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都市環境の変化をコントロールするのは誰か(社会学部社会学科 堀川 三郎 教授)

  • 2020年11月09日
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2019年度に受賞・表彰を受けた教員の研究や受賞内容を紹介します。

堀川三郎教授は、下記の通り受賞しました。

  • 「2018年度日本都市計画学会石川奨励賞」(日本都市計画学会)
  • 「第11回日本都市社会学会賞(磯村記念賞)」(日本都市社会学会)
  • 「2019年度日本都市学会賞(奥井記念賞)」(日本都市学会)

    著書『町並み保存運動の論理と帰結——小樽運河問題の社会学的分析』(東京大学出版会、2018年)

新しいことは善いことなのか?

都市環境は日ごとに変化して止まることがありません。変化し新しくなることは善いことと見なされています。しかしその一方で、同じ都市環境を保存せよと叫び、運動する人たちがいます。新しいことの何がいけないのでしょう?古いものを保存してどうするの?——私の研究の基本的な問いはこれです。開発をしようとする者と保存を求める者とのせめぎ合いを経て、都市環境はいかに変化するのか、そしてそうした対立は現代日本のどんな問題を現しているのかを明らかにしようと研究を進めてきました。北海道小樽市で起こった小樽運河保存問題を事例に、私なりの探究の成果を2018年に刊行しました。拙著『町並み保存運動の論理と帰結——小樽運河問題の社会学的分析』(東京大学出版会)です。

  • 趣味を活かし、本文版面から装幀、ブックカバーまで著者自らデザインした一冊

小樽運河をめぐる攻防のドラマ

拙著は、今では誰もが知る観光地・小樽運河の保存問題を分析したものです。小樽運河を全部埋め立てて6車線道路を建設するか、保存して観光資源とするかをめぐる、保存運動と小樽市行政との対立問題です。最終的には東京の国会まで巻き込む大論争となり、運河を埋め立て、一部を保存することで一応の決着をみました。

明治・大正期の小樽は、日本銀行の支店が立地するなど隆盛を極めていましたが、第2次大戦後は衰退の一途をたどり、1970年代には、運河は寂れてごみ捨て場のような有り様でした。そこで市は小樽運河を埋め立てて道路を造ろうとします。繁栄する札幌と道路でつながろうという計画でした。

しかし、地元住民は埋め立てに猛反対。1973〜1984年に生起した小樽運河保存運動です。新しいイベントや運動戦略を編み出して全国的に注目されましたが、なぜ、彼らは運河を保存しようとしたのでしょうか。機能的に時代遅れになった運河を道路にして、トラック物流に対応しようとした市の計画になぜ、反対したのでしょうか。

これを端的に要約すれば、拙著は「なぜ、小樽運河を残せと言ったのか」(保存の論理)、「なぜ、運河問題は10年近くも続いたのか」(対立の構造)、「小樽の景観は、論争を経てどのように変化したのか」(景観変容の実態)、「それは日本の都市計画制度のいかなる問題点を現しているのか」の4点を、33年間の徹底的なフィールドワークで解明した社会学の本、となるでしょう。中核的論点は「誰が都市の変化をコントロールするのか」で、行政や都市計画、大企業ではなく、名もない市井の人々による都市環境変化のコントロール過程の解明でした。都市のサステイナビリティを、市民社会がどのように担保していけるのかを、具体的に小樽で考えてみたという意味で、小樽の本であると同時に、日本の都市環境問題の本でもあります。建築学や都市計画学が扱ってきた「町並み保存」「歴史的環境保存」というテーマを、都市社会学と環境社会学の視点でとらえ直す研究でした。

一冊書くのに33年?——精確な記録のために

それにしても一冊の本を書くのに33年とは、ずいぶん悠長な話です。しかし、それだけの歳月が必要でした。なぜなら、立場を超えて活用されるような基礎研究を目指してきたからです。住民も行政も、数回通っただけで「提言」する研究者など相手にしてくれません。長年通って信頼関係を築き、徹底的な史料探索とインタビューを通じて、当事者も驚くような精確なデータをもとに分析をしないといけないのです。

そこで私は1984年3月、まだ大学1年生の時に小樽運河問題に出会って以来、2016年9月までの33年、全47回延べ275日間にわたる現地調査のデータを用いて拙著を書きました。その結果今では、かつての保存運動の参加者と市職員の双方が私に問い合わせをしてくるようになりました。この事実は、私が行政批判だけをしているわけでも、お先棒を担いでいるわけでもなく、拙著が立場を超えて利用可能なデータ・分析であるからだと思います。データの集積とその重みで勝負しようという研究姿勢は、地味ではありますが、現実の社会問題にまっすぐに繋がっているのです。

学会賞を3つ受賞——都市計画批判の嬉しい帰結

2019年は驚きの年でした。なぜなら、そんな地味な拙著が3つの学会賞——日本都市社会学会賞(磯村記念賞)、日本都市学会賞(奥井記念賞)、そして日本都市計画学会石川奨励賞——を受賞したからです。それはまったく予想していなかったことでした。なにしろ33年もかかって、気の抜けたビールのようだと思っていたからです。

同じプロの集団に認められるというのは嬉しいことですが、一番驚いたのは、日本都市計画学会賞でした。何しろ、拙著は日本の都市計画を真正面から批判したものでしたし、理系の都市計画学から文系の社会学は相手にされていなかったからです。この都市計画批判の嬉しい帰結を糧に、文理融合の研究を目指していきたいと思っています。

法政大学社会学部社会学科

堀川 三郎 教授(Horikawa Saburo)

1962年アメリカ・ワシントンD.C.生まれ、東京育ち。中央大学文学部哲学科社会学専攻卒業。慶應義塾大学大学院社会学研究科後期博士課程修了。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員、千葉大学助手を経て、1997年に社会学部着任、現在に至る。東京大学大学院客員助教授、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員、岩波書店『環境と公害』編集同人、環境社会学会事務局長などを歴任。趣味はブックデザイン。

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