お知らせ

2019年入学式来賓祝辞

  • 2019年05月13日
お知らせ

静岡県立大学国際関係学部国際関係学科教授
古川 光明 さん
経済学部卒業


2019年度の本学入学式では、1987年に本学経済部をご卒業された古川光明さんにご祝辞をいただきました。 古川光明さんは、学生時代に派遣留学生としてトルーマン州立大学に留学し、ご卒業後は、清水建設株式会社に就職された後、国際協力機構(JICA)に転職されました。
JICAでは、南スーダン、モザンビーク、アルバニア、アフガニスタンなど紛争や鎖国政策が明けたばかりの混沌とした現場を経験され、JICAの一機関であるJICA研究所では、上席研究員として国際的な援助活動のあり方を研究されてきました。
この経験を活かし2019年4月1日から静岡県立大学国際関係学部で教鞭をとり教育研究活動のステージに立たれています。

新入生の皆さん、ご家族及び関係者の皆様、総長、教職員の皆様本日は誠におめでとうございます。私は法政大学を卒業後、清水建設を経て国際協力を実施する国際協力機構JICAに長年勤めてきました。そして、この4月から皆さんと同じようにあらたな道を歩みだしました。

人生は日々大小さまざまな選択の連続でなりたっています。朝起きてなにを食べるのか、食べないのか、今日はどんな服を着るのか、勉強するのか、遊びにいくのかなど、日々、さまざまな意思決定をしています。それが人生だと思います。その意思決定が社会や経済にも影響します。皆さんにとって法政大学を選んだのも一つの大きな意思決定です。私にとって新たな道に進むのも大きな人生の選択です。この選択が多くのことで自由にできる環境が今の日本にはあります。でもそんな環境にあるのは決して当たり前のことではないのです。

世界にはどれぐらいの数の国が存在するでしょうか。現在、国連に加盟国している国は193あります。そのうち日本のような先進国と呼ばれる国の数は5分の一の約40ヶ国にしかすぎません。私は、仕事がら、多くの国に行きました。70ヶ国ぐらいは行っていると思います。日本のように自由に選択ができる国は、以外にも限られているのが現状です。

日本では、安全な水がただのように飲める。多くの人が学校に行くことができる。病院にもいけますし、平和で安全で、そして、ほしいものはお金を出せばたいていのものは手に入ります。移動するのも自由にできる。でも多くの国ではそんな選択ができない環境にあることをぜひ知ってほしいと思います。最近話題となった「とんで埼玉」の映画のように、都市を移動するにも移動許可が必要な国がまだまだたくさんあるのが実態です。

本日は、私が2016年7月までJICAの事務所長として赴任していた南スーダンの経験を少しお話できればと思います。

皆さんは南スーダンをご存じでしょうか。日本では自衛隊の日報問題や駆けつけ警護などで話題となったため、危険な国としてのイメージが強いのかもしれません。確かに南スーダンはこれまで半世紀にわたり、紛争が繰り返し行われてきました。そして、ようやく、2011年7月にスーダンから分離独立し、最も新しい国として、193番目の国連加盟国となりました。南スーダンは、東アフリカに位置する内陸国で世界でも最も貧しい国のひとつです。南スーダンは日本の1.7倍、人口は約1200万人で、遊牧民と農耕民の64の民族からなっています。南スーダンは本当に開発が進んでいません。例えば、首都ジュバの人口は約120万人ぐらいですが、首都にもかかわらず、給水率が数パーセントしかなく、電力もほとんど通っていません。全国で中学校を卒業できる人は1万人も満たないのです。道路も全国で舗装されている距離は、たったの270キロぐらいしかありません。そして、紛争が繰り返された結果、実に国民の3分の1にあたる400万人が家を失い、国内外避難民となっています。

2011年にようやく独立をしたのもつかの間、独立から1年半後の2013年には大統領の座をめぐる権力争いによる銃撃戦が勃発し、民族間紛争へと拡大していきました。JICAも国外退避を余儀なくされました。その後、少し安定した2014年11月に私は、JICA南スーダン事務所長としてジュバに赴任することとなりました。

そんな国でJICAは支援を行っているのですが、2016年7月に再び、首都ジュバで紛争が起こり、瞬く間に全国に紛争が拡大してしまったのです。私の事務所のまわりも大規模な銃撃戦が始まり、迫撃砲も飛び交いました。取り残された専門家を救出する途中に、私が乗っていた車は、兵士により撃たれてしまいました。そんな銃撃戦のなか、93名の邦人を含むJICA関係者をチャーター機で国外脱出させました。まさに命がけの緊張感のあるなかでの選択でした。

このように南スーダンでは、紛争が繰り返されるなか、民族間での憎しみや国民間の不信感が広がっています。人口の75%が30歳以下の若者で、その若者たちが兵士に駆り出されるのです。

そこで、JICAは、民族間や国民間の信頼と結束を高め、平和の促進につなげようとの目的で、日本でいうところの国民体育大会、国体を開催することにしました。全国から二十歳までの若者を集め、サッカーと陸上競技を首都ジュバで10日間にわたって開催しようというものです。南スーダン政府はその大会のことを「国民結束の日」と名付けました。

本当に独立後初めてとなる「国民結束の日」が開催できるのだろうか、本当に若者が集まってくるのだろうかと心配しました。なぜならば、「ジュバにいけば殺される」と多くの若者は思っていたからです。それでも勇気をもってそれぞれの州を代表する350名もの若者がぞくぞくとジュバに集まってきました。南スーダンでは親族のなかで殺されたことがないものはいないといわれるほどです。彼らにとってはジュバに来ることは大きな選択だったに違いありません。そして、おそるおそるジュバに来て、敵対しているものたちが同じ場所に寝泊りし、食事を共にし、試合をするなかで、お互いをすこしずつ理解し、信用できるようになっていきました。負けたものは泣き崩れ、勝ったものは泣き崩れている選手たちに手を差し伸べていました。その様子は、テレビ・ラジオを通じて全国に流れていきました。それを見ていた観客も自分たちは同じ南スーダン人なんだと改めて思ったに違いありません。まさに「国民結束の日」は、その名にふさわしい国民間、民族間の結束を高めたのです。勇気をもって参加した若者がそれを実現したのです。

そして、その年の7月に紛争が起こりました。それでも、独立後初めてのオリンピック参加を実現させたい、こんな状況だからこそ、平和の祭典であるオリンピックに参加してほしいとの願いでJICAは国外退避したにもかかわらず、オリンピック参加支援を行いました。そのオリンピックに「国民結束の日」に出場した選手のなかから、代表選手がでたのです。勇気をもって行動することで新たな道を彼らは自ら、切り開いていったのです。

次に、南スーダン政府に努めている労働省の局長の経験をお話します。彼は独立前、敵対する北部スーダンからの空爆を受けて、出身地を追われたそうです。エチオピアに避難するために、何百キロという道なき道を歩く中で、一緒に逃げていた親族や仲間はライオンに襲われたり、川でおぼれたりとして多くの人が亡くなっていったそうです。そして、ようやくエチオピアの難民キャンプにたどりついた彼は、そこで教育を受け、また、そこからケニアの難民キャンプに移動し、そこでも教育を受け、そして、ケニアの大学で教鞭をとるまでになったそうです。その後、彼は、南スーダンが独立し、新たに設置された政府から局長として戻ってきてほしいとの要請を受けました。治安も悪く、給与がほとんど支払われていない状況にも関わらず、彼は、自分の蓄えを切り崩しながら、母国のために戻ってきたのです。彼にとっては大きな選択であったに違いありません。

南スーダンは、日本のような環境ではなく、自由な選択ができない国です。でもそんななかにおいても、選択のできる範囲のなかで彼らはたくましく生きています。そして、勇気をもって若者は自らできる選択をし、その局長は、給与が十分でなくとも母国のために貢献したいとの気持ちで南スーダンに戻ってきました。

皆さんもいろんな選択をこれからの日々のくらしのなかで行っていくことになります。今の日本はいろんな選択が可能です。しかし、これは当たり前のことでは決してないのです。世界は今混沌とした時代を迎えています。日本が先進国の仲間入りをしたのはそんなに遠い昔ではありません。自由な選択ができるようになったのもそんな遠い昔ではありません。私の母が子供のとき、学校にもいけず、妹たちの面倒をみながら農作業を手伝ったそうです。それでも勉強をしたいと思い、落ちている新聞紙などの紙切れを拾い、そこに書いてある文字を一生けん命に勉強したそうです。

どんな環境においても強い意志があれば多くのことができるのだと思います。ましてや自由に選択できる環境にある日本においては、いろいろな挑戦ができるはずです。

最近話題となった気候変動を危惧したスウェーデンの16歳の女性の話をご存じでしょうか。彼女は、地球温暖化の危機を訴えるために一人で立ち上がりました。今行動しなければ地球が破滅に向かうかもしれないとの危惧です。そして、その輪が広がり若者を中心に100ヶ国以上で一斉デモが行われました。彼女の強い信念による選択が多くの人たちを動かしたのです。

これからの日本は皆さんの肩にかかっています。これまでのように自由に選択できる国をこれからも維持できるのか、それとも異なった社会を築いていくのか。自分の意思で自分の目でいろいろなことに関心を持ち、自分の目でいろいろなことを確かめるなかで、本質はなんなのを見極めながら、これからの選択をしてほしいと思います。法政大学には恵まれた留学制度など、いろいろなプログラムが用意されています。そして、法政大学は自分が望めばきっといろいろと答えてくれると素晴らしい大学だと思います。

これからの皆さんのご健闘を祈ります。

古川 光明(ふるかわ みつあき)

1987年3月に経済学部経済学科卒業、同年4月に清水建設株式会社に就職。1989年1月JICA社会開発調査部社会開発調査第二課に転職。1991年8月同医療協力部国際緊急援助隊事務局国連DHA(Department of Humanitarian Affairs)-UNDRO, 国際災害救助アドバイザリーグループ・アジア・太平洋地域議長就任。1999年1月JICAタンザニア事務所次長、2007年12月イギリス事務所所長、2009年6月研究所上席研究員、2014年11月南スーダン事務所所長を経て、2019年4月より静岡県立大学国際関係学部国際関係学科教授。