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総長から皆さんへ 第11信(6月15日) 卒業生・飯嶋和一さんの著書を読む

  • 2020年06月15日
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English (by Google Translation)

「死ぬ時に「自分の人生を生きなかった」という思いだけはしてほしくない。人と比較しないで、自分が心惹かれることに従いながら自分の人生を生きてほしい。そのためにも、一冊でもいいので良い本との出会いがあるといいなと思っています。」

これは、HOSEI ONLINEの対談に来てくださったとき、小説家の飯嶋和一さんが皆さんに向かって言ってくださった言葉です。飯嶋さんは文学部日本文学科のご出身で、沖縄文学を学ばれたかたです。卒業後、教職についておられましたが、「自分に戻る時間」が無いことをとても辛く思うようになった。そこで、仕事をしながら自分を取り戻すにはどうすればいいか考え、朝起きたら何でもいいから文章を書くという生活を続けられたそうです。やがて、より多くの自分の時間を得るため学校の教師は辞められ、54歳まで塾や予備校で働きながら執筆していらしたのです。執筆こそが飯嶋さんにとって、「自分の人生を生きている」時間だったのですね。そのあいだに、小説現代新人賞、文藝賞、中山義秀文学賞、大佛次郎賞、司馬遼太郎賞、舟橋聖一文学賞と、次々と賞を受賞なさった。執筆だけを仕事にするようになったのはようやくこの十数年という話を伺い、驚きました。

飯嶋さんの描く世界はとにかく壮大で、膨大な史料を使いながら縦横に想像力が飛び交う宇宙です。私は『始祖鳥記』(小学館)が刊行された時からの熱心な読者です。連載をもたず常に書き下ろしで刊行される重厚な長編小説を読んで、きっと日々執筆にまい進する仙人のような生活をしている方だろう、と思っていました。しかし日常の仕事を地道におこないながら、その中に「自分に戻る時間」を少しでも確保していく、という日々があったのです。現実世界とは異なる別世での自由を生きるには、工夫と努力が必須ですが、同時に飯嶋さんにとってはそれこそが、充実した生き方だったのだと思います。

さて、飯嶋さんの描く壮大な世界とは、どういう世界でしょうか。前回皆さんに紹介した渡辺京二さんの『バテレンの世紀』(新潮社)は、16世紀前半のポルトガル人と日本人との出会いから始まり、1639年のポルトガル船渡航禁止令に至る約100年の歴史を書いたものでした。この渡航禁止令の直前に起こった大事件が、1637年の島原天草一揆です。渡辺さんのそろえた史料をもとにこの一揆を小説にしたのが、石牟礼道子さんの『春の城』(藤原書店)です。じつはもうひとつ、島原天草一揆を小説にした素晴らしい作品があります。それが、飯嶋和一さんの大佛次郎賞受賞作『出星前夜』(小学館)です。この作品は、医学に始まり医学で終わる作品です。1630年、ガブリエル・デ・ラ・サンタ・マグダレナというスペイン人医師が日本で治療するシーンから始まり、その教えを受けた外崎恵舟(とのざき・けいしゅう)という日本人医師が長崎で治療を続けるシーンで終わるのですが、そのあいだにマグダレナは火刑によって殺され、島原藩の過酷な搾取によって村落が疲弊すると、子供たちが感染症で次々と死んでいきます。新型コロナと同じで、格差が感染の弱者を生む構造が見てとれます。その子供たち、次に若者たちが教会堂に集まるようになり、やがて島原天草一揆に結集していくのです。飯嶋さんの筆致の特徴はその詳細さです。この作品には漢方医学までが詳しく描かれます。

私はとりわけ『黄金旅風』(小学館)という作品が好きです。朱印船貿易の時代の、アジアの海を行き来する貿易商たちの話です。長崎の外国船専用の船着き場にタイのメナム河口で建造された巨大なジャンク船が係留され、その近くにポルトガル製の時計が置かれていて、満潮の時間になると太鼓が鳴らされる、という始まりに、横浜港を見て育った私は心底わくわくしました。

HOSEI ONLINEで初めてお目にかかったのは2019年の春でした。そこで、その前年に刊行され舟橋聖一文学賞を受賞した『星夜航行』(新潮社)の話になりました。この作品は朝鮮侵略がテーマですが、主人公はマニラや琉球にも行き来します。武士の若者が政争に巻き込まれて逃げ、馬の調教師として生きていきます。やがて朝鮮侵略に送り込まれたのを機に朝鮮国で暮らすようになります。日本にやってきた朝鮮使節行列の中に、主人公・沢瀬甚五郎の姿が見えるところで終わるラストシーンには、とても心打たれます。このように話はグローバルなのですが、他方でやはりディテールがすごい。詳細に描写される馬には、手触りまで感じました。対談でそれを申し上げると、「近所の鍛冶屋さんが飼っていた馬が生きものとして賢くきれいだった」こと、ご自身が「馬を日常的に見ていた最後の世代」であることを話されました。飯嶋さんは山形のご出身です。日本各地、アジア各地の独特の風土、そしてそこに生きる生き物や人など、「近代になって失われたもの」こそが、飯嶋さんの描きたい世界なのです。

もうひとつ大事な視点がありました。「権力者が強かった時代に、鋭敏な感受性を持っている人間はある意味でつらい立場となってしまう。でも、「なんでこんな目に遭わなきゃならないんだ」と思いながらも、権力には屈しない人が主人公になるような気がするんです」という言葉が強く印象に残りました。それは江戸時代の日本だけではなく、今の日本や世界、これからの日本や世界でも同じことですね。権力構造やヒエラルキー型の価値観が私たちの生活や心を縛っています。その既存の価値観に屈しない生き方、まさに「自分の人生を生きる」「自由を生き抜く」ことが、これからますます大切になっていきます。

飯嶋さんの話からも、私自身のことからもわかることがひとつあります。自身の幼いころからの体験とその記憶が、とても大事です。想像力の種は常にそこにあります。おろそかにできません。しかしそれだけでは、想像力も創造力もはばたきません。自身の体験を多くの読書につなげ、言葉を獲得していくところに、想像力と創造力が、躍動するようになるのです。

2020年6月15日
法政大学総長 田中優子