリエンタルランドの求人票を目にして、考えが一気に変わったのです。ある会社の説明会で聞いた「この不確実な時代に、確実性を求めることほど不確実なことはない」という言葉がずっと心に引っ掛かっていました。真意はわかりませんが、私の中では、安定を求めるよりも不確実なことに挑戦していきたいという想いが強くなり、それが「夕日に輝く別世界の風景」と結び付き、テーマパークの可能性にかけてみたい、その方が自分に向いていると感じたのです。

当時はまだ知名度も低く、「数年でつぶれるのでは」という声もあって、父には大反対されました。また、コスチューム姿に抵抗はありませんでしたが、入社1年目に「こんにちは!」と声を掛けたゲストが偶然、小中学校時代の友人でからかわれたこともありましたが、それでも自分が決めた道を信じて、前向きに取り組んでいました。

迷ったときはパークへ、答えは現場にある

入社時は明確な目標もこれといったスキルもありませんでしたが、会社に成長させてもらいました。大きな転機となったのは、二つの異動です。一つは現場から経理部門への異動で、稟議書が何かも知らない、簿記の知識も全くない状態だったので1年ほど猛勉強をしました。その結果、実務のスキルが身に付き、パーク運営を経営視点で見るようになりました。また、その時の上司が私たち若手の生意気な意見にも耳を傾けてくださる方で、自分が管理職に就いてからのお手本となっています。

もう一つは、パーク外の飲食施設を企画・運営する子会社への出向で、大手商社の外食のプロと7年ほど仕事をして、世の中のビジネスの厳しさとスピードを叩き込まれました。コミュニケーションや役割分担、粘り強さの大切さを学んだのも、この時期です。

そして私にとって最大の財産となったのが、入社直後の4年半の現場経験でした。今でも、自分の考えが机上の空論となってしまわないように、常にパークに足を運んでいます。多少迷いがあるときも、ゲストの皆さんを見ていると、「この方向で間違っていない」と確信を持てるのです。また、レストランの新メニューなら現場のプロフェッショナルであるシェフのアイデアを尊重するなど、年齢を問わず、知識や経験を持っている人にどんどん意見を出してもらうようにしています。

今年の「箱根駅伝」は、法政がゴールの1キロ手前で逆転してシード権を勝ち取りました。全員が最後まで手を抜かず頑張り続けた証しだと思います。人生は「あと一歩」の積み重ねです。ぜひ、法政で培われる粘り強さを生かして、苦しいときこそ「あと一歩」頑張ってみてください。失敗したときも、方向を見直して「あと一歩」。そういう一歩一歩が、チャンスに手が届くかどうかの決め手になるはずです。

 

(初出:広報誌『法政』2022年8・9月号)