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世界で存在感を示すロシアを探究 法政のネットワークで文化交流を推進

  • 2019年03月28日
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法学部国際政治学科
下斗米 伸夫 教授


ロシア研究の第一人者として名高い下斗米伸夫教授。歴史を学んで蓄積された知見、ソビエト連邦崩壊後に公開された史料や現地で収集した情報から、時代の「いま」をひもといています。

ソ連崩壊という歴史の瞬間が研究者として得がたい転機に

ロシア連邦(以下、ロシア)を中心とした国際政治と比較政治論を歴史的に研究してきました。

もともとは、ロシアの前身であるソビエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)と社会主義体制が研究対象でした。思春期の60年代に中国の文化大革命が起こり、大学紛争を経験したことで「なぜ社会主義運動は分裂し、紛争を呼ぶのか」という疑問が芽生え、その答えを探究したかったのです。

ソ連の奥深さは、1975年に文部省(現・文部科学省)の派遣で初めてモスクワに10カ月滞在したときに、肌で感じました。ソ連で暮らす人々と触れ合い、生活習慣を知ることで、文献からは計り知れない生の情報を得られたのです。「表面化している事柄だけが全てではない、マトリョーシカのように、内側に秘め隠されているものがあるのだ」と実感しました。

当時のソ連研究は、公開された史料をひもとく文献学が中心でした。一党制の社会主義国家だったソ連では言論統制が敷かれ、知りたいことほど表には出てこなかったからです。

大きな転機になったのは、ペレストロイカ(改革運動)をきっかけにクーデターが起こり、1991年にソ連が崩壊したことです。研究対象が突然消滅したのには戸惑いましたが、知識人世界が覚醒し、その結果歴史が動く瞬間を目の当たりにできたのは研究者として得がたい機会でした。歴史の見直しが始まり、それまでスターリンなどソ連が隠匿していた重要史料が白日の下にさらされ、今まで知り得なかった裏事情が次々と明らかになり、ソ連崩壊以前と以後の比較という、新たな研究テーマも生まれました。

国際政治、比較政治学の意義は自国と相手国の国民性や思想、抱えている問題、諸外国との関係などの背景を知り、理解し合うことです。なかでも日ロ関係やアジアの冷戦に関する史料も出始めました。その観点から、ロシア以外のアジア諸国などにも目を向けながら研究を続けています。

日露文化交流に貢献してきた 法政のネットワーク

1988年から法政大学の教壇に立ち、31年を迎えました。その間、一度として研究活動で制限を受けたことはありません。おかげで、海外で行われる国際会議などにも参加し、最新の国際情報を持ち帰って研究や教育に生かすことができました。リベラルな立場で、教員の研究を後押ししてくれる姿勢はありがたいことです。

法政大学は、約50年前にソ連科学アカデミー東洋学研究所(現・ロシア科学アカデミー東洋学研究所)と文化協定を結んで以来、ロシアとの間に独自の知的交流ネットワークを築いています。当時の研究所所長を務めていた元ロシア連邦首相のエフゲニー・プリマコフ氏は法政大学第1号の名誉博士でしたし、かつてはお招きしたサルキソフ客員教授やアンドレイ・クラフツェヴィッチ教授も同僚でした。

今や日露文化交流の一大拠点となった法政の環境は、私の研究に深みを与えてくれています。ボアソナード記念現代法研究所(※)で、冷戦期を中心とした日ソ・日露関係の歴史的研究プロジェクトにも取り組みました。歴史的事実も、視点が日本側にあるかロシア側にあるかで捉え方が異なります。それを並べて書き記すことで、違いを浮き彫りにしようと試みたのです。その研究成果は『日ロ関係—歴史と現代』(法政大学出版局)、『日ロ関係史—パラレル・ヒストリーの挑戦』(共著、東大出版会)として出版され、後者は露訳(2015年)だけでなく英訳も今年刊行されます。

文献だけでは読み解けないことを 現地に行って肌で感じとってほしい

日本人にはなじみの薄く、距離感のあるロシアですが、日本にとっては隣国です。ウラジオストクには、かつて日本人街もあり、約1万人の日本人も住んでいました。かつては戦争や冷戦の余波で、日本人が気軽には行きづらい国になってしまいました。

学生たちに、自分たちの目でロシアの現在を見て体験してほしかったので、この数年はゼミの学生を連れて現地での合宿を行いました。経済力は世界10位程度ながら豊富な資源を持ち、ヨーロッパはもちろんアジアでもなお存在感のあるロシアは、今後も国際情勢のキーポイントとなる国です。近くて遠い隣国のことを知ることも、重要な学びだと思います。

世界情勢がダイナミックに動く中、グローバル化が進む日本では、さまざまな国との関係を深めていくことでしょう。学生たちには、先入観のないクリアな視野で世界を見ながら「実践知」を磨いてほしいと考えています。

現地に赴き、歴史的な背景や国民感情を知ってこそ、国際政治が理解できるようになる

現在のロシアは、諸外国とさまざまな問題を抱えています。特に、ロシアと隣国ウクライナの関係は悪化する一方で、一触即発のような状態になっています。かつては、同じソ連に属していた国々が、そこまで争う理由はなぜなのか。どこに根本的な原因があるのか。歴史を顧みることによって、現代にまで引きずる諍いの源も見えてきます。

ただし、国際政治の現場では史料を読み解くだけでは図り得ないことがあると、強く感じています。インターネットの普及により情報はあふれ、知りたいことの多くは検索すれば見つかります。しかし、国が対外的に表明する内容と、国民が実際感じていることには、時として温度差があること。信じる宗教の違いから感情のもつれが生じ、トラブルが常態化してしまったことなど、現地の人たちと実際にコミュニケーションをとってみないと、外からでは分かりづらいことも多いのです。とくに正教はキリスト教の源流ですが、欧米のそれとは異なる世界観を生んできました。さまざまな歴史的背景や国民感情を知ってこそ、国際政治を真に理解できるようになるのです。

1900年代の初め頃に活躍した英国の外交官で、ジャーナリストとしてソ連史を研究していたエドワード・ハレット・カー(E・H・カー)氏は、歴史哲学分野の名著と言われる『歴史とは何か』という著書の中で、「すべての歴史は現代史である」という有名なテーゼを作られました。歴史は現在の目を通し、現在の問題に照らして過去を見るところに成り立つものだという主張です。

E・H・カー氏は、ソ連を研究テーマとしながら、諸外国との関係に着目し、特に欧米社会がどのようになっているのかを見ていました。実は、私の先生の先生に当たる方であり、その教えが源流にあることから、私自身同じ意識で研究に取り組んでいます。歴史と現代とは切り離せないのです。

現在、地政学という言葉がはやっていますが、世界最大の地表をもち、存在する核の90%を米国とで握っているロシアは、世界情勢に大きな影響を与えます。これからもロシア研究は、広い意味で国際政治学における必須の研究になると予想しています。米国もソ連も、冷戦期は相手国のことを研究し尽くしていましたが、相手の脅威を警戒することが目的の研究では、客観性に乏しくなるのが常です。第三者の立場から客観的に研究を続け、その歴史的変貌に立ち会えた私は、幸運な研究者だと考えています。

  • 2017年8月にはゼミ生を連れ、ロシア極東部の都市ウラジオストクとハバロフスクへ。写真は、第二次世界大戦後にシベリア抑留で亡くなった日本人墓地

下斗米 伸夫 教授

法学部国際政治学科

1948年北海道札幌市生まれ。東京大学法学部を卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。成蹊大学法学部教授を経て、1988年法学部教授に着任。現在に至る。学外でも朝日新聞客員論説委員(1998~2001年)、日本国際政治学会理事長(2002~2004年)を務めるなど、ロシア国際政治学の第一人者として各所で活躍を続けている。