国際高等学校教諭 波多野 仁
「知の道筋」は、「解」が見通せる「問」は認めず、本質的な問を立てる力と既成の知識を批判的に捉え直す力を求めます。
例えば「無人島に漂着した私」を思い描き、眼の前にある「キノコ」が食べられるのか否か、「どうやってそれを知るのか」イメージさせます。携帯電話も図鑑も持たない「私」は、自らの「知覚、感情、理性、想像、直感、記憶、信仰(信念)」でそれを知るしかない。そして新たに漂着した者と「言語」を使って共有の知識にしていくでしょう。
国際高校が求める「世界のどこにあっても生き抜く自立した個」は、こうした既成の知を疑う力、自らの感性から経験までを総動員して知識にしていく力、協働して解決の場を創造しようとする意志によって、初めて出現するのではないかと思うのです。