お知らせ

新しい格子錯視の発見(経済学部国際経済学科 松野 響 准教授)

  • 2020年10月14日
お知らせ

2019年度に受賞・表彰を受けた教員の研究や受賞内容を紹介します。

松野響准教授は、下記の通り受賞しました。

  • 「2019年日本心理学会学術大会 優秀発表賞」(日本心理学会)
    発表「分裂線錯視:格子錯視の一変種の報告とその知覚特性についての検討」
  • 「第11回錯視・錯聴コンテスト グランプリ」(錯視・錯聴コンテスト審査委員会)
    作品「分裂線錯視」
  • 「第11回錯視・錯聴コンテスト 入賞」(錯視・錯聴コンテスト審査委員会)
    作品「格子のないきらめき格子錯視」

新しい格子錯視

「格子錯視」として知られる幾何学錯視のバリエーションを新たに2つ見いだしました。左側は、白い丸の中にある一本の線が、ぶれて二本に見える錯視、右側は、丸の上に、ときどきほんの一瞬、幽かに黒い丸がちらちらと見えるという錯視です(目をよく動かしながら見てください。見つめている点ではなく、その周辺の丸で見えやすい特徴があります。見えにくい場合は画像のサイズを変えたり、見る距離を変えてみてください)。

クリックすると拡大画像が表示されます

これらは、下の図のような既知の錯視(格子の交点に黒い錯視が見える)の研究をする中で偶然見つかったものです。どちらも地味な錯視ですが、私たちの「ものを見る仕組み」を考える上で、新しい知見をもたらす興味深い錯視です。

クリックすると拡大画像が表示されます

発見の経緯

格子錯視は、もともと私にとって思い入れの深い錯視です。学部の1回生の時に受講した「感覚知覚情報論」の講義で、後に卒業研究の恩師となる先生が課した最初のレポート課題は、「網膜の側抑制の機構によって格子錯視の生起を説明せよ」。授業で聞いたカブトガニの目の仕組みの話から錯視のメカニズムを考える。同じ心理学系のあやしげな他の授業に比べて、なんて硬派な課題なんだろう、と、私の琴線にふれ、視知覚心理学の扉を叩く一つのきっかけになりました。

それから紆余曲折を経て15年、私自身が教壇に立つ立場となり、そんな思い出の格子錯視を授業でしつこく紹介していたところ、これを研究テーマにしたいという学生さんが私のゼミにやって来ました。相談の上、卒業研究では、きらめき格子錯視 (上図)を使って、くだんの側抑制説と、その後新しく提唱された最近の説のどちらが妥当なのかを調べる知覚実験をしてみよう、ということになりました。ところがふたを開けてみると、実験結果はどちらの説でも説明がつかないという、予想外のものでした。

その研究が終わった後もずっと、なぜそんな結果になったのか一人考え続けていました。その中で、ふと、円の真ん中に細い線を置いてみることを思いつきました。もしも従来の2つの説のどちらかが正しければ錯視にそれほど大きな変化はないはず。けれど私がその時点で考えていた新しい仮説が正しければ、錯視は消えるのでは。そんな予想がたったためです。思いついてすぐ試せるのが知覚研究の良いところ。実際にそんな図を作ってみると、予想通り黒い点は見えにくくなりましたが、今度は予想外に線がぶれて二重に見えます。最初は、自分の疲れ目のためか、と疑い、その日研究相談に来た4回生に見てもらっても、やっぱりぶれて見える。調べてみても過去に同様の錯視が報告されたことはなく、どうやらこれは新しい錯視らしい、ということになりました。

もう一方の錯視の発見は、もっと偶然の賜物です。ある日、テクノロジー系のニュースサイトに掲載されたCMOSセンサー基板の裏面の画像を一心に見つめながら考え事をしていました。それは小さな黄色い無数の丸が規則正しく縦横に並んだパターンでした。長く見続けていたためか、それともその種の錯視に過敏になっていたためか、ときどきほんの幽かに、視野周辺の丸の中にきらめき格子錯視と同じような黒い点が見えることに気づきました。この場合も、やはり最初は自分の目を疑いました。だって、ただの丸だもの、という相田みつを調の心の声も聞こえてきます。ただ単に画像の中心がうっすら黒で塗られているだけでは、と疑って、画像を拡大したり画素値を直接確認したり。けれど、やっぱりただの黄色い丸です。格子がないのに、黒い錯視スポットが見える・・・。きらめき格子錯視は格子線があることによって発生する、という思い込みを捨てて、自分の目の方を信じるのに、しばらく時間がかかりました。

どうして錯視が見えるのか

これらの錯視の面白い点は、どちらも、これまでに定説とされてきた格子錯視の生起メカニズムではうまく説明ができなさそうなところです。格子錯視は、格子によって黒い錯視スポットが発生する錯視だとこれまで思われてきました。従来の説明モデルはどれもそのことを前提として設計され、いろいろな人が、どういう視知覚の仕組みを考えると、格子線から黒い点を「生み出す」ことができるのだろう、と頭を悩ませてきました。けれどもこれらの考えでは、格子がなくても似たような黒い点が見えることや、無関係のはずの線が二重に見えることをうまく説明できません。

そこで、発想の転換が必要ではないか、というのが、現時点での私の新しい仮説です。きらめき格子錯視の黒い点は、黒い点が「見えている」のではなく、白い丸の表面が「見えなく」なっているのではないか(「点の発生」ではなく「面の欠損」)。線がぶれて見えるのも、白丸の表面を「見えなく」しているのと同じ仕組みによって、線の視知覚情報処理が干渉を受けているからではないか。そのような仮説が果たして正しいのかどうか、まだもう少し今後の検討が必要です(この研究について、以下でその一部が公開されています)。

錯視の研究からわかること

これらの錯視を研究することはつまり、私たちがどのような仕組みで世界を見ているのかを調べることです。言い換えると、丸や直線を見る、というただそれだけの単純なことでさえ、まだ私たちは十分に理解できていないということです。なぜ線がぶれて見えるのか、どうして物理的に存在しない黒い点が見えるのか、それを突き止めることができれば、これまで知られていなかった、ものを見る仕組みの新しい側面を明らかにできるかもしれません。

法政大学経済学部国際経済学科

松野 響 准教授(Matsuno Toyomi)

京都大学総合人間学部卒業、理学研究科修士課程・博士後期課程修了(理学博士)。2012年より本学経済学部准教授、現在に至る。ヒトやヒト以外の動物の「心」の働き方を科学的に解き明かすことを目的とした実験心理学・比較認知科学の研究をおこなっている。

  • 所属・役職は、記事掲載時点の情報です。